探するは警察の心
こんにちは、ノウミです。
たくさんの小説や素晴らしい作品がある中で、私の作品を手に取っていただきありがとうございます。
これまでに多くの作品を発表してきましたが、皆様に楽しんでいただけるよう、これからも様々な物語をお届けしていきます。
皆様に「読んでよかった」と感じていただけるよう、
一層精進してまいります。
どうぞ、これからもご期待ください。
幼いころから夢に抱いてた職業であると、今の僕に断言はできるだろうか。
勤務、拘束時間も長ければ命の危険だってある。見たくないことに目を瞑る事は出来ずに、不快な気持ちにさせられる事も何度だってあった。
はたから見ればまだまだ新人のお巡りさんと呼ばれるだけの僕だけど、日々薄れていく憧れや夢がいつか消え去ってしまった時に果たして、今の仕事を続けていられるのだろうか。
「すいません、落とし物なんですけどー」
「はい、ありがとうございます。ではこちらの用紙に…」
「お巡りさんばいばーい」
「はい、気を付けて学校に行くんだよ」
「なんだお前!」「やんのかてめぇ!」
「はいはい、二人とも落ち着いて!」
落とし物を届ける律儀な人、元気の塊を滲み出す学生たち、夜になると現れる険しい顔で喧嘩を繰り広げる若者。
こんな毎日が、僕の心を少しずつ蝕んでいく。
些細な喧騒がありながらも平和な日々の裏には、言い表せない程の絶望を抱いている人もいる。
その現場に一番近い僕は、一体何を抱くのか。
そんなある日、非番の僕は買い物に出かけようと自転車に乗って町に繰り出していた。そうしてしばらく走らせていると、見知った顔がいたので声をかけようと近づいていく。
「なにやってんすか、こんなとこで」
最近、ある一件からよく話すようになった人物と出会う。見た目は三十代後半の男性で、身なりは整ったスーツ姿をしてはいるが、その行動は怪しく誰かを尾行しているようにしか見えない。
「おお、君か。久しいな」
「久しいって、この前も会いましたよ」
「私にとっては一日会わないだけで、それはもう久しいになるんだよ」
「…分かりましたよ」
そう言いながら笑う男の名は【佐島国広】。一度身分証明書を確認した事があるので、間違いはない。
「また仕事ですか、前も言いましたがもう少し見つからないようにやって下さいよ」
「すまんねえ、周りなんか見えないもんで」
「で、今日は何なんです?」
「…浮気調査だよ」
頭に引っかかるようで何処か見覚えのある彼が行っているのは探偵業務らしく、実際に現場を目撃してはいるがそれすらも怪しみたくなるほど言動の全てが胡散臭い。
いつも思い出せそうで、思い出せないでいた。
とはいえ、こうした行動に声をかけることはあっても咎めることはしない。別に捕まえるつもりも応援を呼んだり、上司に相談することもしない。
何故なら…。
「ほれ見給え、牧田くん。決定的な瞬間だよ」
そういいながらシャッター音が聞こえなく細工したスマホで何度も写真に収めようと撮り続けるが、その先に見えたのは二匹の猫だった。
「ついに、仕事がなく遊び始めましたか」
「違うんだよ牧田くん。これも立派な依頼でね、猫の浮気調査だよ」
ついに頭がおかしくなったのかと、口を押さえながら表情を隠す。
「依頼主の飼い猫でね、家にはメス猫もいるんだけど外に行った時が怪しいと相談を受けたんだよ」
「すいません、お仕事中に。失礼しました」
そういいながら自転車へと跨り、その場を去ろうとペダルに足を乗せると必死に止められる。
「待ち給え牧田くん」
「離してください、公務執行妨害ですよ」
「酷いね〜。いや、ちょっと待ち給えよ!」
そう言いながらハンドルを掴みかかり前方を塞ぐように立ち尽くしながら、少し騒がしくしすぎたのか周囲からの視線も集め始めていた。
「もしかして、またですか」
「お、よくわかったね」
おおよその話は想像ができ、深いため息を吐く。この人がこうして真剣な話をするのは三回目で、初めは疑いもしたがその気持ちも徐々に薄れ始めている。
「場所、変えましょうか」
「ちょっと待って、まだ写真が足りない」
そう言いながら何枚も写真を撮り続けた後、満足げな表情を浮かべて写真を確認し始めた。
一通り終わったのか、突然ある一点を静かに見つめる。
急に変な行動をするのはいつもの事だが、その視線の先にあったのが個人でやってるようなレトロな喫茶店。丁度いいなと話し、そこへと移動することにする。
外は焼けるような暑さで照らされており、喫茶店の中は天国のように涼しかったがこの人と二人で来ている事実だけが不快感を漂わせる。
奥には女性のマスターらしき人が一人で切り盛りしているようで、水とおしぼりを持ってきてくれていた。レトロな喫茶店にしては珍しいなと、その人を見つめていると。
「で、元気かい?」
「なんですかその質問、早く本題に入ってくださいよ」
「焦るなよ少年、事を急いては仕損じるだよ」
少し苛つきながらも、頼んでいたコーヒーが二つ。目の前に置かれ、渇いた喉を潤すように流し込んでいく。
「美味しいだろうここ、マスターも若くて美人だし」
「帰りますよ」
「わかったよ、わかったよ。そう怖い顔を向けないでくれよ」
三回目、佐島から真剣な話を持ちかけたのは決まって何かしらの事件が起きた時だけだった。前回の時は、その言葉の通りにバスジャックが起きる瞬間にその場に居合わせて取り押さえることが出来ていた。
だからこそ、持ち掛けられる話は無視できない。ただ、謎に思っているのが前回の犯人は特に目的もなく、人とも接点のない引きこもりだったのに事前に知り得たその一点だけ。
何処からか情報を仕入れているのだろうが、それらしい接点は見つけられなかった。
「さぁ、話すとするか。私としてはもう少し、君の話に花を咲かせたいのだが……おっと、これ以上は不味いようだね」
「お願いしますよ」
「この町で起きる…放火」
その言葉に全身に緊張が走り少し息が詰まる。
忘れもしない。二度と思い出したくはないが何度も何度も記憶が繰り返される、あの人が僕の事を決して赦さないようにと。
「再び起きるよ、もう一度この町で」
「知ってるなら居場所は」
「それはいつもの通り、大雑把にしか」
「ならなんで、そんな事を知っている!!」
あれから警察が全力で犯人を追い求めてはいるが、それらしい痕跡は見つけられないでいた。それをこの目の前の人物は、胡散臭い探偵と自称してる奴が情報を掴んでいるなんて。
ふと我に返ると、喫茶店にいた人たちがこちらに視線を集中させていた。それほど広くない店内だったので、思いのほか僕の声が響き渡ったらしい。
「落ち着き給えよ」
「ご、ごめん」
そう言いながらコーヒーを優しく口に運び、その落ち着いた動作にまた声を荒げそうになる。
「前にも言ったとは思うが、私はこの症状をコントロールできない。予知夢とも呼ぶべきだが、ある日突然に訪れると」
