分岐に待ち構える天使と悪魔
こんにちは、ノウミです。
たくさんの小説や素晴らしい作品がある中で、私の作品を手に取っていただきありがとうございます。
これまでに多くの作品を発表してきましたが、皆様に楽しんでいただけるよう、これからも様々な物語をお届けしていきます。
皆様に「読んでよかった」と感じていただけるよう、
一層精進してまいります。
どうぞ、これからもご期待ください。
人生は選択の連続だ。
そんな言葉を、幾度となく聞いたことがあるだろう。その度に訪れる分岐点、選んだ道が果たして本当に正しいのか、それとも間違っていたのか。
選んだ道は時として、悪魔として襲いかかることもあれば天使のように優しく抱き締められる事もある。同じ道を辿ったとしても、結果は分からない。
そんな僕の前にも二つの道が伸びている。
悪魔と成るか、天使と成るか。
「や、やめてくれ…頼む」
「神に祈るんだな」
「頼む、俺には妻と子供が」
男は地面に膝をつきながら祈るようにしてこちらを見あげてているが、僕は構わず銃口を突きつけ冷たい引き金に指をかける。
この男の話を鵜呑みにし逃がすか、このまま指に力を込めるか…示される道は二つに一つ。
組織の命を全うするのであればこの引き金に力を込めるべきだが、僕には殺さずとも何か別の道があるのではと考えてしまう。
視点が変われば、正義も変わる。そんなあやふやなものに左右されるくらいなら、いっその事何もせずに逃げ出してしまいたい。
なら何の為に僕はここに。
「クソッ、糞餓鬼がぁ!!」
男は懐からナイフを取り出し、僕の首元目掛けて勢いよく振りかざしてくる。咄嗟に躱しながら、ナイフをはたき落とし、腹部目掛けて銃口を構える。
力の込められた指は轟く衝撃とともに一発の弾丸を放ち、男の腹部で激しく弾けた拍子に、聞き慣れない言語が吐き出される。
「啊!太疼了!」
男は悶え苦しみながら腹部を押さえ、丸まったように倒れ込み地面へと頭を垂れる。
この世界…いや、この国は腐り始めている。
今では犯罪の温床とも呼ばれ、学力と賃金低下や海外からの移民がそれらを加速させ、闇バイトなどと全く関係のない人間までを巻き込み始めているこの現状。
表立っての犯罪行為は少しずつ増え、裏の世界での犯罪や抗争が激化の一途を辿り、その余波が表裏の垣根を越えて広がり続けていた。
「だ、だずげでぐれよお…」
「お前にも慈悲の心があれば、こんな事にはならなかっただろうさ」
頭上を走る電車の降り注ぐ音に合わせて再び引き金を強く握り、その頭へと放つ。
「この…悪魔……め」
「俺がそう見えたなら、あんたは地獄行きだよ」
走り去った電車の音が全てをかき消し、高架下のこの場所は恐ろしく冷たい空気だけが残される。もう少し別の方法は無かったのだろうか、この男を殺さなくて済むような方法が。
(いや、迷うな……迷うな)
僕はただ依頼をこなしているだけ、この男も依頼を出されるような人物だったに過ぎない。絶対に悩みを残すな、この道は間違っていないと何度も自分に言い聞かせる。
ポケットからスマホを取り出し、電話を掛ける。
「すいません、場所は…」
依頼したこの場所で待っていると一台の車が近くで止まり、一人の女性が扉を勢いよく開けながら降りてきた。
「よお。がきんちょ、また仕事か」
「がきんちょじゃないですよ【八雲(やくも】さん、俺には〝エイト〟ってコードネームがあるんですから」
「がきんちょはがきんちょだよ、あそこの毛でも生やしてから出直してきな」
そんな軽口を叩けるのも、この仕事を始めてからずっと付き合ってくれているからこそだ。毎度、仕事も早く確実なので本当に助かっている。
「それにしてもまた来るのが早いですね」
「たまたま近くに仕事があったんだよ」
「いつも早くて助かりますよ」
「生意気言うんじゃないよ」
そう言いながら口から煙草の煙を遊ばせるように吐き、黒く鋭いサングラスを輝かせる女性は掃除屋と呼ばれる死体の片付け屋だ。態度は気に入らないが、仕事の腕はは確かなのでそこは信頼している。
「また綺麗に仕留めちゃってまぁ」
「早くお願いしますよ、一限目に間に合わなくなる」
「一丁前に学生気取りってか。泣けるね」
「煩いですよ」
「これは…また外人かい」
「はい、中国系のマフィア。その末端ですね」
「嫌だねぇ」
そう言いながら周囲の血痕を片付け始め、死体をバックに詰め込んでいると一枚の紙切れが落ちた。僕はそれを手に、思わず拾い上げる。
そこには死体になった男と、女性、その間には満面の笑みでこちらを見つめる幼い少女が写真の中に収められていた。
拳銃で撃たれたような衝撃を覚えながら、僕はそれを握り潰しバックの中へと押し込む。
「なんだい、後悔でもしたかい」
「そんなんじゃありませんよ」
「前から言ってるが、あんた向いてないよ」
その言葉に何を返すでも無く、遠くに放っておいた鞄を拾い上げてその場から逃げるように歩いていく。
そんな事、僕が一番わかっているさ。
「また支払いは、いつもの口座にね」
軽く手を挙げ、僕は去っていく。
この街では勿論警察が目を見張り、市民の平和を保つ為に日夜働いてくれている。だが、それはあくまでも表の話、裏の世界では警察の手も届かない無法地帯は確かに存在し、そこから時折顔を覗かせる連中を僕は始末している。
表には表、裏には裏の領分というものがある。
それが犯された時、僕は動き出す。
悪魔と言われようとも僕は引き金を引き続ける。
それで、少しの平和が訪れるのであれば。
手のひらに冷たい感触を残しそれを隠すようにポケットに潜り込ませながら歩いていると、次第に人通りは増え、同じ制服の人たちと紛れ込むように歩いていく。
鞄から取り出したヘッドホンを頭に乗せ外界を絶ち、一人の世界に入り込みながらいつもの通学路でゆっくりと日常に馴染ませる。
学校に着く頃には気持ちも落ち着き校門を越え、そのまま教室へと入っていく。扉を開く音が響き渡り、全員の視線がこちらへと集まった瞬間に一気に逸らされる。
最近人気の出たバンドの曲だけが頭の中を流れていき、周囲の喧騒は何も聞こえないが。節々から向けられる視線とその口元は何を意味しているのか嫌でも理解できてしまう。
気味が悪い、目つきが怖い、何を考えてるか分からない、同じ空気に居て欲しくない。
遠巻きに伝えられるその言葉は、僕をこの教室から孤立させるには十分だった。今となっては慣れたもので、むしろこっちの方が過ごしやすい。
余計な事を考えなくて済む。
窓際の自分の席へと腰掛けヘッドホンを外す。
周囲も気を使い始めたのか、全く関係ない話を続け雑音がこの教室を満たしていく。仮初の平和に魅せられた同級生、僕が見える景色はここと交じり合わない。
「おーい、席に着けよお前ら」
その声と共にクラスの担任が入ってきた。慌ただしく、それぞれの席へと戻り着座していく。そんないつもと変わらない始まりに、少しの変化が飛び込んできた。
その小さな変化は僕の鼓動を激しく揺さぶり始め、大きな変化へと成る予感がした。
「なんだお前ら静かになりやがって」
先ほどの雑音は嘘のように静まり返り、全員が息を呑むようにして一点を見つめる。
