学園で魔王は再び立ち上がる
ー無念。
四天王の一角として生きた我の最期、ただその一言だけが頭の中を埋め尽くしていく。
「魔王……様…」
視界の先に映るのは長年仕えてきた魔族の王、その最期の瞬間を何も出来ずに地べたに這いつくばりながら、見つめるしか出来ないでいた。
体を貫く剣を激しく抜き去った瞬間に、血飛沫が吹き上がり抗いようのない絶命を物語っている。
黒い髪を紅く染め上げられ、力強く惹きつけられていたはずの瞳は、生気を奪われ。
「覚悟、魔王!!」
剣を高らかに握りしめた勇者と呼ばれる人物は、一筋の剣閃を描きながらその首を勢いよく斬り飛ばした。
激しかった戦闘音は無情にも掻き消された。
終わりを感じた静寂の直後鈍い音が響き渡り、倒れ込む身体が視界に映る。
己の不甲斐なさに身を焦がす思いだが、我も動けるような状況ではなかった。手足は斬り落とされ、魔力の欠片もこの身体には残されていない。
文字通り、手も足も出ない。
全てを諦めたかのように消えゆく意識の中…。
「これはこれは、勇者様。ご苦労さまでした」
「寄るな。汚らわしい魔族が」
「何をおっしゃいますか」
誰だ、聞き覚えのある声と勇者が話している。
目の前で魔王様が討たれた直後だと言うのに。
「私のおかげで魔王討伐の悲願を成し得たのでしょう、勇・者・様?」
「約束は守る。二度とその面を見せるな」
「おぉ、怖い。私もああなる前に立ち去りましょうか」
振り絞った力で顔を見上げると、そこには見知った顔が朧気ながらも浮かんでいた。
「おや、まだ息がありましたか。ふふふっ、非常に不快ですが致し方なし」
こうして我の最後の光景は。
魔王様の姿でも、憎き勇者の姿でもなく。
同じ志を共にするはずの、四天魔の一人。その同胞が不敵な笑みを浮かべながら、短剣をこちらに向かって突き立てようとしている瞬間だった。
(あぁ、魔王様。叶うならば、今一度貴女様のお傍に)
紅く染め上げられる世界に、決して消え去らぬ復讐の念を遺しながら。
「あぁっ!!」
幾度なく見せられる夢に、頭を強く殴られたような痛みを感じながらも体を勢いよく引き起こす。
頭を抱えながら辺りを見渡し、いつもの見慣れた光景に荒くなった呼吸を落ち着かせながら、激しく打ち鳴らされる鼓動を抑えようとする。
現実にはありえない筈なのに、何処か既視感のあるような光景。変わらず同じシーンが繰り返し、何度も夢の中で写し出されていた。
(気持ち悪ぃ、水…)
朧気ながらも体を起こし、部屋を出てキッチンへと向かう為に階段を降りていく。
「あら龍ちゃん、早いじゃないの」
そこには朝食の準備をしていた母親が台所に立っていた。側の椅子には父親がタブレットを眺めながら、物静かにコーヒーを飲んでいた。
「朝ごはん食べる?」
「いらねぇよ」
起きてから消えない苛つきを必死に抑えながら、冷蔵庫の中に入っていたお茶を手に取り、洗い流すように飲み干していく。
「せっかく起きたんだから、たまには一緒に…」
「いらねぇっつってんだろうが!!」
その言葉に抑えきれなくなった苛つきを吐き出すかのように声を荒げながら激しい音を立て、冷蔵庫の扉を勢いよく閉める。
「おい、龍。母親に向かってなんだその口は」
横から父親が低くドスの効いた声をこちらに向け、鋭く切りつけるような眼光で睨みつけきた。
「いらねぇっつってんだろうがよ」
「言い方に気をつけろよ、糞餓鬼が」
「んだよ、関係ねぇだろうがよ」
「ちょっと、二人とも朝から…」
「ちっ」
「おい、どこ行く!」
「うるせぇ、放っとけよ!!」
吐き捨てるように自室へと戻っていき、制服へと袖を通しながら身支度を済ましていく。
二人から呼ばれているような声が聞こえてはいたが、何も聞こえていないようにして家を飛び出す。
あの夢を見始めてからは、こんな朝がよく起こっていた。かといってその前から決して優秀な子供ではなかったと思う。何かにつけて喧嘩に明け暮れ、家にいる時間の方が少なかった。
だが、そんな日々にも嫌気が差し進学した高校は良くも悪くも無くそれなりに平凡で家から近い場所を選んだ。
進学してからは夏休みも終わりを告げ数カ月経っていたが、おかげさまで喧嘩をする事もなく、それなりに問題も起こさず平和に過ごしている。
それなのに、あの夢だけが頭から消えない。
噛み合うことのない現実と夢が、絶妙に溶け合うようで吐き気すら覚え始めてくる。
そうして、気味の悪さを抱えながら学校へと向かった俺は、校門をくぐり教室へと入っていく。
音を立てながら教室の扉を開けると、そこには既にクラスの委員長が教科書を広げながら座っていた。まだ誰も登校していない早朝にも関わらず、ただただこちらにも気づくことなく、読みふけっている。