「そんな話信じると思うか」
「信じるか信じないかは君次第だよ。でも、その身には感じているんじゃないか?」
「白々しい…」
「だって私、その女の事なんてしらないよ〜?」
初めてこの話を持ちかけられた時も同じような説明をされたが、その話を信じるしか無かった。
独断で佐島国広という人物を調べようとしたこともあったが、何も出てこなかった。数年前からこの町で探偵を生業として生計を立て、何かの事件に関与した証拠もない。
「それで、はじめの質問に戻ろうか佐島くん。君は今、〝元気かい?〟」
元気なわけない。
あの日僕は、放火魔の姿を見つけ手の届く範囲まで捉えることが出来ていたが、眼前に広がる凄惨な光景に全身が硬直したように動けないでいた。
やつを逃したのは、僕の責任だから。
「元気そうで何よりだよ」
「何を見て…」
「君は今生きているじゃないか、それに私の話を聞いて…ほら」
指差すのは机の上に置かれた僕の拳だった。
自分でも気づかない程に力強く握られ、慌てて手を緩めて開くと、そこには爪の跡がくっきりと残っていた。
「後悔、無念、憤り。その感情は生きる上で必要なもので、無いままに人は前に進めないよ」
「急に何を」
「何も起こさない人間には、決して宿らない感情。これまた私の持論だけどね」
この感情を抱きながら生き続けねばならないのなら、何も起こさずに過ごしたかった。
そう思わずにはいられない。
「犯行はおそらくこの三日の内に、この場所で」
「はっ?何でここに」
「言ったろ、予知夢だよ。君がたまたま声をかけて、それがたまたまにこの喫茶店の近くで、たまたまそこでコーヒーを飲む」
そう言いながらレシートを手に立ち上がり、飄々と会計を済ませてベルの音を鳴らしながらドアの外へと出て行った。
残された僕は言いようのない感情だけを内に渦巻きながら、残りのコーヒーを飲み干す。
二度あることは三度ある。
あの話を身に沁みてしまった今、僕のやる事は一つだけ。今度こそ、未然に防いでやる。
そう強く誓いながら、僕もベルを鳴らす。
僕は非番ながらも時間の許す限り周囲を警戒しながら、夕方ももう一度来店し閉店後も近くに腰掛けながら過ごしていた。
前回の放火も暗くなってから起こされたもので、人目を憚りながら犯行に及んでいる。
その翌日もパトロールと称して警戒に当たるが、良くも悪くも何も起こらない。
迎えたのは運命の三日目。
「おい佐島、またパトロールか」
「はい。すいませんが、行ってきます」
「まてまて、俺も行こう」
口から心臓が吐き出されそうな位に緊張している所、声をかけてきたのは班長だった。僕が配属されてからずっとお世話になっている人物ではあるが、今回のことは相談できずにいる。
前回の時も変な疑いをかけられたから。
流石に断ることも出来ずに、共にバイクへと跨りながら夜の町へと繰り出すことになる。ここ最近口数も少なく距離が空いているように感じていたが、急に同行するようになったのは珍しい。
その言動に、違和感を感じずにはいられない。それよりも今日が放火魔の現れる運命の日、今度こそ犯人を捕まえてこの思いを断ち切りたい。
ハンドルの握る手も強くなり、眺める景色を横目にあの喫茶店へと向かっていく。
到着した喫茶店の周りは人気もなく、薄っすらとした静けさの中に謂れのない不気味さが漂い、照らす月明かりがより一層心臓を締め付けてくる。
「おい、急に止まってどうした。大丈夫か」
「大丈夫です、ちょっと気になるのでこの辺りを警戒してきます」
「あ、ちょっ。おい!」
班長の言葉を振り切るようにバイクを止めて喫茶店の方へと向かって歩いていき、探るようにして辺りを見渡しながら怪しい人物がいないか探してみる。
「おい牧田!落ち着けって、止まれ」
後から追いかけたのか、肩を勢いよく掴みかかりながら後ろに強く引っ張られる。
「何があった、おい」
「すいません。今はまだ」
「またかお前は…前もあったよな」
「その時は信じませんでしたよね」
「それは…そうだが」
「なら放っといてください」
肩を強く振りながら手を解く。
見られる人によっては上官に反抗的な態度を示した生意気な奴に映るだろうが、正直クビになろうが辞めさせられそうがどうでも良かった。
この後に起こる放火、その犯人をこの手で捕まえることが出来たのであれば何かを吹っ切れる気がする。
今だけはこの制服を着て、やるべき事をやる。
「何かが起こるのか、ここで」
「どうなんでしょうね」
腕に着けた時計に目を落とすと、時刻は深夜12時に差し掛かろうとし、それは約束の時間が終わる事を意味していた。
このまま何もなければ放火が起きなかったという安心感を抱けるが、あの日の犯人かもしれない人物が現れないという、この先も続く泥沼のような現実に再び沈んでいく事にもなる。
どっちも抱いた今は、張り裂けそうな心臓を握りながら再び顔を上げて周囲を見渡す。
喫茶店から目を背け怪しい人物を探した瞬間、闇夜を照らす熱気を帯びた明かりと、音を立てながら吹き飛ぶガラスに視線が奪われる。
「あ、あぁぁぁああ」
「牧田ぁ!消防に連絡だ!」
黒く吹き出す煙は一気に立ち昇り、その現場で。あの。佐島に言われていた喫茶店が標的として放火を成し遂げた事を突き付けていた。
「牧田ッ!?牧田!!待て!」
僕は喫茶店の方へと向かって一気に駆け出し班長を振り切り、この周辺にまだ放火魔がいるかもしれないと。あれだけ人気が無かったので、この場所で捕らえた人物が一番怪しい。
近づけば近づくほどに熱気は肌を切りつけ、肺は呼吸を拒むようで息苦しくなってくる。口元を腕で覆いながら店の前に立ち、変わり果てた惨状をただただ見続けることしか出来ないでいた。
そのまま片側に熱気を強く感じさせながら、回り込むように走っていく。
「おい!そこのお前、止まれ!」
暗がりに走り去っていく人物をその目に捉えた。
増え始めた煙に視界は奪われそうになるが、確かな人影がそこには見えていた。
そいつに向かって足を強く踏み出そうとした瞬間、腕を勢いよく捕まれその場に引き留められる。
「落ち着け牧田!何があった」
「話してくださいよ!あいつが逃げる!」
「周囲の確認と、消火が優先だろうが!」
「放火犯が逃げるっつてんですよ!!!」
「なっ…」
手の力が緩んだ瞬間、奴が走っていた方向に向かって踏み出していく。それ以上に何か言われていた気がするが、今は気にする事なく。
だが、その姿を再び捉える事は出来ないでいた。
吐きそうになるほど息を切らし、肩を揺らしながらその場で辺りを見渡してみるが火事の騒ぎに集まり始めた野次馬の所為で完全に見失ってしまった。
「くそがぁっ!」
突然の叫び声に周囲の人たちはざわついていたが、込み上げる感情を飲み込めずにいる。全員がスマホを片手に火事の方や僕を撮り始めたりしていたが、それを諌める気にもなれない。