「はい、丁度いいからこのまま転校生を紹介します。自己紹介からどうぞ」
「初めまして。遠い海の向こうからから引っ越してきました、【羽仙】と言いますネ」
その姿からイメージ通り発せられる声は、天使の囁きのようにも聞こえる。美しく光る黒色の髪をなびかせながら少し恥ずかし気に彼女は答えていた。
「分からないことばかりネ、どうぞよろしくお願いしますヨ」
そう言いながら放たれた笑顔は、全員の言葉を失わせていた。それほどまでに、圧倒的な存在感は完全にこの教室の空気を支配していた。
「はいじゃぁ…【真館(まだち】の隣が空いてんな」
「はいネ」
そうして優しく近づき、隣の席へとやって来た。
ほのかに香らせる彼女は、心臓を力強く握りしめるようで急に息苦しくなる。右隣がひりつくように熱くも感じ、顔を向けるだけで精一杯。
「よろしくネ」
「こ、ここちらこそ」
全員の視線がまたしてもこちらに集中していたが、恨み妬み嫉みといった悪感情を向けられる。今まで感じていたものより、強く深く。
そうして一限目が終わった頃、彼女の周りに人が集まっていた。
矢継ぎ早に飛び交う質問に、一つ一つ丁寧に答えながら次の授業までの短い休憩時間を使って。僕は空気のように気配を消し、その輪には入らないように少しだけ距離を開ける。
「羽さんでいいのかな、中国の人?」
「はいネ。両親の仕事でこっちに来たヨ」
「日本語上手ね!」
「両親が昔から日本の仕事、気づけば覚えてたネ」
授業の合間に当たり障りのない質問が飛び交い、気が付けば昼休みのチャイムが鳴り響いていた。
僕はいつも通りに鞄からビニール袋を取り出し、屋上へ向かおうと立ち上がる。
「あ、真館くん。ちょっと聞きたいネ」
突然声をかけられ顔を向けるが、再び直面したその顔と声に体が硬直するように動かなくなる。視点もその瞳に吸い寄せられ、離せない。
「真館でいいよ…」
「分かったネ、真館…あのネお昼って」
「羽さん!食道案内してあげる!行こう」
そう言いながらクラスの女子が、彼女の腕を引っ張りながら教室の外へと連れ出していった。
残された僕に聞こえないとでも思っているのか、「羽さん可哀想」「あいつに声かけるなんて」「相手を考えて答えろよ」「薄気味悪い」などと言った言葉が、行き場をなくしてその場に消えていく。
僕はいつも通りにヘッドホンを耳に当ててビニール袋を握り直し、屋上に向かって歩いていく。
ここは人が少なくて過ごしやすい。
昼休みになると仲の良い人たちは徒党を組んで食堂に集まるか、教室の中で机を合わせて一つの群れを作る。
そうでもしないと弱い人間は生きていけない、自然界でも似たような話がありこれも摂理というやつなのだろう。
そして、その勢力図は一気に塗り替えられる。
彼女の存在感は、それを容易に想像させる。
あわよくば付き合いたいと願う男子がいい人を演じながら近寄り、美しい者には惹かれ合ういしきの高い女子。それらを取り巻き合うように、台風の目の存在となり教室内を引っかき回すだろう。
ほんの少しだけ、遠くから観る分には楽しいだろうと笑みを浮かべる。
いつも通りに誰とも関わらず、ただ静かに。
そうして風の強い屋上でベンチに腰掛ける。
ここでは似たような人が集まっているようで、一人で読書をする女子にスマホを操作しながらにやけている男子。その中で、袋から取り出した菓子パンを頬張る僕。
よく見る人ばかりだが、ありがたいことにこちらに視線を向けられることはおろか嫌悪感も示される事も、この屋上では何も起こらない。
ヘッドホンをせずとも静かで落ち着ける。
吹き抜ける風が優しく体を撫で、体の奥底から何かが綺麗に洗い出されていくような感覚になる。でも決まって、この時間を打ち壊すのは学校中に響き渡るチャイムの音。
またあの空間に戻る事を考えると憂鬱になる。果たして、あの輪に混ぜられることなく遠くから観るだけで済むのだろうか。
今まで何も起きなかったが故に、彼女の言動一つで不満のダム決壊が容易に出来てしまう。
(これも一つの選択なのだろうか)
悪魔の行動とするのであれば真っ向勝負、完全に無視するか関わらないように注意を払う。天使の行動とすれば彼女が声をかけてきたならば普通に対応し、あわよくば仲良くなれたらなと。
いや、こんな血塗られた僕が…そんな事。
それに普通に会話をしようもんなら、周囲からの圧力が凄まじいものとなるだろう。
その証拠に教室の扉を開けた瞬間、いつも以上の気迫を感じ、僕の席は座れるような状態じゃなかった。誰もが彼女を囲み、少しでも仲良くなろうと必死な空気感が作り上げられていた。
「あ、真館戻ってきたネ。そこ空けてあげて」
その言葉に席にいた男子がこちらを睨みつけながら立ち上がり、少しだけ離れていった。
「調子に乗んなよ」
調子に乗った覚えもなければ、この距離であれば彼女に聞こえるとは思うがそこまで頭は回らないのだろうか。
僕は何も気にする事なく、席につく。
そうして午後からの授業が始まると、全員が自分の席へと戻り束の間の静けさが訪れる。
これでも真面目に授業には取り組み、毎度上位のテスト成績を収めている。学校生活においてヒエラルキーが決まるのは、コミニュケーション能力と度胸、そして学力だと考えている。
学力だけはしっかりしていると、先生にも目をつけられるどころか味方をしてくれる事も多い。
何事もなく平穏に過ごすには、これが一番。
それを打ち壊す破壊的な物体が、隣から飛んでくるとは夢にも思っていなかったが。
一枚の紙切れが何重にも折り畳められて、目の前のノートの上に乗っかってきた。飛んできた方向から彼女であることは明白、今は絶対にそちらへと顔を向けることは出来ない。
恐る恐る紙切れを広げ、中を確認する。
そこに書かれていたのは〝お昼どこいたの?〟と、思わず顔を向けた先には屈託ない笑顔を魅せながら僕と目を合わせ、黒板の方へと向き直る。
思わずやめてくれって心の中で叫んだよ。
周りがどうのこうのより、張り裂けそうになる心臓が本当に苦しくて口から吐き出しそうになる。鼓動の音が全てをかき消し、頭の中では悪魔と天使が口論している。
『このまま無視をしろ、そうすれば今後話しかけられることも無くなる。平穏な日々を手にしろ』
『せっかくのチャンスなら掴むべきだろうさ、優しさには優しさを。普通のことさ』
それで簡単に決められたら苦労はない、無視をすれば楽かもしれないが完全に学校生活は終わりを告げることになる。この手紙に返事を返した所で奥の同級生が極まった目線を向け、火種になる事は避けきれない。
僕はただ放っといてくれさえいれば、誰にも関わることなく卒業したかった。
でなければ僕は、組織を。
頭を必死に回転させていると追撃がやって来た、先ほどよりも少、激しめに固く折り畳まれた紙切れ。こちらを見向きすること、無く。
〝なんで無視するの?〟
僕は慌ててノートを千切り、文字を書き殴った。
〝無視じゃなく、屋上で昼ごはんを〟
〝屋上なんて行けるの?皆は違ったよ〟
〝静かで人も少ないから〟
「おい真館、これ当ててみろ」
先生から突然当てられ、慌てて立ち上がりながらも頭は完全に真っ白になり、指さされた黒板へと目を向ける。