わざわざ嫌いな奴に話しかける必要もなく、そのまま扉を閉めて俺の席へと着座した。
これといって何かやる事があるわけでもなく、委員長のように事前勉強をする気にもなれないので、机に突っ伏したまま瞳を閉じていく。
しばらく時間が経ったのだろうか。
誰かに呼ばれたような声が聞こえ、重たい顔を上げて目をこする。
「ねぇ起きて、【神崎】くん」
「なんだよ…委員長かよ」
「寝ないで、神崎くん!!」
肩を抱えるようにして体ごと力ずくで持ち上げられ、眼鏡の奥から覗く視線を刺してくるように向けてくる。時計の方へと目をやるが、始業の時間にはまだ余裕があり、起こされるような謂れはないが。
「んだよ、五月蝿えな」
「五月蝿いじゃないんだよ、起きろ!」
「お陰様で起きてるよ!!」
「なんでいきなり…その言い方は」
(ちっ…)「で、なんだよ」
頭を掻きながら半ば諦めた表情を向けるが、それ以上に申し訳ない顔を長い髪の奥から覗かせていた。
「寝てる所ごめんね、ちょっと教えてほしい事があって」
そう言いながら委員長は教科書とノートを持ち出しながら、何ヶ所かの問題を指さしてきた。
こんな態度をしてはいるが学校での成績は常に上位をキープ出来ており、委員長にこうして勉強の相談を受けることも少なくはないが、何故か理由もない嫌悪感を抱かずにはいられなかった。
そうなる出来事があった訳でもなく、嫌がらせを受けずにこうして頼られているにも関わらず、説明の出来ない感情がいつも胸の中に蠢いていた。
それでも、この眼鏡の向こうにある潤んだ瞳にはいつも屈してしまい、嫌々ながらも勉強を教える事になってしまっている。
「いつもありがとう、分かりやすかったよ」
「いいよ、別に」
こんなに冷たい態度を続けられたら声を掛ける事すら嫌になりそうな気がしないでもないが、委員長だけがいつも声を掛けてくれている。
その事だけは、ほんの少しの罪悪感を芽生えさせてくる。
「何、委員長?」
「いや、その…」
「他にも何か?」
「委員長じゃなくて、雛木悠里【ひなきゆうり】って名前があるんだけど」
「いいよ別に。委員長じゃん」
「雛木」
「なんだよ急に」
「ひ・な・き」
いつもと違う力強い視線と譲らなさそうな雰囲気に息を呑み、圧倒されるかのようで少しだけ身を引かれる。いつもならこんな事言わずに、すぐに席に戻っていく筈なのだが、今日に限っては違うらしい。
「わかった、わかったよ。雛木」
「よろしい」
そう言いながら切り替わった笑顔を優しく振り返しながら、自分の席へと戻っていった。
理由もわからず呆然としていると、教室の中には続々とクラスメイト達が入ってきていた。
先ほどまでは二人しか居なかった静寂な教室の中は瞬く間に喧騒を引き込み、近かった雛木との距離は届きそうもない程に離れる。
そんな事を気にしないようにと、一限目の授業に使う教科書を鞄から取り出し、朝の朝礼が始まる時を、青い空に流れる雲を眺めながら待ち続ける。
自由に形もなく漂う雲に、感情のすべてを預けるように置きながら。
「あーい、お前ら席につけ」
気が付けば担任の教師が入り、騒がしさの中に持ち込まれた静けさは周りを落ち着かせようとしていたが、そう簡単にいくはずもなく。
力強く告げられた「静かにしろ」
その一言で空気は変化を見せていく。
「はいじゃあ朝礼、の前に言うことがある…」
いつもと違う言い回しに、思わず視線が向けられる。それは俺だけじゃなくこの場にいる全員が、固唾をのむようにして耳を傾けていた。
「転校生を紹介しよう」
その一言で再び、先程までの騒がしさが勢いを増した波のように寄せ返されて来た。
それを諌めることなく、続けて話される。
「はいじゃあ、入ってきて」
「失礼します」
聞こえてきた可憐な声に男子達が騒ぐのを止め、視線が一点に集中されている。
それを見た俺は、何も考えることなく再び机に突っ伏す。
誰が来ようとも、訪れる毎日は変わらない。
この名前がない蠢きは収まらないのだから。
意識の消える中に聞こえた言葉ー。
「香坂真央【こうさかまお】です」
色めく周囲に嫌気が差す。
次に目が覚めたのは、頭に鈍い衝撃が襲いかかってきた時だった。
「痛ってぇな」
「痛いじゃねぇよ、起きろ神崎」
気が付けば一限目の国語が始まっており、どうやら教師が振り下ろした教科書によって起こされたらしく指示されたページまで広げ、立って読み上げるようにと言われる。
朧気ながらも気だるげに読み上げ、不服そうな教師を横目に席に座るが、眠気は失われていたので諦めて教科書に目を落とし続けていた。
そうして何の変哲もない時間が無駄に過ぎていき、昼休みの時間を迎えることとなる。
チャイムが鳴った瞬間。