また僕は、逃してしまった。
浮かぶのはあの日、火事を目の前にして泣き崩れていた男性の悲痛な叫びだった。僕の気持ち以上に、あの人の浮かばれない嘆きはこちらに向けられているようで息苦しく、その場に蹲る。
しばらくして思い出したかのように立ち上がり、火事の現場へと戻っていき班長に言われていた消火活動へと合流する。
周囲の交通整理をしながら、人を寄せ付けないように声をかけていく。
戻ってからも話を交わすことなく作業を続けていると、声をかけられたのは全てが終わって落ち着いた頃だった。
「いいか牧田」
「すいません、班長」
「いや、いい。ちょっと話がある」
そうして言われるがままにバイクに戻って跨り、派出所の方へと向かい走っていく。
着いて直ぐに奥の部屋へと入っていく。
「で、あれは本当に放火なのか」
「はい」
「その瞬間を見たのか?俺も近くにいたが、そんな様子は見られなかったぞ」
「間違いないです、怪しい人物がいました」
「顔は見たのか」
「いえ、フードをかぶっているように見えたのと煙のせいで逃げられましたし」
「そっか、それはすまんな」
そうして尋問のように問い詰められながら、何度も何度も同じような質問を繰り返される。確かに班長にとって今回のような行動は二度目なので、言いようのない違和感が芽生えたのも無理はない。
僕だって未だに信じられないことが、目の前で起こされているのだから。でもそれを言って、細かく説明したところで信じてくれないのは分かっているので核心の部分は口を閉ざす。
「分かった、もういい。後の処理は俺がやっておくから今日は帰って休め」
「…分かりました」
そうして着替えを済まし、派出所を後にする。
日が差し込む外は、僕の事を嘲笑っているかのようにいつもの日常を映し出していた。更に強く渦巻き始めた感情はこの身を裂いてしまいそうで、苦しくなってくる。
「やぁやぁ、久しぶりだね」
「佐島…」
爽やかな朝には似つかわしくない男が目の前に立っていた、その異質な感じに吐き気すら覚えそうになるが今は丁度いい。
「楽しいか」
「何が?」
「薄ら笑いをやめてくれ」
「ふふっ、すまないね。またしてもこの力が当たっていたことの実証が成されたからね」
この人はこういう人物だったと呆れ返る。毎度毎度、事件が起きる度に嬉しそうに話しかけてきていた。おかげで少しだけ冷静になれた気もする。
「すいません、つい八つ当たりを」
「こちらとしても力になれなくて済まなかったね、自由自在なものでは無いからさ」
「分かってますよ…分かってます」
目の前にいる佐島に掴みかかって怒りをぶつけようが何も解決はしない、それは頭で理解しているが体はもう少し何とかならないかと言いたくなる。
「また何かあればよろしく頼むよ」
「分かってますよ」
「それじゃあ、また」
「はい、また」
それから数日間は、気を紛らわせるように仕事に打ち込んでいた。あれから班長から何か言われる事もなく、ただの何気ない日々を過ごしていた。
「おい、牧田。ちょっといいか」
「何でしょうか」
派出所で昼ご飯を食べていた僕の肩を叩きながら、神妙な面持ちで声をかけてくる。その雰囲気に少しだけ緊張が走り、体を向けて立ち上がる。
「この前の喫茶店の火災だがな、現場検証の資料が俺の元に届いててな」
「は、はい」
「放火ではなく失火だそうだ」
その言葉に頭が真っ白になる。いや、確かに佐島は放火と言っていた。その女とも言っており、そこに人物が介入する事を示すように。
「失火って、そんな…嘘だ。確かに僕はあの日、あの場所から立ち去るように逃げる人物を目撃しましたよ!」
「その事だがな、周囲の監視カメラは聞き込みを行っていたが。そんな人物に繋がるものは何も出てこなかったよ」
「そんな…嘘だ」
「いいか、お前は何を知って行動を起こした」
思い出した、あの喫茶店のマスターは女性だった事を。それならあの話の整合性は取れる、奇しくも残された結果は僕の認識違いによる錯覚。放火と聞いて、あの日の放火犯が頭を埋め尽くしていたのだから。
「失火って、一体」
「店内のレンジから伸びる配線がショートして、近くにあった雑誌などに引火したらしい」
「ショート…失火…」
「幸いな事に被害者はおらず、中から動物の焼死体が見つかったぐらいだそうだ」
視界が歪み、全身が脱力していくのを感じながら膝から崩れ落ちそうになる。それならば、僕が追いかけたあの人物は一体何だったのか。
煙が重なりながらでもその姿は、はっきりとこの目に捉えることが出来ていた。
それでも、安心していいのか悔しんだらいいのか分からないでいた。
「もう一度聞くぞ牧田、なんであんな言動を」
「すみません、僕の早とちりでした」
「そうじゃないだろう。あの日のお前は何かを知っていて行動しているように見えた、確固たる何かを持っているように」
「いえ、ほんとうに申し訳ございません」
何度も頭を下げる僕に深いため息を吐きながら、班長は言葉を重ねていく。
「まだ、引きずってるのか」
「何の話ですか」
「分かってるんだろう。あの日の放火事件」
「そんな事、あるわけないじゃないですか。警察官を続けていればありえる話でしょう」
「…お前がそう言うならそうなんだろうな。だが、俺は何があってもお前を見捨てはしないぞ、俺だってお前を信じきれなかった事を悔やんで後悔してるんだからな」
「そう…ですか」
僕はその言葉を気にしないようにして、再び食事に戻る。どんな事を言われたって今の僕には響くどころか何も感じはしなかった。
ただ一点。
あの日の放火魔をこの手で捕まえること、それだけが今の僕と警察官という職業を繋ぎ止めている。叶うならどんな手でも染めてやる、悪魔に魂を売ることだって。
後ろでは班長がまだ何かを言いたそうにしていたが、一回目の放火魔の時はまだしも二回目のバスジャックの時も僕の話は無視され続けた。
今だって、どこまで本気なのか分かったもんじゃない。もう僕は、一人だけでも追い求める。
「パトロール行ってきます」
「お、おう」
ご飯を食べ終えた後、外へと出ていく。
バイクを走らせて向かった先はあの日の放火現場、犯人は現場に戻ると良く言われるが定期的に訪れるこの場所にはそれらしき人物は見えない。
焼けた土地には、今もまだ何も建てられてはいない。そこに添えられた生き生きとした花束を目にすると心臓が締め付けられるようだが、隣に優しく添えるように花束を並べる。
亡くなったのは残された男性の妻とその息子、二人の人物がこの場所で息を引き取っている。
想像もできない程に熱く苦しかっただろう。
手を合わせ目をつむりながら祈ると、今でもあの男性の声と叫びが。
「お巡りさん…ですか」
振り返るとそこにはあの男性が立っていた。
「あ、あぁっ」