その視線はあまり向けられる事のない失望と怒りが微かに混じったようなもので、途端に視界が狭まり周囲がぼやけたような感じに襲われる。
「x=37」
「違う!8だ、ちゃんと話を聞いておけ!」
「すみません…」
よく見ると〝10未満の自然数〟と書かれており、先生が書き足したような条件を見落としていたようだ。僕の悪い癖で焦ると周りが見えなくなる、これだけは昔から気をつけようにも抜けない。
周りからは「ざまあみろ」といった声が聞こえてくるが、気にしてない素振りを続け着座する。これぐらいでは成績に影響はないが、それほどに彼女とのやり取りは教師の目すらも引き寄せているのだと再認識させられた。
再び届いていた紙切れには〝ごめん〟とただ一言。それから返すことは無く、慌ただしかった日が終わりのチャイムと共に終わっていく。
放課後遊びに行こうと彼女を誘う人だかりが出来始めていたが、僕は息を殺しながらヘッドホンと鞄を片手に教室を出ていく。
靴を履き替え、グラウンドの側を抜けて校門から外へと歩き出していく。そうしてヘッドホンを頭から下げた僕は、再び一人の世界へと入る。
耳から流れる音楽に心揺らしながら、少し遠回りながらも人波を避けて細い小道から自宅を目指していく。幸いな事にこの高校も自宅から通える範囲だったので、楽なものだ。
そうして暫く歩いていると突然何者かに腕を掴まれ、振り返ると同時に鞄の中へと手を入れ拳銃を手に掛ける。
「誰だ…っえ?」
「わ、びっくりしたネ。急に振り向くなんて」
拳銃を抜き去らなくて良かったと安堵する。僕の腕をつかんでいたのは彼女、羽さんだった。
天使と相対する悪魔との遭遇、そんな事にならなくて良かったと胸を撫で下ろしながら全身の力を抜き、彼女へと向き直る。
「びっくりしたのこっちだよ」
「何もしようとしてないヨ。鞄に入れた手は何するためなのネ」
「ほら、水筒」
そう言いながら持ち替えた水筒を取り出し、鈍器のように使うつもりだったと説明する。ここ最近物騒なニュースもあるからと話したら、納得したように頷いてくれた。
「どうしても聞きたいことがあったヨ」
「僕に?」
「そうネ、前に駅で助けてくれたのは真館ネ?」
「駅…なにそれ?」
こんな天使を助けたとあれば忘れる筈はないが、そんな事をした覚えが全く無い。必死に頭の中を遡ってみるが、やはり身に覚えがない。
「ごめん、駅で助けたって?」
「ほら、数週間前ぐらいヨ。駅でスリに遭って真館が助けてくれたネ」
「そう言われても……あっ!」
その言葉に、過去の記憶が流れ込むように襲いかかってきた。確かに駅のホームでの中でスリを目撃して助けた記憶はある、それがこんな天使だったとは思いもよらなかったが。
「改めてありがとうネ、まさかこうして出会うとは思ってもみなかったヨ」
「いやいや、忘れてもらって大丈夫だよ。気にしないでね」
「何を言うかネ。〝滴水之恩、当以涌泉相〟。中国には一滴の水の恩だったとしても、湧き出る泉で報いるべしとあるネ」
「ははっ、大げさだね」
「得た恩は一滴の水どころじゃないネ」
そう言いながら何故か胸を張って自信満々に話す表情は可愛らしくも、何処か可笑しかった。吹き出すように笑いながら、あの日のことを思い返していた。
あれは助けたと言うより、タイミングよく現れた正当性をかざせる八つ当たりだ。微かに匂わせる血の匂いを必死に隠すために、何も言わずにその場を立ち去ったので記憶に薄かった。
胸糞悪い仕事の後で、それを発散する先を探していた時に運悪く僕に見つかってしまったに過ぎない。が、そんな事は口が裂けても言えるはずがなく。
「いいよ、その言葉だけで十分だよ」
「駄目ネ!私の気持ちが収まらないヨ」
「えぇっ、これ以上どうしろと」
「何かしてほしい事はないネ?恩返しヨ」
その言葉に一瞬、思いついてはいけない考えが頭をよぎる。それこそ、湧き出る泉を以て報いる方法で。
必死に頭を振り、何も無いと答える。
「困ったネ…」
「いやいや、本当に大丈夫だから」
あまり押し問答を続けているとクラスの誰かに見つかる可能性もある、こんな所見られた暁には明日袋叩きにあうだろう。
「それじゃあ、また明日ね」
そう言い体を無理やり翻すと、またしても力強く腕を掴まれる。
「待つネ…このままでは先祖様にも顔向けできないヨ」
「いやいや、本当に大丈夫なんで」
そうして意味のない綱引きを繰り返していくと、遠くの方から人の声のようなものが聞こえてき、慌てて力を緩めて彼女に近づく。
「分かった分かった、じゃあお腹すいたから何か奢ってよ。それでチャラね」
「ご飯か…任せるネ!」
そう言いながら今度は僕の前へと勢いよく歩き出し、掴んだ腕はそのまま引っ張られていく。
「ちょっ、え」
「付いてくるネ!」
そうして言われるがままに連れて行かれ、気が付けば大通りを抜けて駅近くの人が賑わう所まで来ていた。
向かう先は分からず、自信満々に何処かへと連れて行かれる。人も多くなり改めて彼女の容姿が目立つのか、周囲の視線が注がれる。
いや、この状況は少々気になるのだろう。
天使のような女の子に、冴えなく目つきも悪い僕が引っ張られているのだから。これが逆なら、完全に犯罪者として警察を呼び出されながら周りの人たちが守るように間に入っている事だろう。
考えただけでも少しだけ切なくなる。
容姿は口以上に物語る。
それは表の世界でも、裏の世界でも、
暫くしてある店の前に立ち止まる。その雰囲気から中華料理屋だと分かるが、店の名前がなんとなくしか読めない。
「福…羽…楼…?」
「ささっ、遠慮なく入るネ」
いつの間にか後ろへと回り込み、背中を強く押されるようにして中へと入っていく。
朱色に金の龍があしらわれた、大きな観音開きの扉を抜けた先には大きな店内が広がり、その中には幾つもの円卓が綺麗に並べられていた。
そこはよくイメージする、中華系の店内だった。
「こっちヨ、こっちヨ」
「まだ店員さん来てない…」
「いいからいいから、大丈夫ネ」
その円卓の隙間を縫うようにして背中を押され続け、さらに奥へ奥へと入っていく。
進むにつれて店員さんから刺さるような視線を送られるが、そんな事はお構い無しに突き進んでいき店の固執のような場所へと通されていった。
「お待たせしましたネ、座るヨ座るヨ」
「ここって、もしかして」
「私の家、親の経営する店ネ」
それでようやく納得できた。自信満々に店へと入り、ここまで案内できた上に、お礼と称してここに来た理由も分かった。
「中華料理か、そこまでお腹減った訳では…」
「中華違うネ。中国料理ヨ」
凄みのある顔を近づけられ、その迫力に圧倒される。どうやら中華料理は日本人向けで、中国料理は本場由来の本格的な料理らしい。
初めて聞く違いに驚いていると、水とおしぼりを持った店員さんが入ってきた。彼女はその人と話した後に、いくつかの注文をしていた。
何を話しているか聞こえはしなかったが、一瞬垣間見えた彼女の妖しげな表情が気になる。この店と彼女の雰囲気がそう見せてるだけなのだろうか。
店員さんが立ち去ってすぐ、近くに寄り。
「だ、大丈夫?」
「任せるネ、安心するヨ」
「……わかったよ」
初めて訪れる本格中国料理、一抹の不安を覚えながらも店内のきらびやかな内装や目の前の回転する円卓。