いつの間にか隣に座っていた転校生の元へとクラスメイト達が円を組むように集まり、騒ぎ立てながら学校の案内を兼ねて食堂に行こうと言い合っていた。
(五月蝿い)
隣で繰り広げられる喧騒に苛つきを覚えながらも、ここで発散するわけにはいかず、行き場のない感情を抱えながら教室を出ていく。
向かうのは屋上で、群れ合うのが好きな人たちは教室内か食堂に集まるので、俺のように周りから干渉されたくないような人だけがそこに集まっていた。
風も強く、少し肌寒いこの季節。
余計に誰も来ない。
だからこそ、ここは丁度いい。
束の間の静けさを味わうには十分だった。
扉を開けて抜けた先には、既に何人かご飯を食べており、空いてるベンチを探してそこに腰掛ける。
ようやく落ち着ける。
深く重たいため息を吐きながら、袋に入った弁当を手に取り、吹き抜け風に飛ばされないようにと押さえながら蓋を開ける。
正直親の作った弁当なんていらないが、毎度買うほどの余裕は、俺の小遣いには残されてない。
バイトをしようとしたが、上手くいかなかった。
だから今だけは、諦めて食べ進める。
冷え切った弁当に冷えた空気。それは先程まで煮え、熱くなった感情を抑えるには丁度いいのかもしれない。
弁当を食べ終えた頃、誰も入ってくることが無いだろうと思っていた屋上の扉が再び音を立て開かれる。
中途半端な時間に来るもんだとそちらに視線をやると、思いがけない人物が顔を覗かせていた。
騒ぎの中心たる転校生。
その後ろに人混みを引き連れているのかと思えば、何故か一人でここまでやって来て、真っ直ぐにこちらに向かって歩みを進めている。
再び見たその姿は、何処か懐かしく感じていた。
根拠はないが、なびかせる黒紙に遠目で見ても分かるほどの力強い瞳。何を語らずとも、周囲を惹き付けるようなその空気は、この屋上を一気に染め上げていく。
歩みを止めたのは俺の前。
見下すようにその視線を向けているが、いきなり初対面ながらも文句を言いに来たのだろうか。
それとも道に迷ったとか。
「久しいの」
「はい?」
その言葉に間の抜けた声で返す。
会ったこともないはずの人物から、久しいと言われれば理解もできずとも仕方がない。
なのに、目の前の転校生は不満気な表情を強く浮かべながら、もう一度口を開いた。
「何の冗談じゃ、お主」
「さっきまでと喋り方違うよね?」
「ふざけるのも大概にせいよ」
「いや、初めましてですよね」
「可笑しいの、気配は感じたが」
そう言いながら勢いよく振りかざされた拳に反応する事も出来ず、頬を目掛けて気を失いそうになる衝撃がそのまま全身を走り、突き抜けていく。
「はっ?」
痛みよりも先にこの状況を理解しようと頭が巡り、頬を手で押さえながら立ち上がった瞬間、続けざまに放たれた拳は腹部へと食い込まされる。
吐き出しそうになる口元を押さえながらその場に蹲まっていると、視界が急に暗転し、意識が遠くに飛ばされるような感覚に襲われた。
が、何かが身体の中を激流のように駆け巡り、飛ばされていた意識を巻き戻していく。
再び戻った意識は何故か晴れ晴れとしていたが、その理由が直ぐに理解できていた。
思わず漏れたその一言が、全てを物語る。
「魔王様、ご無事で…」
「遅いわ、たわけ者が」
滝のように流れ落ちる涙が、胸の中に溜まっていた蠢きを洗い落としていくようで、抱き続けていたこの世界の違和感が姿を露わにしていく。
何度も何度も繰り返し夢の中で眺めていた光景、すべての出来事が現実だったんだ。
絶望、無力、苦痛。
行き場のなくなった感情が毎朝、目が覚める度に毒が身体を蝕んでいくかのように広がり続け、内から食い破るかのように蠢き続けていた。
「大変申し訳ございませんでした」
「よい、気にするな」
「すみません、すみません、すみません」
「泣くな、お主のせいではないわ」
それから暫く、チャイムが鳴り響くまで俺はその場で泣き続けていた。
何も言わずに転校生…魔王様は傍にいながら。
「教室に戻る時間じゃの」
「何を魔王様とあろうお方が、真面目に…」
「かっかっかっ、よかろうて。妾にも考えがあってのことじゃが…続きは放課後にでも話そうかの」
「魔王様の口から何を聞かされるのか怖いですが、そうしましょうか」
「お主も真面目にしとるじゃないか」
「からかわないでくださいよ」
そうして俺は泣き腫らした顔を隠すようにして教室へと戻り、自分の席へと沈み込むようにしながら着席した。
いつもと違った視線を感じ、周囲の声に耳を傾けていると、どうやら屋上での出来事が広まっていたようで、転校生の急な暴力として。
先程まで囲まれていた魔王様の周りには異様なほどの空間が出来、誰もが声をかけようとすらしていなかった。
そんな異質な空気を断ち切るように、雛木が手を強く握り締めながらゆっくりと歩み寄り、恐る恐る声を掛ける。