「どうも、お久しぶりです」
その手にはお菓子とジュースが握られており、驚いたような表情を向けていた。彼は歩きながら、花束だけで忘れていたものをお供えに来たと。
「いつも息子に怒られてたんですよ〝パパまた僕のだけ忘れてる〟って。妻もね、同調するように〝パパは忘れっぽいね〟って笑って話すんですよ」
「そう…なんですね」
言葉が喉で詰まるようで簡単なものだけを絞り出すように返すことしか出来ないでいた、肌で感じる重たい空気に思わず逃げ出したくなる。
僕と同じように手を合わせて祈る様子を見ながら、何も言えずにただただ立ちすくむ。
「いつも花束ありがとうございます」
「いえ、これは…」
「息子はね、大きくなったら警察官になってママとパパを守るんだって言ってたんですよ」
「そうだったんですね」
「そんな警察官から花束を貰ってるって、息子は笑って喜んでると思います」
それ以上はやめてほしかった。
僕はそこまで言われるべき人間でもなければ、この花束だって自己満足の贖罪でしかない。
だからもう、そんな優しい表情を向けないで欲しい。お願いだから。
「実はですね、ここをもう手放すんです」
「えっ?」
「少し離れたところで居酒屋を始めておりましてね、この場所で同じ事を始めるのは流石に気持ちが折れてしまいそうで」
その言葉に一筋の雫が落とされていた。
身を裂くような決断を込められたその言葉に続き、この場所に囚われず前に進んでほしいと言われ、悲しい表情が見えないように頷きながら深く帽子を被り直し、敬礼をする。
彼もまた、目元を拭いながら敬礼で返す。
そうして立ち去るのを見守った後に空を仰ぎ、再び心に燃料を焚べられた事を実感する。
「牧田くん、やっほ」
「何故こんなとこにいるんですか」
「いやいやいや、私も仕事でね」
「また猫の浮気調査ですか」
「それは守秘義務だよ」
「何を今更…」
どこからか見ていたのか、僕が一人になった瞬間を狙いすましたかのように声をかけてきた。
「僕に何か用ですか」
「私が君に声を掛けるなら一つだろう」
「火災ですか、それ以外ですか」
「ふふ、前者だよ」
薄ら笑みを浮かべながら佐島はそう告げる。
撫でるように吹き荒れた風が燃料に火を灯し、突き上げるような衝撃を全身に走らせた。
「放火か、失火か分かるんですか」
「おや、気になるかい」
「当たり前じゃないですか」
「どっちでも火災には変わらないよ?」
「それはそうですけど、僕は…」
不謹慎かもしれないが、僕は放火犯を追い求めている。そいつに繋がるかもしれないなら、そちらを願わずにはいられない。
続く言葉に耳を傾け、気持ちは昂る。
「今度こそは頑張り給え」
「分かってますよ」
場所は近くの洋食屋らしく、続く飲食店に少し引っかかりながらも直ぐに行動を始める。犯行は今日の晩に起こるとのことで、いつも以上に正確な情報に身が引き締まる。
「そう言えば佐島、なんで僕に声をかけたんですか」
「え?急に何だい」
「僕たちに接点も面識もなかった、なのになぜあの日急に声をかけて突拍子もない話を」
「そうだね〜…君が一番警察官じゃないと感じたからかな、私が考える」
「それってどういう意味」
「おっとすまないね、私は行くよ。ターゲットを逃すと仕事にならないからね」
そう言い残しながら腑に落ちない気持ちを渦ましめ、その姿を消していく。
問い詰めようにも今は、この後に起こる放火犯を捕まえることが先決。派出所に戻れば、交代の時間となり非番になり動きやすくなる。
班長に邪魔されることも無く。
そうしてパトロールを終えて本日の活動報告をまとめている頃、交代の人たちが入ってきたので引き継ぎを済まして、急ぎ足で身支度を整える。
「おい牧田、この後一杯どうだ。いい居酒屋さんを見つけてな、最近できたらしいんだが」
「すみません班長、この後予定が」
「そっか、ならまた今度な」
返す言葉も持たず、軽く頷きながら外へと出る。
外は重たい雲が月を覆い、町の明かりだけがこの辺りを照らしていた。
スマホの画面へと目を落とし、洋食屋の名前を指で弾きながら道のりを確認すると、ここからはそう遠くない場所にあるようで歩いて向かえる。
背負うリュックを強く握り締めながら、荷物の重さを背に感じる。念の為にと、派出所のロッカー内に用意していたものを頭で思い出しながらこの後に起こる事を想像していく。
ナビの指示は大通りへと案内し、人混みの中をかき分けるようにして進んでいく。すれ違う人たちの中に放火犯が紛れていないかと、注視しているがそれらしき人物は見当たらない。
はやる気持ちを抑えながら進んでいるが、心臓が目的地に近づく度にきつく締め上げられてくる。この場にいる全員が、怪しく思えるほどに意識が混濁してきたような気もする。
左に曲がって小道を進むと目的地らしい。
曲がり角手前で立ち止まり、その奥を覗く。大通りから外れたこの場所は人気もなく、まるで別世界へと誘っている雰囲気を放つ。
闇に呑み込まれそうだったが、固唾を呑み足を進める。
『モクテキチニトウチャクシマシタ』
万が一にも近くにいる放火犯に怪しまれないよう、スマホを無意味に触りながらその前を素通りしていく。
幸いな事に周囲に人影はなく、犯行も起きてない。時刻は深夜を刻み始め、より一層と深みを増していく。
暗闇の中、スマホの明かりだけが灯され音もなく静かなものだった。焦る気持ちを胸に、その通りを抜けて大通りと反対側へと顔を出す。
通路は一本道となっており、この通りに出入りする小道もなさそうに見えた。こちら側はまだ人気も少なく、大通りで待ち伏せるよりかは自然な感じがしたので、静かに息を潜めてスマホの画面越しに奥を覗き続ける。
それから何人か疎らながらも人が通り、その都度高まる緊張感も全て空振りとなるが張り裂けそうになる心臓を抑えきれなくなった頃、遂にその瞬間を迎えようとしていた。
怪しげにフードを深く被り、辺りを警戒しながら僕の隣を横切っていく人物を捉える。理由はその姿かもしれないが、それ以上にあいつが放火犯だと訴えかけるものが感じ取れる。
異様に膨らんだ腹部、そこに両手を突き刺しながら歩くペースも周りと比べて早い。
ようやく来たか、と。胸を躍らせる。
この気持ちに違和感を感じたような気もするが、気がつけば怪しい人物が店の前まできていた。僕も後をつけるように、距離を開けて進んでいく。
高鳴る鼓動に耳が支配される。
荒くなる呼吸を抑えながら、店の前で立ち止まった瞬間を視界に入れた。
ここで動けば証拠もなく未遂に終わり、裁くことができない可能性もある。
落ち着いて、慎重に。
その瞬間を息を呑んで待つ。
だが、僕の思いとは裏腹に警戒心が強いのか立ち止まったまま周囲を見渡していた。目が合ってしまった瞬間、咄嗟にスマホへと目を落としそのままま素通りして前に進む。
