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薔薇と百合  作者: 黒澤 白
幽霊

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宗形家の主たちと蓮様のお告げ

食卓に集う主たち、そしてこの日、時代は変わると、蓮様が告げるの回

 七月二十九日 午前七時十分。

 最後に食堂に入ってきた当主、阿門様のおじい様は、すでに食卓についている三人を見て、眉を顰めた。

 長身大柄は宗形の血か。阿門様の祖父らしい、長身で恰幅のよい老人である。洋装がよく似合う。夏物の三つ揃いを着たその姿は、欧米人にも見劣りしないだろう。

 豊かな銀白色の髪と顎髭。眼光鋭く、紙幣に刷り込みたいほど、立派な御顔立ちである。 

 まず蓮様を見て、挨拶をした。

「おはようございます。姫様」

「おはよう。宗形」と、蓮様が鷹揚に受けた。

 当主は執事の藤田さんに椅子を引かれて、腰を下ろす。

 藤田さんはおそらく六十代。昭和の役者加藤剛に似た、品の良い人である。欧米の映画に出てくる、執事そのものの洋装だ。

 腰を下ろした当主に、阿門様が挨拶をする。 

「おはようございます。おじい様」

 冴が続く。

「おはようございます」

「おはよう」

 当主は若夫婦の挨拶を受け、二人を見比べた。


 十人は座れる長テーブルの席につくのは、男三人。女一人。

 阿門様の両親は、阿門様が十七になった年の一月。シベリア経由で欧州に向かう旅に出て、未だに帰ってこないと聞いた。列車に乗りこんだ確認はとれたが。走る列車のなかで、忽然と消えてしまったという。

 暖炉を背とした最上位の席には蓮様。向かい合う席に当主の大旦那様。蓮様と向かい合う下座に阿門様。その横で、大旦那様と向かい合うのが冴。

 東の庭に面した、家族が毎日集う食堂の席次は、毎回このようになる。

 蓮様の、いやおそらく、この家における「玉依姫」の位は、当主より上というわけだ。


 熱い紅茶を給仕されて一口飲むと、ご当主は阿門様を見て云った。

「うるさいことは云いたくないので、ずっと黙っていたが。浴衣に素足での朝食は、いかがなものか。冴の午後のドレスも、おまえが許したのだろうか」

 阿門様がおじい様に云った。

「向こうにいるときは洋服を着ておりますが。日本の夏は、浴衣に素足で通したい。この国の夏に、一番適したなりだと思います。冴にも、長袖のドレスが体に悪そうな日は、袖が短いものをすすめます」

 この言葉を聞いて、冴は阿門様の顔を見た。その目がきらきらと光った。

 御当主は不快そうに眉を顰めた。

「そのような恰好で食事をしていては、異人らに蔑まれ、笑いものとなる」

 阿門様は両手を広げて云った。

「どうして明治の日本人は、外国人の目ばかり気にするのかな」

 とりなすように、やはり浴衣の蓮様が口を開いた。

「列強国に我が国が馬鹿にされないことも大切なことだが。たしかにこの国の夏で、欧米人そのものの洋装というのはいささか。家族だけの席では、楽な服装で良いのではないか」

 当主は蓮様を見て、仰った。

「姫様がそのように思召すなら。そういうことにいたしましょう」

 この家の決まりは、玉依姫が決めるということか。


 食卓に運ばれてきた朝食は、フランスパンのような味の丸いパン。バターにハチミツ、手作りの杏のジャム。夏野菜のピクルスに、レタスのサラダ、ハムとオムレツ。焼いたトマト。食後の果実は西瓜。