「ね、ねぇ香坂さん。屋上で神崎くんを殴りつけたって本当なの?」
「あら、見られていたのですか。お恥ずかしい」
「やっぱり…なんでそんな事…」
どう説明するのかと聞き耳を立てていると。
「彼が私の告白を無視した挙句、逃げるように消えたからです」
「はぁっ!?」
「えっ、神崎くんが?!」
教室内は一気にどよめき、ひりつくような怨念の込められた視線が俺の下へと集中する事になり、言い訳も虚しく誰も話は聞いてくれない。
たった数時間にして場は制圧されているように感じ、あの頃の魔王様らしさを感じずには居られなかったが、この状況はあまりよろしくなく、ただでさえ良い印象は残していなかったのだから。
「ちょっと魔王様!」
「本当だ、下の名前で呼んでる」
「雛木、違うってこれは」
「悲しくって、つい」
「おいおい騒がしすぎるぞ、席につけ!」
いつの間にか入ってきた教師の一言によって、蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの席へと戻っていった。
それでも、向けられる視線に変わりはない。
この教室を包む異様な雰囲気の中で、隣に座っている魔王様は舌を出しながら笑いかけている。
昔に戻ったような。
悪戯っ気のあるその表情は、俺の心を躍らせた。
放課後を迎えるまでの時間が永遠にも感じるほどに長く、時が経てば周りの視線など気にならなくなっていき、元々声をかけられるような間柄でもないので誰もが、距離を開け続けていた。
そうして迎えた放課後。
俺は魔王様の腕を握り、全員の制止を振り切りながら学校を飛び出した。
少し離れた公園まで、何を話すわけでもなく急ぎ足で向かっていき、近くのベンチに腰掛ける。
辺りは夕方に差し掛かろうとした時間帯からか、様々な年代の人たちが集まり、各々が騒がしく遊び回っていた。
落ち着いた話をするには他の場所もあったかもしれないが、思いつくのはここしかなく、一刻も早く解決していきたい問題が積まれていた。
「魔王様!一体何ですかあれは」
「あら、嘘は言ってないじゃろうて」
「いやいや、そんな事……あっ」
「妾の好意を忘れるとは、酷いやつじゃのう」
「いやいやいや、そういう訳では」
襲いかかるように、記憶の鱗片が飛び込んで来た。
確かに昔、魔王様から番になって支えて欲しいと言われたことがあったが、その時は色々な状況が重なり、断わらざるを得なかった。
その事を今、あの瞬間に引き出してきたのだ。
「妾は身が引き裂かれるような辛い思いを抱いたというのに、それをお主は」
「断るって分かってたでしょう、いつもみたいな悪戯っ気のある顔まで見せてたんですから」
「つまらん日常が続けは仕方なかろうて」
「だからってあれは、こっちだって辛かったんですから」
「ほう、満更でもなかったと」
「状況が状況でしたらね」
その言葉に途端に顔から火が噴き出したかのように熱を帯び、まともに魔王様を見ることが出来なかった。
(今、何を言ったんだ俺は)
「おや、顔が赤いぞ?」
「ここまで急ぎ足でしたからね、暑いです」
周りの喧騒を掻き消す勢いで鳴り響く心音は、未だかつてこんな事になったことはない。かの暗黒龍王ザハートを味方に引き込む為、三日三晩闘いあった時とは比にならないぐらい、内から打ち破る勢いで脈打ち続ける。
「それで魔王様、俺たちはどうしたんですか」
「話を変えよったか…まぁいいじゃろ」
俺たちの置かれている状況に関しては、魔王様ですら掴みきれてなかったらしい。
確かにあの日、攻め込まれた勇者によって魔王様は首をはねられ、俺も無残に命を散らした。
「あの感触は恐ろしいくらいに残っておるわ」
そう言いながら首元を手でさすっている。
その行動が胸を抉られるようで俺は、自然と手で痛みを消すように抑えていた。
「それで魔王様はいつから記憶が」
「そんなもん、産まれた時からじゃよ」
「そんなに長い間…不甲斐ないです」
「本当じゃぞ、妾の右腕とあろう者が」
「でも、何故こんな事に」
そう、原因がはっきりとしない。
俺たちが元いた世界とは全く異なる世界で再び、こうして命を宿すこととなった現状。
そんな魔法を聞いたこともなければ、魔王様にも身に覚えがないらしい。
一体誰が、何の目的で。
それともただの偶然か、悪戯か。
「一先ず、何も実害がないのは事実じゃな」
「ですけど、これからどうしましょうか」
「そんなの決まっておろうが」
「元の世界に…ですね」
「その前にやることがあるじゃろうて!」
そう言いながら魔王様は突然立ち上がり、こちらに向きながら続ける。
「あの結果を招いたのは紛れもない事実、仮に戻れたとて二の舞になるのは目に見えとる」