強く握りしめた拳を振るい上げたくなるほどの悔しさを、胸に滲ませる。これでは反応が一歩遅れてしまい、背後に意識を集中させるにもその瞬間を見ることは出来ない。
唇を噛み締めながら、大通りに向かって歩いていくしかなかったが、ここで逃せばまた捕まえられなくなる。
ようやく待ち望んだ放火犯の犯行。
その瞬間を押さえる為に、僕は今日の日まで。
大通りを出て曲がった瞬間、気づかれないように歩いてきた通りへと顔を覗かせる。周りの歩行者からすると、僕の方が不審者に思われるかもしれないがそんな事に構っていられる余裕は無い。
こちらを見据えていた視線は途切れ、突然の砕ける音が響き渡ると同時に大きく駆け出す足音と共に包み込む闇夜に一筋の光が立ち上がる。
僕は放火が始まったと確信し、人影を追いかけ炎が立ち昇りそうになっている洋食屋を横目に必死に手足を振りながら叫ぶ。
「まて!そこのお前!!」
今度こそ、この手で逃さない距離まで追い詰めることが出来ていた。通りを飛び出した犯人は通行者を押しのけるようにして必死に逃げ回る。
ようやく見つけた、こいつを捕まえれば。
僕は…。
何処かに足を引っ掛けたのか、犯人が体をよろめかせながら地面に倒れ込んでいた。その隙を逃すまいとさらに地面を強く踏み込み、一気に駆け寄っていく。
だが、転んだ拍子に取り出した物で迂闊に近付くことが出来なくなってしまった。
「く、くるな…」
「落ち着け、ナイフを下ろせ」
地面に座り込みながらこちらにナイフの刃先をむけてくるが、近づけないと分かるや否。直ぐさまその場から立ち上がるようにして、ナイフを振り回す。
開けたフードはその犯人が女性であることを明かし、その目は正気でないように見える。
「いいか、近付くなよ!」
さらに激しく振り回されるナイフに、近くにいた人たちが悲鳴を上げながら逃げ回っていた。その光景を面白おかしく笑うように、狂気に満ちた笑い声でさらなる絶叫を呼び起こしていた。
僕は背に持っていたリュックの中に手を伸ばし、中から拳銃を取り出す。
「動くな!それ以上はやめろ」
構えた拳銃に一瞬たじろいでいたが、獲物を定めた猟師のようにこちらに視線を集中させてくる。
「偽物で脅そうったってそうはいかないわよ!」
「これは本物で、僕は警察官だ!」
「嘘をおっしゃい…これ以上追いかけるなら。刺し殺すわよ」
決して嘘をついてるようには見えなかった。
二度目の放火を起こした人物なのだから、正気の沙汰ではないのかもしれない。
空から水が滴り落ちてきた頃、辺りに人は居なくなり睨み合った二人だけが残されていた。引き金に指をかけてはいるが、本当に撃てる度胸はない。脅しのつもりで無断に持ち出してきたが、効果はなかったらしい。
「いいからこれ、以上は無駄な抵抗はやめろ」
「うるさい、煩い、五月蝿い、ウルサイ…」
顔を押さえながら、手に持つナイフを震わせていた。これ以上は説得できないのだろうか。
それならばと、撃つ前にナイフをいなし抑え込むしかないとこの後の展開に策を巡らせていくが、膠着した状態は長く続かず、女は身を翻してそのまま走り出してしまった。
その光景を前に、引き金に力が込められるが引き切ることはできなかった。我に返り、慌てて拳銃を片方の手に握りながら追いかけて走り出す。
再び始まった逃走劇はそれほど距離を縮めることができずに、もどかしくなった僕は体を軽くする為にリュックを投げ捨て必死に追いかけた。
本格的に降り始めた雨が視界と体力を奪い始め、少しずつ距離も近づこうとしていた時、遠くの方からサイレンの音が鳴り響いていた。この騒動を見た誰かが警察に通報したのだろう、誰かが来るよりも僕が先に。
大きくなる音に女も焦り始めたのか、駆ける足が速くなったように感じたが次に起こした行動がその理由を物語る。
近くにいた一般人、それも女性が抱き抱えられるようにして捕まりナイフを突きつけられる。
上げられた叫び声と共に現場は混沌に包まれ、泣き叫びながら逃がしてくれと懇願し、それに同調しながらがなり声で叫ぶ。そして、その周りを逃げ惑う人達。
咄嗟に構えた拳銃も先程と同じくして、犯人の気を逆撫でするだけで効果はない。
「嫌だ助けて!逃がして!なんで!」
「うるさいうるさいうるさいうるさい!!」
「女性を離すんだ!!今すぐに!!」
「お前もしつこいしつこいしつこいしつこい!」
ナイフがさらに捕まった女性へと近づけられ、さらに状況は逼迫する。
頭は考える事が出来ずに視界も朧気に。
標準は決して定まらず手が震えている。
高まる鼓動だけで殺されそうになってきた。
やばいやばいやばいどうすればいい、こんな事になる筈もなかった。あの場で放火の瞬間に取り押さえ、無事に放火犯を捕まえて終えるはずだった。
追い込んでいる筈の状況に追い詰められ、逃げ場のないここは、次の一手でこの先迎える結末が大きく変わる。
誰か助けてほしい。
「牧田!!」
その声に思わず身体が反応したが、それは僕の思っていたものでは無い。
指の掛けられていた引き金を強く引き、雨音をかき消すような銃声が放たれる。遠くのサイレンもいつしか音が消え、再び雨音が包み込む。
その場に倒れ込む二人の女性。
後ろから飛び出すように向かった班長。
その光景に、震えながら膝から崩れ落ちる。
班長が先ほどから何かを叫んでいるが何も聞こえない、何も考えることが出来ずに身体も動かせない。手に握られた拳銃だけが生々しい現実へと、僕を強く縛り付けていた。
しばらくして、複数の警官が駆けつけた。そのお陰か、場は混乱を迎えながら少しずつ収束していった。
気がついた頃には両の手に冷たい手錠が掛けられ、数人から押さえつけられるようにされるが抵抗する気も起きない。
この手で、無関係な一般人を。僕は……。
暗闇の中でもパトカーなどが近くにあるのか明るく照らされ、雨の中に流れる赤い液体が凄惨な現場を演出するようで気は留めておけなくなる。
「……きた」
誰かの声が遠くの方で聞こえる。
「…まきた」
何処かで聞いたことがあるような声が。
「牧田!おい!!」
俯いた顔を持ち上げると、心配そうにこちらを見つめる瞳が映っていた。
「…はん…ちょ」
「おい牧田、大丈夫だ。命に別状はない!」
「班長…ですか」
「何を言ってる、おいこっちを向け!」
「ちょっと、近づかないでください!」
班長の姿が朧気ながらも視界に入ると、駆けつけた警官と揉めてるようにも見え何かを話し合っているようだった。
そんな事を気にもさせないように体は宙へと持ち上げられるようにして抱き抱えられ、何処かへと引っ張られるようにして流れるままに身を預ける。
「牧田!撃ったのは肩だけだ、大丈夫だ!」
その一言に正気を取り戻しそうになるが撃った事実は変わらず、取り押さえてきた同業者の力は緩まる事が無く引きずりながらパトカーに連れ込まれる。
