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薔薇と百合  作者: 黒澤 白
幽霊

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10/18

はじめての夫婦喧嘩

女たちのうわさ話と、若夫婦の言い争いの回

 元木さんがやってきた日の夜。

 冴の意識が昏くなるとともに、私の意識も昏くなった

 次に目覚めたとき、冴は寝台にいた。三度目の目覚めの時同様、ちょうど目を開けたところだった。

 冴がめくった日めくりで確認した日付は、七月二十九日。

 冴とともに眠りにつき、翌日の朝、冴とともに目覚めたことになるのだが。これははじめてのことだった。


 この朝、冴が厨房に向かうと、かなり手前で、こんな声が聞こえてきた。

「ねえ。今日家に来た冴様のお友達。ほんとに、元木文って名乗ってたの?」

 ツキコさんの声に聞こえた。

 冴は立ち止り、聞くともなしに、その後の話を聞いてしまった。

「その子と蓮實の聡子お嬢さん。心中しようとしてたんですって」

「心中?女同士で?」

「なんでそんなこと知ってるんだい」

「あそこの家に勤める人に、この前聞いたもの」

「まぁ」

「あの子と聡子様は、なんだかあやしい。誰かがあの家の奥様に、そんなことを云ったらしいの。で、あの子からきた手紙が、奥様の目に止って。その手紙には、一緒に海に飛び込む計画が書いてあったんですって」

「冴様と聡子様は同じ学校よね。今日の人も同じ学校かしら」

「奥様が聡子様の部屋を調べたら。その子と交わしたアツアツの恋文も大量に見つかったらしいわよ」

「ねぇ。去年もどっかで、お嬢さん同士の心中事件なかった?」

「何不自由ないお嬢さん同士が。何を考えて死にたくなったんだろう」

「女学校で何を習ってるのやら。女同士で心中なんて、嫌らしいったら」 

 冴は厨房に入らす、玄関ホールのほうへと引き返した。

 蓮様の暮らす日本館の部屋に向かおうとしたのだが、蓮様は玄関ホールにいて、書斎の扉を開けようとしていた。黒しじらに白い角帯の浴衣姿が涼しげだった。 


 冴は蓮様に駆け寄った。

「おはようございます。蓮様。今朝の御祈祷は?」

 書斎の扉を開けて、蓮様が云った。

「今朝はもうすませた。おはよう」

 書斎では、阿門様が一人椅子に腰かけ、珈琲を飲んでいた。

 阿門様は生成り絣の浴衣に黒い角帯。蓮様は足袋をはき草履をはいていたが、こちらはこの日も、素足に下駄ばきである。

「おまえさん。そのドレス、夜の奴だな」

 冴は少しむっとした顔で、ドレスのスカートを両手で引っ張った。

「今朝は蒸し暑くて」

 阿門様と向かい合う長椅子に腰を下ろして、蓮様は云った。

「それで朝食となると、おじい様にお小言をいただくぞ」

 阿門様が云った。

「俺の浴衣と下駄についても、そろそろ云われるだろうな」

「俺も今日は浴衣だ」

「日本の夏は浴衣だろ。冴、じっさまになんか云われたら、俺がその恰好をすすめたと云え」

「お兄様に?」

 冴は数秒阿門様の顔を見つめた。その言葉を、意外に感じているようだった。


 蓮様が座った長椅子に、蓮様と並んで腰を下ろすと。冴は蓮様に訴えた。

「今、厨房で、女の人達が話しているのを聞きました。元木さんとお姉様が、心中しようとなさっていたと」

 蓮様は軽く息を吐いた。

「一族の使用人たちは、あちこちで繋がってるようだな。女たちの連絡網は、ことに話が早く回る」

  阿門様が云った。

「滝野がいたらそんな話はさせない。席を外してたかな」 

 わけがわからない。そんな顔で冴は尋ねた。

「ほんとうのことですの?」

 蓮様は困った顔で云った。

「そのようだ」

 阿門様が云った。

「去年、若い女二人の心中があって。同性の愛とかなんとか。新聞でずいぶん騒がれたらしいな」

 蓮様は呆れた顔になった。

「誰の手紙に書いてあった?」

「五島だ」

「あいつがそんな話に興味を持つとは」

「おまえは興味がないか。はたしてそれは、熱烈な友情か」

 冴が戸惑った顔で、二人を見比べた。

「友情でなかったらなんだと云いますの?」


 阿門様がいたずらな顔になった。

「男の学校の寮では。美少年が獲物にされる」

 冴はきょとんとした顔で云った。

「獲物?」

「男の学校には。ぎらぎらした目で後輩をつけ狙う奴らがいるんだ。この蓮様も、よく先輩たちに襲われて。見事返り討ちにしていた」

「まぁ」

「女学校の寮にそんな人間がいるわけがない。乙女同士の仲は衆道とは違う。熱烈な友情だろうというのが、女崇拝の強い五島の意見だが、どうだろうな」


 冴は阿門様の興味の矛先に、やっと気づいたようだった。

 憤然とした顔で云った。

「お姉さまと元木さんは、そんないやらしい仲ではございません!」

 阿門様が面白そうに尋ねた。

「体の関係があったら嫌らしいか」

 ますます憤然となって、冴は云った。

「女同士で。ありえませんわ」

「俺と蓮は真実結ばれるべきだといったおまえが、それを云うのか」

「男の方は、そういうことはしないではいられない。そういうふうに出来上がっているのだと伺いましたが」

「まともな娘はそうした欲を持たない。そういうことになっている。しかしだが、果たしてそうなのかな」

 蓮様が二人の間に入る。

「阿門。淑女にする話じゃない」

 阿門様は蓮様に顔を向けた。

「俺は人間の体の真実に興味がある。だから医学部に進んだわけだが」

 それ以上、そんな話は聞きたくない。冴はそんな顔で立ち上がった。

「失礼いたします」と二人から離れ、足早に書斎から出ていった。

本日はここまでにいたしましょう。

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