「ですが、このままこの世界にいたところで元の世界で残された魔族は、衰退の一途を辿るだけでは」
そう、魔王様の記憶が産まれた頃からあるのであれば、既に17年程の月日が経過している事になる。
魔王なき国に存続の道は無い。
誰かが旗を掲げてくれるのであれば、望める希望は残されるが裏切り者の存在が、その考えを否定していた。
「あの敗北は妾の弱さを露呈させたのじゃ」
「弱さなど、俺たちが支えきれなかったから」
「足りないのは三つじゃ」
「…三つもですか?」
「一に財力、ニに人心力、三に智力じゃ」
魔王様曰く、魔族とは武力が全て。
腕に自信があればのし上がっていき、まさに弱肉強食の表れで組織が形作られていた。
それだけでは足りないと。
「金がなくては組織を支える事はできん、心を掌握出来なければ裏切られ敵も増える、知識を持ち得ねば勝てる戦にも勝てぬ」
「それはそうかもしれませんが…」
「それならば妾はこの世界で学ぶ事にした!」
金の稼ぎ方、管理について。
心の繋ぎ方、味方の作り方。
戦術や、すべての運用について。
「この世界では争いが少なく、これらを学ぶには最適じゃろうて」
「それでも、戻る方法がなければ」
「心配せずとも、それに関しては別の者に動いてもらっておるわ」
「別の者…もしかして四天魔の誰かがここに?!」
「すまんが今は言えぬ」
「そう…ですか」
「じゃがの、準備は整ったのじゃよ」
「準備とは?」
「まずは手始めにあの学校を乗っ取る!」
「…はい?」
俺たちの学校を乗っ取るとは。
それこそ、文字通り戦力を増やし蹂躙し尽くすのだろうか。
いや、この世界においては御法度だろう。
「お主も知っておろう、あの学校の性質を」
「日本有数の難関校、卒業生の全員が各地でそれなりの影響を及ぼす人物として輩出されることでしょうか」
「そうじゃ、向こうでいう幹部クラスの育成機関が目の前にあり、そ奴らをまとめ上げる事が出来れば、妾のこの世界での努力が実をつけるて」
確かに、将来有望な種をその身に宿した集団の集まる格好を乗っ取ることができたのであれば、それ程の事を成せるのであれば、それはもとの世界に戻った時に活かせるだろうが。
「一体どうなさるおつもりですか、そんなに簡単な話ではないでしょう」
「生徒会総選挙じゃよ」
毎年開催される、生徒会総選挙。
生徒会長、生徒会副会長、経理会長、総務会長、書記会長。
これらの役職を全校生徒の中から選挙形式で選出されるもので、希望者は立候補と共に夏休み前に開催される投票にに向けて票を集めるための活動をしていく事ととなる。
その意味わかっているのか、思わず息を呑む。
転校してきた初日に掲げるようなものではないと思うが、それならば何故、初めからこの学校へと進学していなかったのか疑問が浮かぶ。
「分かっておる、何故このタイミングでこの学校へと転校したのかじゃな?」
「は、はい」
「知ってるとは思うが、この学校には姉妹校が存在しておる。〝西の帝王高校〟、東の王帝高校〟」「そうですね」
「妾は帝王高校に在学しておったがの、おぬしの気配を感じ飛んできたのじゃよ」
「俺の…ですか」
「感じ取ったのはほんの最近じゃがの。ほんと、変わらず臆病者じゃのうて」
そう言いながら魔王様は笑っていた。
夕陽に照らされて眩しく輝くその笑顔に、思わず涙が零れ落ちそうになった。
今日この日まで、目を覚まさなかった事。
それまでどんな思いで努力を重ねてこられたのか、知る事の出来ない無念。
それでも、再びこの目で見ることのできた心からの笑顔。
様々な感情が渦巻き、溢れ出ていきそうで。
「すみません、でした」
「謝るでない、お主を見つけるのは妾の趣味みたいなもんじゃからの」
勇者軍との戦闘が激化し始めた頃、逃げるように隠れていた俺をいつも探しては励ましてくれていたのは、他の誰でもない魔王様だった。
久しく忘れていた。
いつもこの人はそうだった。
この笑顔で、俺の心を震わせる。
守りたいと思わせる。
それならば、次こそは絶対に。
「分かりました、俺も微力ながらお手伝いさせていただきます」
「勿論、期待しておるからの」
俺は魔王様を守る盾として、障害を振り払う剣として今一度立ち上がろう。
後悔のないように、全てを出し切ってでも。
「あれ、魔王様。それならば何故、教室であのようなことを?」
「何じゃ?」
「いやいやいや、あれはむしろマイナスでしょう!明日からどんな顔して登校すれば」
「妾を守れなかった罰じゃ、これぐらいは乗り越えて貰わねば困るがの」
そう言いながら、無邪気な悪戯好きな子供の様な顔を浮かべて笑っていた。
落ち始める夕陽が夜を迎えようとしている頃、俺は頭を抱えながら天を仰ぎ、これからの展望に頭を巡らせる。
(無茶だ!)