中へと押し込まれ外の景色は覗くことを許されず両隣を囲うように座り始め、僕には良く見た光景だとしてもこの視点は初めてだった。
誰も言葉を発することなく、車は走り始める。
向かっている先は分かっていて、近くにある警察署で間違いはなかった。今から僕は警察官としてまとっていた制服を失い、罰を与えられる。
ずっと望んで、追い求めていた裁きを。
今度は僕に対して。
そこから暫くは警察署長との直接の面会となり、今回の事件の一件を洗いざらい吐き出していく。事前に知り得た放火を見過ごすことは出来ず、それに輪をかけるように追い求めていた放火犯だった事。
威嚇のために持ち出した拳銃が、望む事のない結果をもたらしてしまったことなど。
佐島以外の話を嘘偽りなく告げていくと、次第に場の空気が凍り始めて凍てつく視線が突き刺さるように向けられる。
後から班長もこの部屋に入ってき、上官としての管理や今回の行動について問われていた。
「申開きのしようがありませんが、一点だけ」
「…なんだ」
「今回の一件、拳銃の持ち出しも含めて許可を出したのは私です。その証拠に許可証も提出されております」
背筋を伸ばし、真っ赤な嘘を吐く班長の言葉に驚きを隠せず視線を向けてきた。こちらを見ようともせずに、ただただ署長だけを見ている。
「どちらが嘘をついているな、話が食い違っているぞ」
「で、あれば。許可証を今すぐにでも」
「その必要はありません、僕は独断で!」
「牧田!責任を感じるのは分かるが、嘘をつく理由がどこにある」
こんな状況におかれても何故か、班長は僕を守ろうとしていた。その真意を汲み取ることは出来ずにいるが、このまま乗っかるわけにはいかない。
「僕は警察官を辞するつもりです。今回は許されざる行動を起こし、これ以上の迷惑は掛けられません。それに、どの道全ては明るみに出ます」
「牧田…馬鹿野郎が」
唇を噛み締めながら、僅かに聞こえる声で班長は呟いていた。その表情は何かを物語っているようではあるが、それ以上に署長の放つ空気が場を制圧していく。
「それがお前らの答えか」
「はい、裁かれるは僕だけです」
「牧田は…私は…」
「もういい、お前は下がれ」
「何卒、ご配慮を!牧田は…牧田は」
「これ以上は無駄だ。下がれ」
その視線に凍えそうになり、一筋の冷気が背中を伝って流れていく。
「お前は取り敢えず、証拠が出揃うまで大人しくしておけ」
「…はい」
そうして手錠に繋がれたまま留置所へと案内され、抵抗をすることも無く大人しく時間が過ぎ、来たるべき時を待つ。
しばらくした頃、拘置所へと移送される直前に班長が最後の時間だと言って面会に来ていた。その顔はとてもやつれており、生気を帯びていないようにも見受けられる。
「元気…ではないよな、すまんな。最後に」
「いえ。ご迷惑をおかけしました」
心のこもってない謝罪に苦笑いで返されながら沈黙が流れ、何しに来たのだと言いたくなるが、流石にと喉の奥に留める。
「何で、こんな事を」
「言ったでしょう。僕もこうなるとは」
「なんで事前に相談してくれなかった」
「相談したところでどうにかなったんですか、放火犯が放火を起こすので来てくださいって。信じるわけないでしょう」
「お前を見捨てないとも言ったはずだ」
「もういいでしょう、関係ないですから」
冷たい言い方になるが、バスジャックの時に打ち明けた時から佐島の話は誰にも相談しないと決めていた。突拍子もない話に、僕でも信用できないと思ってしまっていたから。
「なら最後に。二回目だよな、犯人に執着する気持ちも分かるが、なぜ火事の現場を放置した」
言われたその言葉に、吐き出そうとした声が詰まる。警察官として犯人を追い求めるのも大事だが、目の前の災害を最小限の被害に留めることも本来の責務である。
最適解とすれば、走りながらでも消防に連絡する事は出来ていたはず。それこそ、応援を呼ぶなりして、犯行が起きたのなら誰も無視はできないはずだ。
それなのに僕は、火災現場を放置し犯人を追い求める事だけに固執していた。その行動が、班長にとって理解できないものなのだろう。
「犯人を捕まえることが最優先だと」
「なら、お前の握っていた拳銃は捕まえるための物ではないよな」
「あれは、威嚇のつもりで」
「現場から少し離れた場所にあったお前のリュック、その中には手錠すら入っていなかったそうじゃないか」
理詰めの正論で殴られてる気分だった。
確かに犯人逮捕を目的とするのならば、拳銃ではなく手錠が最適解だろう。仮にあの場で追い詰められたとしても、拘束するものを持ち合わせていなかった。
それに、拳銃ではなく手錠だったならば。こんな結末を迎えることも無かった。
「沈黙…か」
寂しそうな声を絞り出し、呟く。
僕でも、あの行動の全てを理解出来ていなかった。放火犯が来るとなっていた瞬間から、何かに突き動かされるように体は動き、この結果を招いていた。
だからこそ、言い訳を思いつくどころか抵抗する素振りすら見せられず、班長が渡してくれた助け舟に乗ることすらできない。
「今度こそは、新しくできた居酒屋。行こうな」
帰る間際、立ち上がりながら作り笑顔で告げる。その言葉にすら返すことも出来ずに、ただただ沈黙を貫き続けた。
そうして、言いようのない淀めいた感情を胸に抱えながら拘置所へと移送される。
裁判所での判決を迎えるまではそう長くなく、一呼吸する間にと言えばいいのか。それほどまでに早く迎える事が出来て嬉しくも思う、これで楽になれると。
下された判決は『懲役3年6ヶ月の実刑』。
受け入れた実刑判決を強く受け止め、何も言わずに法廷を後にする。
そうして近くの刑務所へと移送され、囚人として刑期を務める事に。規則正しい生活に加え、適度な運動以外にも物作りの刑務作業を行う。
季節が変わろうとした頃、面会者が現れたと聞きその人物に会うために案内された部屋へと向かっていく。事前に告げられていた通り、この場所に来るはずのない人物が透明な壁を隔てて座って待っていた。
「やぁ、牧田くん。元気そうで」
「おかげさまで。佐島さん」
今更会いに来る理由もないだろうに、彼が僕に会いに来る時は決まって予知夢を見た後でそれを解決してほしい時だけだった。
それ以外には何も無かったが、彼なりに心配をして会いに来てくれたのだろうか。自身の発言が発端になり、少しは気にしてくれているとか。
「心配してくれたのかもしれませんが、僕はもう佐島さんの言う通りに犯人を逮捕できません」
「そんな事は承知の上さ。それよりも、久しぶりだね」
「確かに今回は久しぶりですね」
他愛もない話に少しだけ笑みが溢れる。
前に一日でも会わなければ久しぶりと言っていたが、今回に限っては本当に久しぶりだった。
このやりとりも、懐かしく感じる。
「それで、あの夢はまだ見ているんですか?」