飛び込むすべてが新鮮で、心は弾みそうになる。それでも隣に座りながらこちらを見つめる視線に、落ち着きを取り戻す。
「楽しみネ?」
「ちょっとだけ」
「ふふっ、精一杯楽しむといいヨ」
その言葉通りにしばらくして運ばれた料理の数々は、見たことある筈なのに初めて目にしたかのような新鮮さで驚きを隠せなくなる。
本格的な品々に、今度は緊張を覚え何処から手を付けて良いのか分からないほど。
「気にせずに好きなものから手を付けて良いヨ」
「いや、でも。こんなに食べれな…」
「残してもOKネ。中国はそういうものヨ」
「本当に?大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。気にせずに食べるネ」
運ばれてくる料理のあまりの多さに萎縮しながらも、気にせずに大丈夫という言葉を信じて気になったものから箸を伸ばしていく。
並べられた料理は卓上を自動的に回りながら目の前を過ぎていき、ゆっくりと流れるので箸で取るのは簡単で取り皿に乗せながら口へと運ぶ。
「美味っ」
思わず出た言葉に口を押さえる。
いつも食べていた中華料理が何かの間違いだったのではと、そう思えるほどに美味しすぎる。続けて動き続ける箸は、喋ろうとする口を塞ぎながら止まることをしない。
その匂いも見た目も、全てが想像を上回る。舌鼓を打つとはこの事だろうが、打つより激しく打ち鳴らし始めていた。
「どうネ?」
「おいしすぎます」
「良かった良かった、どんどんと食べるネ」
「ありがとうございます」
気が付けば並べられた全ての料理を堪能し、その言葉通りに完食とは程遠かったがそれでも本当に問題はなかったらしい。
二人しかいないので普段より少なめに作ってくれていたのと、余ったものは持ち帰れるらしくその言葉に甘えてお願いする事にした。
これが中国での常識的な食事風景なのだと。
それもまた、初めて知る事だった。
「本当にありがとうございました」
「いやいや、これはお礼ネ」
「貰いすぎた気がしますよ」
「だから言ったネ?湧き出る泉ヨ」
「泉どころか海ですよ」
そんな自然な会話をしていると、目の前の人物が今日一日で学校を大いに賑わした天使だと忘れてしまいそうになる。
食事に気を取られていたが、改めてその姿とこの状況に冷静になると途端に鼓動が加速し始める。静かなはずの個室で煩く鳴り始め、彼女に聞こえないことを祈るばかり。
だが、そんな事は杞憂に終わる。
心臓とは違う振動を感じ、それに目をやる。
取り出したスマホに表示された文字、それが一気に体を冷やし冷静さを取り戻させる。
「ごめん、ここで帰るよ」
「まだデザート来てないヨ?」
「本当にごめん、急用だ」
「そっか、持って帰るネ?」
「いや、いい。今ある分だけで」
「分かったヨ…ありがとうネ」
「こちらこそ」
沈み込みそうな気持ちを必死に堪えながら、取り繕った笑顔で挨拶を交わす。
「あ、連絡先交換してほしいネ」
「えっ?」
自分でも思う。
こんな一言で気持ちが浮き沈みしてしまう、単純な思考を持っているものだと。
ここで断るのも不自然なので手に持ったスマホをそのままに、QRコードを画面上に表示させそちらをかざしてもらう。
思い返せば家族と組織以外の人で初めての名前が、リストの中に登録される。
笑顔が零れ落ちそうになるが、この後のことを思い返しながら気持ちを引き戻していく。
「ありがとうネ、またいつでも連絡するヨ」
「こちらこそ、本当にありがとう」
料理のお礼なのか、連絡先なのか。
いや、どちらも僕にとっては新鮮でありかたいことの連続だった。久しく忘れていた人との繋がりや、楽しいといった感情を思い出させてくれた様な気がする。
このままの表情を必死に保ちながら受け取った料理を手に、お店をあとにする。扉をくぐってからも彼女は手を振り続けてくれていたが、足早にこの姿が見えなくなるように歩いていく。
背を向け、離れる度に表情が変わっていくのを鏡がなくとも分かってしまう。
仮初の表から、裏に潜っていくように。
やってくる悪魔の時間。
これは仕事の依頼。
ここから近い。
切り替える。
自分を。
暫くしてスマホの画面に目をやり、標的の顔と行動パターン。それに今回の理由と目的を連ねたものを読み上げていく。
標的は『ダズ・レイ』、渡米マフィアの一旦で闇バイトの斡旋、日本人拉致の手引きなどを行っているそうだ。
この街では中国系、イタリア系、アメリカ系の裏稼業者。俗に言うマフィアがしのぎを削り均衡を保っているが、新参者がやってきてはその環境を荒らし始めていた。
裏でやる分には関与しないが表に手を出すとなると、うちの組織が黙っていない。
こいつもまた、粛清の対象になった。
普段は神出鬼没らしいが、ここ数日は決まったバーへと出入りを続けているらしく、その店前で張り込んで油断している所を狙う。
近くの宅配ロッカーに着替え一式が届けてあるとの事なので、指定された場所へと向かい荷物を回収する。遅い時間の仕事になるので制服のままでは目立ちすぎてしまう。この辺りも抜かりなくやってくれるから助かる
そうして着替えを済ませ、いらない荷物は全て近くのロッカーへと押し込んでおいた。こちらも、依頼を出しておけば回収して家まで届けてくれるので後は依頼をこなすのみ。
近くのトイレで装備を確認し、手に握る冷徹な拳銃を隅々まで点検する。
これを怠るとただでさえ焦った拍子に周りが見えなくなるので、そうならないように準備は欠かせない。
時刻は標的がバーへと入る時間の少し前を指し、その店が見える場所へと移動を始める。
ビルの影から店をスマホ越しに覗き、入店するのを確認しようと息を殺しながら待ち続ける。
何も考えず何も感じず。
ただただ店先を見据え、静かにその時を待つ。
(ーきた)
送られていた顔写真と一致する人物が店に入っていくのを確認できる、取り巻きは三人ほど。全員がただならぬ雰囲気をその身にまとっているのが、この距離でも確認できるが問題はないだろう。
懐に忍ばせた拳銃を再度確認し、再び気持ちを鎮めて出てくる瞬間を待つ。
二時間ほど経過した頃だろうか、日付も変わりこの周囲も静けさを増していた。訪れるその瞬間に向けて取り出した手袋をはめ、待ち続ける。
店の扉が開かれ、先ほどの標的とその取り巻きが出てきたのを確認する。僕は後をつけるようにして、ビルの隙間から飛び出し息を潜めながら一定の距離を保ち続ける。
暫く歩き続けると人の気配は無くなり、薄暗い路地の中へと入っていった。
そこから折れ曲がり、コインパーキングの敷地内へと入っていくのを確認。僕も車を取りに来たふりをしながら、近くへと歩いていく。
取り巻きのうちの一人が精算機で会計を済ましている間に、残りの人たちはそれぞれ車の中へと乗り込んでいく。
僕もその後ろへと並び、精算機で操作をする。
頭の中でこの後のことは既に組み立て終えていたので、今回も問題なく遂行できる。その瞬間に備えて心を殺し、余計な考えは捨てていく。
振り返ると、標的らが乗った黒いセダンにエンジンが始動され、音一つなかった場所にけたたましい音が鳴り響く。