そんな事も気にしないかのように、無情な笑い声は体を突き抜けていった。
そうして迎えた翌日。
いつもと同じ道を、いつもと違う視線が刺さる。
どうやら予想していた通りで、教室での出来事は昨日の内にある程度は広まっているらしい。
明らかに敵意剥き出しな連中から、票を集めないといけないのだ。それに昨日の話では、魔王様を会長にする事ではなく、俺には副会長の座を手にして欲しいと言われている。
ただでさえ評判の良くなかっただろう俺が、今更副会長の座に座る事など出来るのだろうか。
感じたことの無い頭痛が走り、俺を苦しめる。
そんな俺の状況など関係ないかのように、生徒会の立候補期間が始まる。
魔王様は既に応募を済ましているようで、俺も申込用紙を手に握りながら席に座り、必要事項を書き連ねていく。
「おい、神崎」
その言葉に顔を上げると、クラスメイトの一人が机を叩きながら睨みつけていた。
「お前もしかして立候補するつもりか?」
「だったらなんだよ」
「無駄なことすんじゃねえよ」
「何が」
「誰がお前に投票するかよ」
その視線からは、昔感じたことのある感情がぶつけられていた。
熱のこもった嫉妬心ー。
中学の頃にクラスの女子から告白されたがそれを振った翌日、数名の男子から嫌がらせを受け、その理由が好きだった女子の告白を振ったことが気に食わないと。
なんともくだらない。
色恋など。
「はぁ……一目惚れか?」
「な、ちげえし!」
「声かける勇気もないのに突っかかってくんなよな」
「なんだよお前ぇっ!」
凄まれて胸ぐらを掴まれたが、何も感じない。
争いのないこの世界、この程度のことは子供の癇癪程度にしか思えない。
聞き苦しいと感じるだけ。
「離せよ」
「生意気なんだよお前」
「だったらどうすんだよ」
朝から続く視線の数々にこの状況、自分でも思っていないほどに苛ついていたのか、気が付けば身体の中で懐かしい感覚を覚えていた。
(これは、魔力か)
昨日に記憶が戻った拍子に、どうやら魔力も感じられるようになっていたらしい。そのきっかけが怒りの感情だったとは、思わず自分らしいなと笑みが溢れてしまう。
「何笑ってんだよ手前ぇ!」
振りかざされた拳に目を向けた瞬間、内に巡っていた魔力を全身に流し込み体外に向けて排出する。
「ひっ」
振りかざしていた拳がその場で止まり、感じたことない異様な気配に怯んだことだろう。そのまま俺に向けられるなら、もう容赦はしない。
力による制圧も時には必要だろう。
「お前ら、何してる!!」
いつの間にか入ってきていた教師の声に、胸ぐらを掴んでいた手が緩んだ。その隙に振り解き、急に頭が冷めた俺は、魔王様の視線を感じて席を立ち上がりながら教室を出ようとする。
「おい待て神崎!」
「トイレ」
「待てって!」
制止しようとする教師の声を気にもとめず、その言葉の通りにトイレへと向かって歩いていった。
個室に入って直ぐ、便座に腰掛けながら頭を抱える。
(やってしまった!もう無理だ…)
昔から集団には馴染めないと感じていた。
その原因が今になってはっきりと理解できたが、力以外で関係性を築き上げる手段が分からなかったのだ。
あの世界での記憶がないとはいえ、奥底には力こそ全てといったような感覚が、根付いてしまっていたのだろう。
(闘りあえれば楽なんだけどな)
魔王様も言っていた武力以外での関係性の構築、それがどれだけ困難なのか身を以て体感してしまった。
何か他の方法で手助け出来ればいいのだが。
「おい神崎」
聞き間違いだろうか、魔王様の声がしたような。
「聞いておるのか!」
「は、はい!!」
思わず便座から立ち上がり、背筋が伸びる。
扉を挟んだ向こうから声が聞こえていたが、ここが男子トイレだったことを思い返す。
「魔王様、ここ男子トイレですよ!」
「わかっておるわ、はよ出てこんか」
その言葉に従って鍵を開け、扉を押し込む。
「お主は本当に、昔から不器用じゃの」
「すみません」
「言葉が足りておらんのじゃ」
「言葉よりも力だったじゃないですか」
「それが良くないんじゃよ」
そうして腕を引かれ、男子トイレから連れ出されていく。
廊下に出たところで、魔王様は立ち止まった。
「どうするつもりじゃ」
「何か別の方法でお力になれればと」
残された期間は二カ月ほど、時間はない。
よくよく考えれば今更挽回しようと奮闘したところで、結果は目に見えているだろう。
「魔王様、どうされました?」
その視線が俺ではない廊下の奥へと向けられていることを感じ、それを追うように振り返る。
「あれ、雛木」
教師に言われて追いかけてきたのだろうか。
それにしては、いつもと雰囲気が違う気がする。
「久しいの、勇者」
魔王様のその一言に、雛木と勇者の姿が重なる。
ずっと気づいていなかった、気づかずにいた。
間違いない、この現状を作り出した元凶。
勇者ー。
「魔王。そして四天魔の一人、リュージーンだな」
「勇者、貴様ぁぁぁあ!!」
体内の魔力を練り上げ、右腕に収縮させていく。
「やめんか!」
「ま、魔王様?!」