正直、気にはなっていた。彼の能力があれば被害を最小限に留めたうえで、犯人逮捕に繋げられ、それを誰かに引き継いでくれればいいのだが。
「夢…?はて、何の事だい」
「いや、何を言ってるんですか。こんな時間の無いときに時に冗談ですか」
面会の時間も定められており、決して長くはないと思うが。その表情は笑うことなく、不気味にこちらを覗き続けていた。
「だって、事前に事件を予知して…」
「それで君は犯人の逮捕に繋げたね」
「はい。そうです」
「犯人逮捕の瞬間、言い表せない感情が湧き出していなかったかい」
その発言に思わず言葉を失う。
「始めは逃してしまったかもしれないが、二回目のバスジャックはどうだい?」
「何を言って…」
「何って決まってるじゃないか、君のその胸に抱いた感情の話だよ」
そう指差しながら、笑みを浮かべる。
「それは…犯人が逮捕されて、事件が解決できて良かったという安心感だけですよ」
「そうかいそうかい。なら君は、立派な警察官として市民を守るために行動できて良かったと」
「何なんですかさっきから、くだらない質問をするだけなら戻りますよ」
「なら何故、火事の現場を放置した」
その言葉に班長が重なり、立ち上がろうとした体を押さえつけるようにして座り続ける。確かに同じ事を言われはしたが、犯人逮捕を第一に考えた上での行動でしかない。
その他に理由など…。
「おやおやおや、気付かないフリをしているのかと思えばそうではなさそうだね」
「僕は、犯人逮捕と事件の撲滅を願い犯人の確保を最優先に行動したまで」
「ならもう一つ問おう、何故事件が起きるまで待った」
「それは…事件が起きる前に捕らえたら、それは犯罪ではなくなるだろう。そうなると、無駄に捕まえるだけで逮捕には繋がらないかじゃないか」
「でも君の言う、市民を守る平和の為の行動には最適解だと…私は考えるがね」
そんな事をしたって言い逃れられてしまえば、また別のところで犯罪を起こす可能性だって十二分にあり得る。それならば、事件が起きた直後を狙って捕まえたほうが都合がいい。
それが、大小様々な犠牲を払おうとも。
「君はただ、犯罪者を捕まえる快楽…欲に従って動いてるようにしか見えないがね」
「そんなわけ無いだろうが!」
「そうかい?それにしては、こんなにも胡散臭い僕の話を真に受けて動いていたし。何より、話を聞いた直後は口角が上がっていたことに気が付かなかったのかい」
そんな筈はなかった。仮に口角が上がっていたとするのであればそれは、事件を最小限に留めることが出来るかもしれない警察官としての本望故にだ。
決して、佐島が言うような理由ではない。
「言いたいことはそれだけか」
「そうだね〜…じゃあもう一つ、二つほど」
「ふざけるなよ、佐島」
「おぉ、怖い怖い。犯罪者の目つきは凄みがあるね」
その一言に思わず目の前の透明な壁を勢いよく殴りつける、その拍子に隅に立っていた看守がこちらに身を乗り出そうとしたが、それ以上は何もしなかったので元に戻っていく。
「君は犯罪者を求めていたんだよ、犯人を捕まえて裁きを下せることに悦びを感じていたんだよ」
「黙れよ佐島」
「だってそうじゃないか!喫茶店での火災、居もしない犯人の幻影を追いかけたんだからさ」
「なんでそれを知って……」
先ほどから纏わりつくような気配が全身を舐め回してくる、気味が悪いとも取れるがそれ以上に、恐怖にも似た寒気さが背筋を凍え上がらせる。
「だって、あの火災は私がやったからね」
こいつは何を言っている。あの火災を自分で起こしたと言ったのか、だとしたら何のために。若しくはくだらない冗談を言い、僕を嘲笑いに来たのだろうか。
「ほら見て、よく撮れているだろう。あの日は人混みに紛れて君が必死に走っていくのを見かけてね、思わず撮ってしまったよ」
そういいながら服のポケットからスマホを取り出して、あの日の映像を流し始めていた。
確かに、そのスマホには僕が笑みを浮かべながら何処かへと走り去っていく様子が紛れもない証拠として抑えられていた。
「ほらほら、笑っているよね。君」
「そんな、お前は何がしたい」
「あの火災も苦労したんだよ、失火に見せるために電子レンジに細工をしてさ。猫の浮気調査なんて依頼してくるもんだから、カメラを仕掛けさせてくださいってお願いした隙にね」
僕にしか聞こえないように続く小さな声に、頭を強く打ち付けられたような衝撃が走り、目の前が大きく歪み始める。全て真実を話しているとしても、目の前に証拠があるとしても僕はそんな奴の話を鵜呑みにしていたのか。
「あの事件で猫が死んだって聞いてね、笑ってしまったよ。…そもそも浮気調査って、頭がイカれてるとしか思えないね」
「イカれてるのはお前だろうが…」
「どういう意味だい?」
「なんでそんな事をした!!」
「何故ってそりゃ…私は知りたいのだよ」
急に立ち上がり、壁に向かって顔を近づけ目を見開きながら言葉を続けてくる。
「人の欲望が行き着く先をさ」
「何を言って」
「始まりは君だよ、牧田総司君」
「だから何を言って」
「初めて見た時にビビッときたね、警察官らしくない警察官だと」
よく聞く警察官のイメージとしては、市民の平和を守るために凶悪犯にも立ち向かい街の治安維持に務める。そんな所だろうが、佐島から見た僕のの本心は〝犯人に裁きを与えるための手段〟そう考えているに違いないと。
「思い出してみたまえ、警察官を目指したきっかけはなんだい?」
奇しくも、佐島の言動に忘れていた記憶の蓋が音を立てながら開かれる。
昔、僕は学校でいじめの標的にされており卒業間近のタイミングで仕返しを決行。一部始終を録画し、警察に相談をした。
結果は進学校への内定取り消しとなり、胸の中が洗われるような気分となり全身に衝撃が駆け巡った。だが、それ以降はそんな機会は訪れる事はなく平和なままだった。
あの悔しそうな顔と憎悪に満ちた表情を見た時が、堪らなく僕の心を揺さぶった。
誰も僕に仕掛けないのならば、こちらから探しに行くしかないと。それも合法的に、絶対的な権力を武器にして。
だが、警察官となってからの日々はつまらないもので。やれ道案内や落とし物の処理、あるとしても喧嘩の仲裁だけ。あの日に感じた衝撃は、心を揺さぶるようなものはそこには無かった。
それを変えたのが佐島。
それを思い出させたのも佐島。
何なんだこいつは、一体。
「思った通りみたいだね。その表情を引き出せただけでも今日来た甲斐があったというものさ」
そう言いながら高笑いを浮かべ、お腹を押さえていた。この壁がなければ、こんな状況に陥っていなければ今直ぐにこの手で。
「なんだい、殴ってどうするさ」
僕の考えを読まれているのだろうか、先程から神経を逆なでするような笑みだけを浮かべる。
「それで僕をどうしたかった」
「言ったろ、欲望のその先を見たいと」
「それで事件、犯罪の予兆を伝えたのか」