発車する前を狙ってゆっくりと近づき、懐から拳銃を取り出しながら後席の扉を勢いよく開ける。
「What ?!」
「ハロー」
開かれた視界の先に取り巻きが見え、運転席の後ろに標的が座っていた。僕は腕を勢いよく振り上げ銃口を向ける。
エンジン音に掻き消されるように、サイレンサーから三発の銃声が車内へと響き渡り計画通りに取り巻きを仕留めていく。
残るは標的のみ。
銃口をそちらへと向けた瞬間、手前の取り巻きを勢いよくこちらに押し飛ばされて腕がブレる。放たれた弾丸は天井を突き抜け、標的はその隙に扉を開けて車から飛び出していた。
予期せぬ展開に慌てながらも、これくらいならまだ焦る時ではない。トランクの上を滑るようにして反対側へと渡り、捉えたその姿に向けて銃口を再び向け直す。
「日本語喋れるな?」
「ジャップが!」
殴りかかってきた拳を躱すと、その拍子に向こうも拳銃を構えこちらに発砲。
響き渡る銃声に少しの焦りを覚えながらも標的の腕を撃ち抜き、拳銃を蹴り落とす。
拳銃を取り出された以上、一般人ではないと確認出来るが念の為とスマホを取り出し標的の確認をする。
「ダズ・レイだな」
「だったらなんだ」
「お前らの組織全体図を教えろ」
「誰が言うかよ、クソジャップ」
再度足に向かって弾丸を撃ち込み、情報を引き出そうとするが何も喋ろうとしない。新参者ながらも、組織の繋がりは強いらしくここではこれ以上の時間をかけるわけにはいかない。
何か出ればよかったが、先ほどの銃声に誰かが通報をしていてもおかしくは無かった。
「なにか喋れば俺の気が変わるぞ」
「Fuck」
続けて撃ち抜いてない四肢に銃弾を叩き込むが、その威勢は衰えることがなかった。
倒れ込んだ標的の上に立ち、額に向けて銃口を押し当てた最後。
「お前らは全員潰す」
「Drop dead」
その瞬間、不意によぎる彼女の笑顔。
その顔に指が躊躇いながらも引き切る。
撃ち込んだ銃弾は、血飛沫を上げながらその額を紅く染め上げる。流れる液体に命が失われていくのを感じ、その恨みのこもった目が僕の脳裏に焼き付けられる。
この瞬間はどうしても慣れない。
肩に重く荷物を押し付けられるように、積み重なっていく何かは僕を潰そうとしてくる。
まだこうして立っていられるのが不思議に思えてくるくらいに、すり減らしながら引き金を引き続けていく。
サイレンが響き渡る前に掃除屋と、警察を食い止める為に組織にも報告しなければならない。
何か得られる情報はないか。車内と標的を弄ろうとした瞬間、連絡先を開いていたスマホが震えだす。
飛び出してきた表示に、一瞬で視界が奪われた。
〝今日はありがとう、またいつでも食べにおいでね。おやすみ……連絡ないからしちゃった〟
何の気もないメッセージだろうが、その一文は僕の中を掻き乱しブレさせてくる。電話をしようとした親指が動かなくなり、全身が硬直する。
どうする、返すか?
いや、今では無いだろう。
でもこちらから連絡するべきでは。
早くしないと警察が来るかもだぞ。
来るかもだろ、通報されたとは限らない。
それでも後でいいだろう。
いや、おやすみって来たんだぞ。
寝るかもってか?夜中にごめんでいいよ。
でも、しかし。
全てを掻き消すように、サイレンの音が遠くの方から響き渡る。慌てて押されたのは組織への発信で、耳に当てながら辺りを見渡す。
人影はないが、あれほどの銃声が響いてしまったのだ。誰かが聞いてこちらを覗いていた可能性だってある、また悪い癖が出てしまった。
『どうしたエイト』
「しくったしくったしくった」
『落ち着け、どうした』
「警察を呼ばれた、すまない」
『分かった、こちらで何とかする。お前はすぐにそこから離れろ』
「すまない」
電話を切ってすぐ、そこから走り出して逃げる。
コインパーキングを出て暫くしてからは、逸る気持ちと足取りを抑えながら、普通に歩いている通行人を装い距離を離していく。
次第に大きくなるサイレンの音よりも鼓動の方が煩くなり、視界が揺れ始めてくる。
そうして大通りに出た頃、サイレンの音も聞こえなくなっていた。だが、休む陽まもなく響き渡るスマホ、落としそうになりながらも手に握ると組織からの着信だった。
「はい、もしもし」
『エイト、今大丈夫か?』
「今は現場から離れました」
『そうか、大丈夫か?』
「はい、すみませんでした。僕のミスです」
『僕?珍しい言い回しをするな』
「あ、いや…つい焦って」
普段から言葉遣いを分けることで気持ちを切り替えていたが、それが混ざって分からなくなるほどに焦っていたらしい。
気持ちを落ち着かせようと空を仰いで、ゆっくりと深呼吸をして整える。
「ねぇ君」
「わっ、はっ!はい!?」
突然声をかけてきたのは、警察だった。
煩かったはずの鼓動は聞こえなくなり、静寂が全身を包みこんでいるようで何も感じなくなる。
「ごめんね電話中に、ちょっと良いかな」
その声に全身を激流のように血液が流れ始め、再び灯された鼓動がかき鳴らされる。手は痺れ、目を虚ろに。何もなくとも、怪しい人物なのは間違いない。
「は、はい、なんでしょう」なんか見てないかな?」
背中を伝う氷の一筋が全身を震え上がらせる。
終わったと、覚悟を決めるしかないのか。
激しけく巡っていた血が、足を伝って地面へと流れていくのを感じながら重たい口を開く。
「事件…ですか?何も」
「そっか、ごめんね電話中に呼び止めて。まだ犯人がうろついてるかもしれないから、お兄さんも気をつけて早く帰りなさい」
「わかりました」
立ち去る警察官の背を見つめながら立ち竦み、何が起こっていたのかも理解できずに呆然とする。
何かを問い詰められるでもなく荷物検査もされずに何事もなく終え、次第にその背中は小さくなっていった。
程なくして、膝から崩れ落ちる。
血の気のなくなった体は脱力しながらその場にへたれ込むように座り、水の中から這い上がったように深く深く息を吸う。
吐き出した安堵のため息は生きた心地を感じさせ、手に握っていたスマホが通話中のままだった事を思い出させる。
「すみません、警察に声かけられて」
『聞いてたよ。大丈夫か』
「はい、大丈夫です。それでどうでしたか」
『その事なんだがな、全くの別件らしいぞ』
「えっ?」
『こっちで掃除屋も手配しておいたからお前はもう、今日は帰れ』
「じゃあさっきの警官も」
『それは知らん。気を抜くなよエイト、そうして死んでいったやつを見てきたからな』
「分かってます、すみません」
そうして通話を切り、地面に手を落とす。
見上げた夜空は星々が美しく輝き、一際目立つ三日月が周囲を明るく照らしてくれていた。その景色で冷静さを取り戻しながら、体を立ち上がらせる
今日はもう大人しく帰ろう、何かが起こる前に。
その日は自宅へと真っすぐに帰っていくが、遠くの方で微かにサイレンの音が再び響いている。これ以上の事は何も考えたくない、頭を空にしながら足だけを動かし続けていく。
自宅に戻って直ぐは着替えもせずそのまま泥のように眠り、目が覚めた時にはベットの上で横たわっていた。
重くなった頭を持ち上げ朧気な意識のままスマホを手に取ると、何故か画面が表示されない。暗い画面に酷い顔が映っている気がするが、ボタンを押しても反応がないので充電が切れているよう。