俺の隣を静かに歩いていき、勇者に近づく。その手を伸ばせば簡単に触れれそうな距離、そこまで接近していながらも、互いに睨み合うだけ。
「のぉ、勇者よ。何用じゃ」
「魔王……」
「魔王様、離れてください!」
もう二度とあの光景は見たくない。
俺は足を踏み出し、一気に距離を詰める。
が、その後の展開は思いがけないものだった。
「成功したようで何よりだ」
「どうやらそうらしいの」
何かを察している二人と、呆気にとられる一人。
この場はもう、既に理解が及ばないものだった。
「分かっていたのか」
「まぁ、先ほど目覚めたお主の気配を感じたからで、確信は今得たがの」
「ま、魔王様?」
「流石は稀代の魔王、サタンだな」
「その魔王を撃ったのじゃ、誇るがいい」
その瞬間、放たれる殺気に全身が震える。
空気が一気に凍え刺さり込むようで、息苦しさすら覚えそうになる。
頬を伝う一筋の水滴が、拭うことすら許されない。
「取り敢えず話をしようか」
「そうじゃの、妾も聞きたいことが山程ある」
「あ、え、」
「何を呆けてるのじゃ、ついてこんか」
そうして言われるがままに、屋上へと向かって二人は歩いていった。俺は何も出来ずに後ろをついていくことしか出来ず、頭の中では必死に情報を整理しようとしていたが、考えはまとまらない。
屋上についてすぐ、雛木は。
いや、勇者は背伸びをしながら空を仰ぐ。
「やっぱりいい世界ね、ここは」
「やっぱり?」
「んと、何処から話せばいいかな」
そう言いながら勇者は静かに続ける。
ぼんやりとではあるが、前世の記憶を持ったままあの世界で生を成し、物心着く頃にはその記憶も薄れながらも勇者として必要な知識だけは残し、成長の糧としていたと。
「ふむ、言われてみればあの世界とこの世界は全く違えど、ゲームや物語として似通った部分は多数あるの」
「そう、その知識を持って強くなったわ」
「それが、この世界というわけか」
この世界の言葉にあえて置き換えるのであれば。
それは〝チート〟だった。
明らかに異質な魔法の使い方や、戦術。成長効率の良さに、この世界の技術。
それらを持ってこの勇者は、俺らを攻め込んできたのだ。
「そりゃ勝てぬわけじゃ」
「魔法は自由、故に知識が必然。私が大事にしていた言葉よ」
「確かにの…」
なぜ火が燃えるのか、なぜ氷は凍ってるのか、なぜ雷は振り降り下ろされるのか。
その知識の深さ一つ一つが、たった一つの魔法の精度を爆発的に高めていたのだろう。
「じゃが解せんのは、それほどの知識と力を持っていながら真っ向に向かってこなんだ?」
確かに。
散り際に見た、四天魔の裏切り者。
あいつの力を借りずとも、魔王討伐を成し得るぐらいの力はあったはずで、わざわざ回りくどい方法をとった意味が理解できない。
「あの世界はね、腐ってるの」
「どういう意味じゃ」
「魔王は知ってる?私たちの戦争の意味」
「そりゃ様々あるが理由は知らぬな、遥か昔に領土や互いの生存を賭けて争い始めた延長線じゃなかろうか」
「それもそうなんだけど、大きい理由はね」
既得権益ー。
「申し訳ないけど、私たち人族にとって魔族や魔物は飯の種であり、争いによって生じる利益でしか考えていなかったの」
「なんとも…そんな連中に妾は」
「思い返してみて。いつだって私たちは攻め込む一方で、そちらから来たことは無かった」
「それは俺たちが防戦一方を強いられていたからでは」
「いや、そうじゃない。妾のやっていた事は防衛と、全員をまとめ上げるためにこの力を自国内に示し続けていただけじゃ」
「そうせざるをえないほどに、魔王の座を狙われ続けたのはなぜ?」
「っ!?……四天魔、ザガン」
再び出てきた裏切り者の、名前。
俺の最期を刈り取った奴で、この勇者と手を組み魔王様の首を刎ねるまでに至らせた存在。
「なぜじゃ、それならばあの日はなんの為」
「それが今日この日に繋がるの」
遠くを眺めていた瞳が、力強く今を見つめる。
続く言葉に息を呑み、自然と手を強く握り耳を傾けていた。
「全てをリセットしたいの、私は」
「リセットじゃと?」
「そう。私はあの世界が、景色が人々の温もりが大好きで…それを脅かす全てが憎い」
次第に声色が低く、何かを呪いそうな程に。
「その全てを葬り去る一歩として、あなた方を逃がすことにしたの」
「それがこの状況か、それにしては弱くないか」
「うん、次にこの世界で戦力を整えるの」
「戦力じゃと?」
「そう、私がそうだったように世界を渡った者には特別な力や圧倒できる知識を持つでしょ、その人たちを一つに束ね上げてあの世界に戻るの」
魔王様も、俺も言葉を失っていた。
笑った表情のその瞳には生気が宿っていない事もそうだが、あまりに突飛な内容に理解が追いつかないでいた。
「魔王にはその先駆者として、私と神崎くんにはその補佐としてすべてを束ねるの」
「どの規模の話をしておるのじゃ」
「ん?…この学園の全てよ」
「全て…じゃと…」
「その為にここを選んだんだから、この国有数の未来優秀な人材が集うこの学園を」
「妾たちはまんまと誘き寄せられたのか」