「ちょっと違うな〜、それは」
続く言葉は、更なる衝撃を刻み込んでくる。
「あれらは、僕が焚きつけた。予知夢なんて、アニメじゃあるまいしある訳無いじゃないか」
「……は?」
「言ったろ?欲望のその先だって」
曰く、バスジャックの犯人は犯行の一週間前に会社のリストラに遭い復讐のためにバスを会社まで突っ込ませるつもりだったと。
「まさかあんな大胆な行動に出るとはね、私も驚きで腹が捩れるかと思ったよ」
そして、今回の放火魔。
彼女は長年やっていた飲食店の経営が厳しく閉店に追い込まれていたと、それならば自分の店を守るために周囲の飲食店を潰す案を思いつき実行に移していた。
「凄いよね人間って、弱みを広げてその空いたところに欲望の種を投げ込むと思いがけない行動に出るんだもん」
「どういうつもりだ」
「だ~か~ら~、僕の探究心だよ。こうね、ぽっと欲望の花が咲くのさ」
そんなものの為に僕は振り回されたのか。
続く衝撃的な数々に心底呆れ返り、それと同時にこの場所にいる意味が馬鹿らしく思えてくる。
「それで俺の欲望を膨れ上がれさせたと」
「そうそう!いい感じに育ってくれたよ君は、犯人を捕まえる為に自分が犯罪者になるんだもん」
何も言い返せなかった。
淀んでいた感情が顔を覗かせはっきりと見えてきたが、その正体がもたらした結果には全身の力が抜かれていく。
「私を愉しませてくれてありがとう、お陰でいい欲望の物語が垣間見えたよ」
「看守さん!今言ったこと全部聞こえてましたよね、早く警察に連絡を!!」
助けになるのはこの場にいる看守だけだと思い大声で訴えかけるが、何も反応がない。まるで僕が幽霊にでもなったかのようで、沈黙が貫かれる。
「む・だ。買収済み」
探偵業の方でこの場にいる二人の弱みは握っており、表に出さないことを交換条件に本日の面会は何もなかった事を貫き通すと。
そんな約束を交わして、やってきたのだ。
「佐島ぁ!!」
「せいぜいそこで、犯した罪を償ってください。私はまた、探求の旅にでも出ますよ」
「待て!おい!」
「締めくくりとして、家族同然の猫を失った情勢が哀しみのあまりどんな行動を起こすのか」
「止めろ、これ以上関係のない人は」
「おやおや、自分が捕まえられないからって八つ当たりはやめてくださいな」
「そういう事じゃ」
「指咥えて眺めてな、犯罪者が」
高らかに上げる笑い声は狂気すらも感じさせ、声が雰囲気が動作の全てを拒絶したくなる。身の毛もよだつとはこの事を指すのだろう、その証拠に体は動かず眺めるしかできないでいた。
「そうそう、最後にもう一言」
急に笑い声を止め、息を殺す目線を送ってくる。
「あの日の仕返し、ようやく返せました」
その言葉に理解できずにいたが、取り出された免許証を見て気付かされる。
「なんで…お前」
「久しぶり、牧田」
初めてであった日に確認した身分証明書は、見事に偽装されたものだった。目の前にいる人物は、昔いじめられていた時の主犯格で、僕が警察に突き出した人物だった。
出会ってから抱いていた既視感の正体がようやく判明したが、それ以上に今回の一件は欲望のその先と言ってはいるが、僕への復讐が最たるもの。
「こんなに老けちゃってさ、わかる?私の気持ちが」
「分かるわけ無いだろ」
「欲のままにお前をいじめてあの結果がもたらされた、それならば突き詰めてやりきったら人はどうなるのか。あの日の続きを知りたかったんだよ、こっちは中途半端に止めさせられたから」
「それはお前が…」
「ありがとう。まだまだ興味は尽きないが…この復讐も、私の一つの欲なんだろうね」
そう言い残し、佐島は部屋を去っていった。喚き叫ぶ僕の言動に複数人の看守がなだれ込むようにして入ってき、力のままに取り押さえられた。
成すすべもなく、地面に抑え込まれながら次第に意識が失われていく。
最後に見た奴の顔は、脳裏に焼き付いたままこの刑務所を出るまで離れなかった。
あの日から、何度も何度も佐島との会話を訴えかけるが誰も相手にはしてくれなかった。それどころか精神異常患者として扱われそうになる始末で、僕に諦める事しか選択肢は与えられない。
迎えた出所の日は太陽が眩しく、空気が美味しいと感じるかと思っていたが気持ちは晴れず、行き場のない怒りと孤独感だけが体を蝕む。
後悔してももう遅い。
今の僕には、何も残ってはいない。
「もう戻ってくるなよ」
「はい、お世話になりました」
そうして出口で荷物を受け取り、挨拶を交わす。
やはり外に出たところで照りつける太陽には嫌気が差し、吸い込む空気は吐き気すら覚える。
行き先のない足取りは道なりに沿って動き始めていたが、これからの予定すらも何も無い。
「おい牧田」
何処か聞き覚えのある声と共に振り返ると、そこには彼が立っていた。そばに置かれた車に乗るように促されて、断ろうとするも腕をつかまれたま引っ張られる。
「班長、何でここに」
「いいから行くぞ。いい居酒屋があるんだよ」
その一言に、思わず涙が溢れる。
「なんで僕なんか」
「言ったろ、俺は見捨てないって」
そうして車に乗り込み、走り出す。
流れる景色は次第に見覚えのあるものへと移り変わり、懐かしさと同時に胸が締め付けられる。
色々ありすぎたこの場所は、僕にとって立ち入れないと思っていたから。
しばらく走り続け、車はコインパーキングへと停められる。
「さあ行くぞ、今日はとことんまで話を聞いてやる」
「そんな…班長」
「もうお前の班長じゃねぇよ。輪島だ」
なんの因果か同じ苗字に固唾を呑み、トラウマにも似た記憶が呼び覚まされる。でも、こっちの佐島は僕を助けてくれるかもしれない。
時間は沢山あると言ってくれていた。
今までの全てを打ち明けよう。
どう捉えられてもいい、ここまで来てくれた輪島さんの想いを踏みにじらないように。
何も無いと思っていた僕にでも、細い一本の糸の先に繋がったこの絆は一度手放したものかもしれないが、向こうからもう一度繋いでくれた。
でもその前に、どうしても確認したいことが。
「居酒屋に入る前に一つ、なぜ僕を助けてくれるんですか」
「見捨てないって言ったろ」
「それにしても…」
「もう、後悔したくないんだよ」
そう言い切る輪島さんの唇は震えていた。
「輪島さん…ありがとう、ございます」
「いいから行くぞ」
そう言いながら、案内された居酒屋へと入っていく。店内には見知った顔の大将が崩れそうな笑みと、目頭に涙を浮かべながら震える声で迎え入れてくれていた。
これは確かに、長くなりそうだ。
僕にとって人生の忘れられない一日。
そんな予感を、胸に抱きながら入ってきた扉を音を立てながら閉める。
ご完読、誠にありがとうございます。
やっぱり長い?ごめんなさい。
ぜひ次回もお楽しみに。これからも応援よろしくお願いいたします。また次話でお会いしましょう(*´∇`*)