近くにあった充電コードに手を伸ばし、差し込んで起動するまで待ち続ける。
次第に霧が晴れたような頭の中では、昨晩の出来事が渦のように繰り返されさらに気持ちは重くなってしまう。
暫くしてスマホが震え、画面が表示される。
表示された時刻に目をこすりながら向ける。が、既に学校は始まっている現実だけが飛び込んでくる。何度か見返してみたが、間違いではない。
慌ててベットの上から飛び起き、風呂場へと向かって駆け下りていく。誰もいない家の中で起こされる事も無く、昨晩の疲れに寝過ごした様だ。
シャワーを浴び、制服に腕を通していく。
朝ごはんなど食べる時間が無い。ごはんと言えば、昨日の中国料理の持ち帰りが宅配ボックスの中に届いていたのを確認し、取り出す。
丁寧に依頼した業者がクーラーボックスに入れて置いてくれていたのでそのまま持ち出し、慌てながらも学校に向けて家を飛び出す。
肩で息をしながら着いた頃には、二限目が終わるチャイムが鳴り始めていた。インターホンを押して校門を開けてもらい、そのまま息を切らしながら教室に向かって駆けていく。
勢いよく開かれた扉の音に、全員の視線が集中してしまった。何か囁かれている気もするが、頭を俯けながら自分の席へと早足で抜けていく。
席に座ると彼女はこちらを見向きする事なく、奥の席の男子と楽しそうに話していた。
鞄をかけ、次の授業の教科書を開けているといつもと違う雰囲気が教室を包み込んでいた。
向けられる視線が熱を帯び、その感情や言葉の節々は嫌悪感を剥き出しにされているようで、考えたくは無いが昨晩の雰囲気が残っているのか、それとも血の匂いを感じ取られたのか。
異質な空気感は体にまとわりつき、言い表せない不安が胸の心臓を強く打ちつけてくる。
僕はそれ以上に考えることを止め、慌ただしく流れる呼吸をゆっくりと落ち着かせて次の授業に意識を向けていく。
その後は何もなく授業を終え、昼休みを迎える。
いつものように屋上に向かおうと立ち上がり、家から持ってきたクーラーボックスを手に取る。
そうして教室を出ようとした瞬間、扉の前に一人の男子が仁王立ちの構えで立ち塞がってきた。
「ごめん、どいて」
「ちょっと待てよ真館」
騒然とするクラス内で、何故か後ろも囲まれる。
ただならぬ雰囲気を感じながらも、ここまでされる理由が見当たらない。昨晩の事がどこからかバレたのであれば、問い詰められるいわれはあるが。
ただ、冗談でやっているとも思えない。
「ごめん、何。身に覚えがないんだけど」
「お前、羽さんの連絡無視してるって本気か?」
その言葉に全員が沈黙を覚える、僕もその内の一人ではあったが。暫くその意味を考え、思い返してみるがやはり身に覚えがな……。
「あっ!!」
「どういうつもりだてめぇ!!」
そう言いながら目の前の男子は胸ぐらを掴み始め
、まさに一触即発の状態になる。
思い返せば、あれから昨晩のメッセージに返信すらしてなかった。慌ててスマホを取り出すと、アプリ内で何件かの着信履歴も確認でき、全て彼女からのものだった。
「ちょ、マジでごめん!違うんだって!」
そう言いながら振り返ると彼女は、焦った表情を浮かべながら狼狽えていた。周りを取り囲む男子に、そこへ援護射撃をする女子達。
見方はおらず、孤立した僕だけが成す術なくやじを投げられ続ける。
さっきまでの空気感が全て一致した。恐らく、連絡がなかった件を彼女が漏らしたのだろう。それに良い格好をしようとした男子に、悲劇のヒロインに乗っかるような女子達。
見事なまでの構図が、僕のいない間に作り上げられていたのだ。
「昨日は寝てたし、今日だって遅刻してきたの見たろ。そんな時間なかったんだって」
必死に弁明するが、まさに火に油。
胸ぐらをつかんでいた男子の右手が固く握られ、頬をめがけて放たれる。
その衝撃に後ろに飛ばされ、尻もちをつくような形で倒れ込み、机に頭をぶつける。
男子は盛り上がり、女子は少し引いている。
それも無理はない、喧嘩じみた雰囲気に激しい衝突音が教室中に鳴り響いたのだ。慣れない状況なら、その光景に驚き言葉を失うのだろう。
ただ、俺は違う。
激しい痛みと共に頭の中でスイッチが切り替わったような感覚になり、そのまま立ち上がり殴ってきた男子を睨みつける。
「な、なんだその目は!」
「五月蝿えよ」
ゆっくりと歩み寄り、切れた口元の血を拭う。
調子に乗るなよ、こんな事で。
そろそろこの環境にもうんざりしていた。
ここで手を出せば全て変わるだろう。
しっかりと、立場を分からせてやる必要がある。
「来るなよ!」
再び殴りかかってきた腕をかわし、逆に胸ぐらを掴んで持ち上げる素振りを見せる。捻り返した襟は喉元へと食い込み、呼吸を遮らせる。
「ちょ、やめ、はな、て」
静かに〝喋るな〟と呟いた瞬間、小さな手が僕の腕を掴んでいた。
「ちょ、やめるネ!」
その言葉と掴まれた手から伝わる温もりが視界を広げていき、徐々に感覚を戻していった。
焦った僕は手を離し、その場にむせ込みながら倒れ込む男子を見下ろしながら我に返る。
「ご、ごめん…僕」
そう言い残しながら教室を飛び出し、廊下を走り抜けていく。
やってしまった。
その感情だけが渦巻き、焦りを生み出す。
誰かの肩がぶつかりながらも、廊下を抜けた先の階段を駆け上がり屋上の扉を勢いよく開け放つ。
その勢いのまま走り抜け、いつものベンチへと飛び込むように腰掛ける。
頭を沈めながら手で覆い、何も見えないように、聞こえないようにと外を遮り気持ちを落ち着かせようと必死にもがく。
(駄目だ、駄目だ、駄目だ。やってしまった)
手を出したことや、衝動に駆られた事よりも。
裏の人間の俺が手を掛けようとした。
それだけは絶対で、破ることの許されない掟。
それをやりそうになった僕に、俺に。
何度も責め続ける。
勢いよく見上げた空は青く広がり、全てを包み込んでくれそうな気がしたが、やってしまった事実は変えることができない。
昨日気を抜くなと言われていたのに、早速僕は。
見上げたまま雲を眺め、現実から意識を切り離しながら一緒に流されるように思考は止まる。
「おい、大丈夫ネ?」
突然視界に入ってきたのは彼女だった。
「うぉっ、羽さん?!」
「大丈夫?痛くないネ?」
「どうしてここに?」
「心配して追いかけて来たネ」
そう言いながら風になびく黒色の髪を手で押さえながら、笑顔を浮かべていた。よく見れば、背中から伸びた羽が見えそうな位に青空がよく似合う。
「ごめんなさい、僕のせいで」
「違うネ、私もそんなつもりで言ったんじゃ」
「大丈夫、大丈夫。多分だけど、周りが勝手に盛り上がったんだよね?」
「いやそれは……まぁ、そんなとこネ」
「だから大丈夫」
取り繕ってはみたが彼女の笑顔を見るに、あながち間違ってはいなかったらしい。そんな事に少し胸を撫で下ろすが、それでもあの教室に戻りたくない気持ちは膨らんでいく。
「あ、そうネ」
思い出したかのように、後ろ手に抱えていた僕のクーラーボックスを渡してくれた。中身のことを思い出して少し恥ずかしくなりながらも、それを受け取る。
「今日は何食べるネ?」
「いや、今日は…」