「ふふっ、そこまで私も操れないわよ。ほんと、運命なのか、神の悪戯なのか…感謝しないとね」
「魔王…様…」
「分かっておるわ、少し待たんか」
そう言いながら魔王様は腕を組みながら空を見あげながら、瞳を閉じていた。
昔から何度か見たことがある。
追い詰められ、熟考する時の姿勢。
魔王様、何を考えているんですか。
こんな話鵜呑みにする必要はないじゃないですか、信憑性は何処にもないのですから。
それに、俺たちだって勇者の言う周囲を脅かす存在にもなりえてる。手を組んだ後の安全なんて、どこにも保証されてない。
そうして無言のままに永く感じる時間が経ち、重たく閉ざされていた口が開かれる。
「よかろう、勇者」
「魔王様?!」
「あはっ、さすがね」
「こんな話本当に信じるのですか!?」
「仕方なかろう、手を組む価値はあるしの」
「いや、その後の話をしているんで…」
「お主じゃろう、世界を渡る力の主は」
「正解っ」「なっ!?」
「言っておったからの、世界を渡ると特別な力を宿すと。勇者にとっての力とは、世界を渡るものか、時空や次元の操作じゃろうな」
「大正解、流石魔王様ですね」
「それじゃあ俺たちは…」
「そう、話をのむ他ない」
仮にこの話を断ったら元の世界には戻れない、手を組めばあちらの世界でも平和をもたらす事が出来るかもしれないが、命の保証はなく再び、戦火に巻き込まれる可能性もある。
「大丈夫よ、私にとっては世界の平和が最終目標だから」
「信じてよいのじゃな」
「えぇ、だって無駄な戦争なんてしたくないし。それに、いろいろな種族が暮らしている方が楽しいじゃない」
「茨の道になるぞ」
「それ私たちが切り拓くのよ」
気が付けば二人は手を握りあっていた。
世界は違えど、魔王様と勇者が手を組む異質な光景ではあったが、俺には従う他なかった。
それからはこれからの計画と、あの世界でのその後について話を続けていた。
俺たちの国は裏切り者のザガンが次代の魔王として名乗りを上げ、奇しくもまとめ上げていたと。
そうして終わったかに思えた戦争は再び火を灯し、各地にて燻ぶり続ける事になっている。
人族にとっては戦争によってもたらされる利益により、その国を存続させる。本国まで攻め込まれる心配のない戦争として、下々には知らされぬままに。
「ザガンの思惑はなんじゃった」
「そうね、私が聞いた話では禁忌へ踏み込むのに、実験体が大量に必要と言ってたわよ」
「なっ?!誠か」
「え、えぇ…私には一度だけそう話していたわ」
途端に魔王様の顔色が悪くなっていくのを目にし、俺の心も不安が募り始める。
「まずいぞ勇者、時間はないかもしれんの」
「どういう事よ」
「魔王様?」
「奴め、どこかで禁書を手に入れよったな」
「禁書ってなんですか」
魔王様曰く、禁書に記されているのは外道魔法との事。
それは、生命の理から外れる禁忌らしい。
「ぐ、具体的には何なのよ」
「例えば、多様な生物を混ぜ込んだ合成生命体の創造や、命を贄とした外法の数々としか妾も聞いておらぬが、どれも良いものではないな」
「それを、実現するつもりなのね」
またしても流れる重たい空気に、口は閉ざされていく。
「それなら、急がないとね」
「そうじゃな。それには妾が生徒会長となって、向こうに渡った際に皆に悟られるよう、自然に誘導できる立場として確立する必要があるの」
「そうよ、せっかくの戦力をまとめてくれないと意味がないのだから」
「こんな事言いたくないが、委員長として立場も確立した勇者はどうなんだ」
「私じゃだめ、どうしても甘えが出ると思うから」
「甘え?」
「ね、魔王様」
「そうじゃの」
二人は何かを悟った様な表情を浮かべていた。
何故か俺だけが取り残されたようで、理解の範囲外の内容に少しもどかしく感じていた。これ以上問い続けることはできずに、魔王様を信じることにする。
魔王様のお考えに迷いなく従うように。
今までも、これからも。
ーそうして幾日が過ぎ、選挙結果の日。
俺たちは様々な手を駆使し、魔王様の票集めに奔走していた。
その成果が実を結ぶ瞬間をこの目に収めるため、全校生徒が体育館に集められ、候補者たちが壇上に上がって結果発表の瞬間を祈るように待ち続けている。
思わず微笑んでしまいそうなほどに、魔王様だけが堂々とした出で立ちで構えている。
「それでは、今代の生徒会長は……」
続く言葉に俺は心の中で叫んだ。
魔王様が、再び組織の頂点に立ったと。
自分の事のように誇らしく思えてくる。
当選の言葉として壇上の中央に立ちマイクに向けて口を近づけ、全員が言葉を呑んで見守っていた。
ふと、目が合ったのは気のせいだろうか。
そう思いたくなるほどに、俺の視線は一点に釘付けにされており、魔王様もこの場の全員に語りかけるように言葉を紡いでいた。
「ようやくね」
「そうだな」
そう、この場の誰もが知らない。
この後に待ち受けるは、戦乱の世界に渡ることになるとは。
この先の結末はあの世界に持っていこう。
魔王様の隣に立ち続けた存在として、全ての出来事を刻み続けていく。