 冴の食欲は旺盛だった。

 どの皿のものも、とても美味しい。

 料理人の腕もあるが、まず原材料の味が良い気がする。

 卵も粉も、バターもハムも、野菜も果実も、私が食べていたものより、味が濃くて強い。水も美味しい。

 明治生まれの作家は、食品のほとんどが、戦後味が落ちたと語ったものだが。この家の食べ物を冴とともに味わうたび、その通りなのかもしれないと思う。   


  朝食の最中、大旦那様は阿門様に尋ねた。

「夏休みが終わったら、どうするつもりだ。帝大に復学するのか」

 阿門様は云った。

「いや。俺はあっちに戻って、オックスフォードを卒業します。復学についてはその後考えます。」

「では、英国に戻るのか」

「時期を見て」

「おまえが行ってしまっては。新妻が心細いと思うがな」

「おじい様。入籍しているとはいえ、披露宴まで、俺は冴を妻ではなく、許嫁《いいなずけ》と思うことにしています。冴もそのつもりのようです。新妻などと呼んでは、冴が驚く」

「おまえの父親が行方知れずになったとき。儂は世の中、何が起きるかしれないと身に沁みた。おまえにはもう、この家に落ち着いてもらいたい。できるだけ早く。おまえの両親が使っていた寝室に、二人で移ってもらいたい。儂はそう思っとる」

 次期当主とその妻、おかしな若夫婦は、子作りをするかしないかで揉めている段階だが、当主は早く跡取りをつくってほしいようだ。


 当主と阿門様の会話を聞く蓮様の、神秘の黒い眸が揺れていた。さて何を思っていたのか。

 大旦那様が蓮様を見て云った。

「昨今の若い者は、時代は変わったなどというが。姫の言葉は天の言葉。儂は今もそう思っとる。姫が選んだ花嫁だ。おまえの妻は冴だ」

 蓮様は物憂げな声で、大旦那様に仰った。

「宗形。この結婚は、我が提案にて。詔《みことのり》というわけではない」

 大旦那様は仰った

「姫が思いつかれたこともまた、天の声でございます」

 蓮様を間に結ばれたおかしな夫婦は、離婚するかしないかでも揉めているわけだが。

 離婚することで合意したとしても、それはそれで、大変な道のりなのかもしれない。


 玉依姫になった蓮様は、やはり何か不思議な力をお持ちなのだろうか。

 当主がナイフとフォークを置いたとき、当主の顔を見て、唐突に告げた。

「おそらく今日の夜中。日付が変わる頃だ。時代が変わる」

 当主は目をしばたかせた。

 哀切な声で云った。

「最後のご挨拶に参上せねばなりませんな」

 私は明治天皇崩御の日付を思い出して、はっとした。


 当主が食堂を去ると、冴が蓮様に尋ねた。

「天の声が聞こえたのですか。それとも占い?陛下は今日の夜中、お亡くなりになるのですね」

 この家に移り住んだ日。天皇の快癒を願い皇居前で祈る人々について、冴は呆れたように語っていたものだが。

 その顔は興奮していたし。声も少し震えていた。

 明治時代、天皇は現人神《あらひとがみ》となられたが、国民の大半は「天皇」を、信仰していたわけではなさそうだ。しかし「明治天皇」には、親しみを覚え、尊敬の念を持っていたらしい。

「天ちゃん」、「天公」などと呼ぶこともあったが、明治天皇には敬慕の念を持っていた。明治時代末期に子供時代を送った、昭和の作家獅子文六は、「父の乳」に、そんなことを書いている。

 この世界は私の知る世界ではないかもしれないが。冴の中にも、そんな心があるように見えた。

 蓮様もまた、去りゆく人を思う顔で冴に云った。

「どんなことも、その瞬間までわからない。ちょっとしたことで、先のことは変わってしまうんだ。誰にも云ってはいけないよ」

 阿門様も感慨深げに呟いた。

「今日でなくとも。近いうちだろう。明治が終わり、新しい時代が始まるわけだ」


 私はこの世界の人間ではない(おそらく)。自分の世界の明治天皇にも、思い入れはない。しかしこの朝の蓮様のお告げには、やはり心が少し昂った。

 開幕と終幕のベルは、人に何かを訴えてくる。

本日はここまでにいたしましょう。

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