「ほら、クーラーボックスの中身ネ」
そう言われ、諦めたかのようにチャックを開けて中身を取り出す。
「あら、これは私の店のやつネ」
「うん、ちょうど良かったから。それに美味しかったし」
「ありがとうネ、冷めてもおいしいヨ」
「こちらこそ、昨日はありがとう。連絡できてなくてごめん」
「いいネいいネ、気にするなヨ」
気が付けば彼女は隣に座り、風にそよぐ香りに心奪われながら視線をご飯へと集中させる。
「そうネ、今から私と抜け出すヨ」
突拍子もない提案に言葉を失うと同時に、立ち上がった彼女は僕の手を引きながら入ってきた扉の方へと向かっていく。
「ちょ、羽さん!?」
「大丈夫ヨ、いいから行くネ」
「いやいや、まだ昼休みも終わってない」
「さっきの事があったネ、仕方ないことヨ」
そうして向かった先は教室で、中には入らずに待っているようにと言われ外にクーラーボックスで立っている。
昼休みなので何人もすれ違っていたが、こちらに気を止めることはない。
スマホを見ながら俯いている者、中身のない会話で笑い声を上げ、それに同調する者達。そんな中に上手く紛れていれば、先ほどのような事は起きなかったのだろうか。
そんな事を考えずにはいられないこともあるが、そんな気持ちは次第に薄れていくだろう。
僕がここに通う理由はー。
「お待たせ、行くヨ」
その両腕にはそれぞれ鞄が下げられ、その内の一つを渡される。よく見るとそれぞれの鞄を携えて、再び腕を引かれ何処かへと向かっていく。
「え、ちょ。大丈夫?」
「大丈夫ネ!先生には言ってあるヨ」
「そういう問題じゃ…」
靴を履き替え、校門から外へと出ていく。
歩いてきた道はまだ昼休み中の生徒で溢れており、二人である姿は全員の興味を集めるのには十分だったようで辺りは騒がしくなっていた。
「どうしたの急に」
「ん?いいから付いてくるネ」
その言葉に、少しの違和感を感じていた。
以前に誘われた時とは違って、優しさから出た言葉というよりも少し棘を感じているのは気の所為だろうか。
もしかしたら、昨日の事をまだ根に持っているのだろうか。彼女ほどの人が連絡を返されないという事は無かった筈、そこを刺激してしまったのだから何を考えていたのかは想像するべきだった。
「ごめん、もしかしてまだ怒ってる?」
「ん?何がヨ」
「昨日の連絡のことだけど」
「その事はもうどうでもいいネ」
「でもなんかその…雰囲気が」
一気に膨らんだ違和感は彼女からではなく、この場所から感じ取っていた。その事に気づいたのは、彼女が突然立ち止まった瞬間だった。
細い路地に、人影もなく。
昼間だというのに気味の悪さが全身を包む。
そうして振り返ろうとした瞬間、首元に激しい電流のような衝撃が走り意識が飛びそうになる。
咄嗟に鞄へと手を伸ばし、拳銃を構える。
が、その拳銃は無い。
意識を繋ぎ止めつつ焦りながらも、腕を弄ってみるが矢張り拳銃の感触は見つけられなかった。
倒れ込みそうな体を足で力強く支えながら顔を見上げると、その先には嗤っている天使が。
再び訪れた電撃によって意識は途絶える。
何が起こったのかも分からぬまま真っ暗な闇の中、朧気な意識が戻り始める。重たくのしかかった瞼をこじ開けながら、光が差し込む。
五体は満足そうだが、両手用足は椅子に固定されているようで動かせはしない。足元の床は何処か見覚えがあり、頭を持ち上げた先の景色でこの場所が判明する。
先日訪れた、福羽楼の個室だろうか。
辺りを見渡す為に顔を動かすと、首の後ろが激しく痛み始める。気を失った時に何かされたのだろうが、何も分からない。
次第に晴れた視界は、この場所を決定付けていた。
力を入れて椅子に固定されていたロープを外そうとするが、頑丈に巻かれており微動だにしない。
こんな生活、仕事を続けていたのだからろくな最期を迎えないだろう、とは思っていたがその瞬間がこうして訪れる事になるとは。
暫くもがきながら辺りの情報を集めようとするが、何も得られるものはなかった。
あるのはたった一つ、彼女がー。
そうして開かれる扉。
入ってきたのは彼女、羽仙。
その表情には嗤い顔を浮かべている。
いつもの天使のような雰囲気は薄まっていた。
「ごきげんようネ」
「何のつもりですか、これは」
「お話をしにきただけヨ」
「お話にこの状況は可笑しいでしょう」
「可笑しくないネ」
そう言いながら彼女は目の前の円卓に座り、僕を見下すような姿勢で睨みつけてきた。
「【ナンバーズ】、初めましてヨ」
そうして手に握られていた拳銃を、僕の額へと突きつけてくる。その拳銃には見覚えがあり、よく見ると鞄の中にあったはずの物だった。
「どうしてそれを」
「鞄の中に放置なんて不用心ヨ?」
「教室の外で渡す前か…いつから?」
「転校する前からヨ」
「最初からって事か」
「ふふっ、貴方を想ってここまで来たね」
「状況が状況なら嬉しかったよ」
どうやら始めから僕が狙いだったらしい。ナンバーズ、僕の組織の事まで知っているという事は彼女も裏の人間で敵対関係にあるらしい。
「新興マフィアか、中国系の」
「ピンポーン、正解ヨ」
「その拠点がここ…何が目的だ」
「分かりきった事ネ、ナンバーズの構成と情報をすべて売るヨ。命は助けてあげるネ」
「誰が吐くかよ」
「だよネ…昨日も自白剤入りの料理を振る舞ったのに、意味なかったから強硬手段に出たヨ」
「その手の耐性はつけられているヨ」
「だからこうして直接お願いてるネ」
目的ははっきりとした、どこからか僕の情報を仕入れて行動に移したのだろう。それほどまでに新興勢力が焦り始めている証拠ではあるが、この状況をどうにかしなければ意味がない。
せめて組織に連絡でも出来ればいいが。
そんな事は不可能に近いだろう。
「ほらほら、教えてヨ。なんならナンバーズを潰した後、真館だけは私が安全に飼ってあげるネ」
「魅力的な提案だな」
「逃げようとしても無駄ヨ、外には何人も待機しているネ」
「笑えない冗談だ、逃げれないよ」
本当にこのままでは逃げるどころか、この拘束を外すことすら叶わない。何とか会話を続け、考える時間を稼がねば。
「どうして俺を狙った」
「ん?そうネ」
そう言いながら胸元から一枚の写真を取り出し、こちらに見せつけてくる。そこに写されていたのは家族の写真で、先日僕が仕留めた標的の者で間違いはなかった。
まさか、あの写真の娘が彼女なのか。
「あ、違うネ。これ私のパパ違うヨ」
「なら何故この写真を」
「この娘が私の親友ネ」
「いやいや、おかしいだろう)
光悦の表情を浮かべ、彼女は続ける。
「これは一つのお礼ネ、こいつらを殺してくれてありがとうって」
「お前がそれを知る筈はない」
「何故ネ?」
「だってそいつらを仕留めたのは、お前が転校してきた日だろ。辻褄が合わない」
「その依頼は私が流したネ」
だとしても俺が狙われる理由にはならない、この学校に転校してきたのもただの偶然だというのだろうか。
「前に言った駅で助けられた件がきっかけね」
「あんな事でどうして俺を狙った」
「ふふっ。あの時は放っていた殺気と迫力は、堅気には出せないよ、私…目と鼻は良いヨ」
彼女を助けたあの日、確かに後味の悪い仕事の後だった。表の人間をかなり巻き込んだ、裏組織同士の抗争がありそれらの主要人物の一斉掃討。俺の組織から何人も駆り出され、奴らの拠点は言葉に表せないぐらい悲惨な現場ばかりだった。
「それにライバル組織を潰してくれたお礼も兼ねてヨ。私のような天使が導いてあげるネ」
「自分で言うか」
「周知の事実ヨ」
そう言いながら全身をくねらせ、誘惑するような動きを魅せつけてくる。途端に切り替わった笑顔は、確かに天使だと思っていた頃のものだった。
あの日の抗争がライバル組織と言うのであれば、何処から見られていたのだろうか。僕も、視野が狭くなると本当に駄目だな。
だからこそ今が不思議に思える。
首筋の痛みのせいなのか、視野は広くなりこの部屋の全てが手に取るように分かってきた。捕まった段階で焦り駄目になりそうだが、今は違う。
手足を縛っているのは手錠や鎖ではなくただのロープ。腕時計に仕込んである仕込みナイフで切り取ることは可能だが、その一瞬で場を制圧しなければならない。
余裕のある表情を見せる彼女の話している外に待機している敵、恐らく嘘ではない。その証拠に壁の向こうから、殺気のようなものを感じる。
冴え渡る頭の中に反して、体は次第に熱を帯び始めてきた。
「それにネ、真館を狙ったのは個人的な理由ヨ」
「嬉しくて泣けてくるね」
続く言葉に光悦な表情は更に増し、光のない目は僕を吸い込んで飲み込みそうな程だった。
「あの駅で見せた殺気とその目、ゾクゾクしたネ。私の中で何かが生み出されたヨ」
「何を言って」
「人を人とも思わない愚物を見るような視線、私もそれに晒されたいと感じたネ」
「そんな事で目をつけたのか」
「そうネ!私の子宮が震えたヨ。なのに再び会った時にはがっかりしたネ」
そうして話し続ける彼女の口元からは透明な液体が垂れ落ち糸を引いている。一つ一つを思い出すかのように天井を仰ぎながら、銃口はブレることなく構え続けた。
「でも、あの道で振り返った時の目は最高だったネ!この私が一瞬で逝かされてしまったヨ…あの目が欲しいネ、あの視線を釘付けにしたいネ、あの雰囲気で私をまとって欲しいね」
彼女の目は完全にイカれていた。
「駄目ね、思い出すだけで濡れるヨ」
「……異常者が」
「だから私に飼われて欲しいネ。餌はちゃんとあげるヨ?住処だって用意するネ、狭いかもだけどきっと満足するネ」
「俺を生殺しにするつもりか」
「あぁっ、その表情。その悪魔みたいな表情ヨ!早く早く、私にこの引き金を引かせないでヨ!」
その間、腕時計から飛び出したナイフでロープに力を込める。気付かれないように、意識を他に向けさせるようにしながら。
「分かった。どうしても情報が欲しいならスマホを寄越せ」
「良いヨ…その表情。仲間を売った罪悪感と私への怨念が込められてるネ」
「こんな事で死ぬのは御免だ、いつかその首に喰らいついてやるぞ」
「いいネいいネその意気ヨ、本当に堪らない顔ネ」
今はこれでいい、今だけは。
「それでスマホ?何処にあるヨ、服の中カ?」
「俺の鞄に入ってるだろ」
「焦らすなんて連れないネ、待ってろヨ」
焦るな、慌てるな。
音を立てるな。
体を動かすな。
急げ、この瞬間しかない。
確実に刃を立てろ、斬れ。
「ねぇねぇ、ロックされてるヨ」
そう言いながらこちらへ、スマホの画面に目を落としながら歩み寄って来た。そうして画面を顔にかざしてくるが、それでは解除されない。
「認証系は登録してない」
「面倒くさい奴ネ、パスワードは何ヨ」
「k.u,t.a.b.r.e」
「ケーユー…」
文字を打ち始めた瞬間、既に切ってあったロープを外し腕を大きく広げながら拳銃へと手を伸ばす。
「な、何する!」
「くたばれ」
銃をを翻しながらこちらへと手繰り寄せ、奪い返すことに成功する。これで突き出した銃口は彼女の動きを封じ、経済を逆転させる。
すかさず足のロープも切り落とし、立ち上がる。
「仲間を売るぐらいなら死んだほうがましだ」「中々に唆らせるな、真館」
「片言忘れてんぞ、余裕がなくなったか」
ここで撃つのは簡単だが、外の勢力数が分からない以上得策ではない。人質にとって逃げる事も考えたが、どれ程の立場なのかはまだ把握しきれていなかった。
簡単に切り捨てられるなら、意味はない。
「大人しく逃がしてもらおうか」
「そうはいかない。お前は私の物」
構えた銃口もお構い無しに飛び込んできた彼女を躱し、仕方なく銃弾を撃ち込むが外れてしまった。続けて両腕を掴まれ、膠着状態となる。
「観念するネ」
「まだするかよ」
暫くして激しく開かれたドア。
敵が流れ込んてくる事を覚悟した俺は、一か八かお腹を勢いよく蹴り上げ背後に回り込みながらこめかみに銃口を突きつける。
「動くな!」
叫んだドアの向こうから出てきたのは、何故か敵ではなかった。
「おぉ、がきんちょ。生きてたか」
「八雲さん?!」
「誰だこの糞アマァッ!」
「おお、美人は怒ると怖いねぇ」
暴れ狂いながら喚き散らし、抑え込むのに必死になり拳銃を地面に落として羽交い締めにする。
八雲さんは煙草をふかしながら、一言。
「殺せ、エイト」
初めて呼ばれた名前で、全身に電流が走る。
この時だけは行動に迷いがなかった。
緩めた腕を首元へと組み、一気に絞め上げる。
見返すようにしてこちらへと顔を向けるが、構わずに力を込め続けていく。
「あぁっ、いいっ、まさに……悪…ま…」
気持ちの悪い声を上げながら次第に力は抜けていき、最後には抵抗もなく満面の笑みで尽きていた。
確信し、地面へと落とし込む。
「良くやった、ご苦労さん」
「いえ、ありがとうございます」
そうして、ドアの向こうで数人が作業をしているのが目に入った。どうやら掃除屋達が、大掛かりな仕事を始めているらしい。
拾い上げた拳銃を持ち、八雲さんに問いかける。
「何故ここに、掃除屋では?」
「何故ってそりゃ…ずっと見てたからな」
「へ、見てた?」
「そりゃそうさ、上からの依頼でね。新人を一人前になるまで頼んだって」
「いやいや、それにしても掃除屋ですよね」
「私にだって見せてない顔の一つや二つあるさ」
そう言いながら笑って、八雲さんはドアの向こうへと歩いていった。
一気に疲れが襲いかかってきた僕はその場に座り込み、隣に横たわる羽を見て考える。
独り立ちできていたと思っていたが、組織から見ればそうではなかったらしい。僕みたいに予期せぬ暴力に呑み込まれない様にと、誰かを守る為にこの組織に足を踏み入れたが、まさかずっと守られている立場だったとは。
コードネームで呼んでくれたのは、一つの成長なのだろうか。
それならば、嬉しいな。
横たわる天使の傍に座り込む悪魔。
文字だけ読めば神話的なワンシーンだが、現実はそうはいかない。
血塗られた現場に、死臭漂う空気。
怨念のこもった視線からは逃れられない。
全てを背負いながら、僕は生き続ける。
その為なら悪魔に魂を売って成ってやろう。
この選択が間違いでないと、笑える日まで。
ご完読、誠にありがとうございます。
また長いと言われるなら謝ろう!
どうもすいません…。
ぜひ次回もお楽しみに。これからも応援よろしくお願いいたします。また次話でお会いしましょう(*´∇`*)




