籠の鳥は姫の手に乗る
「どういう事ですか、父上!」
「何がだ?」
いきなり怒鳴り込んで来たルトヘルに国王は書類から目を上げる。
「シャンタルの事です!何故私が手配した侍女達を外したのですかっ!」
「……彼女は命を狙われているのだ」
「……は?な、何故シャンタルが」
ルトヘルは言われた言葉が飲み込めず、ぶるりと震えた。
ずっと隠してきた宝だ。
誰に知られる筈も無いのに、と。
「邪魔に思う何者かがおるのだろう。故に、有能な者を選定して私が付けた。お前もあと一か月、シャンタル嬢に近づくでない。折角、公爵家とも縁が整って、立太子への道も確実となったのだ。命を大事にせよ」
「そんな……ですが、何処の誰なのです、その不届き者は!」
「調べたくば勝手にせよ。命を狙われているかもしれぬと気づけぬお前には分かるまいよ」
ルトヘルはぐっ、と言葉に詰まった。
いきなり引き離されて、耐えられるわけがない。
七歳の頃に一目惚れをしてから、ずっと、シャンタルを愛していた。
美しい顔も所作も、控えめな姿も。
困っている顔も、泣き顔さえ。
だが、近づけば彼女を狙う何者かに自分も危害を加えられかねないと聞けば、二の足を踏むしかない。
国王が話を終えたとばかりに手を振れば、ルトヘルは頭を下げて部屋を後にする。
「あやつにも困ったものだ」
「ですが、大公殿下の申し入れは、非常に……いえ、これ以上なく素晴らしいものかと」
「ああ、分かっておる。ルトヘルの唯一の欠点であるシャンタル嬢を、我が国の国庫三年分で売り渡せるのだからな。我らにとっては何とも都合の良すぎる話よ」
護衛や使用人の手配も、ルトヘルを遠ざける理由も、全て手紙で記されていた通りにした。
脇に居る宰相は、嬉しそうに頷いている。
多額の金と大国の王との縁、その背後には帝国も。
縁を繋ぐ利点は計り知れない。
「これで、漸く公爵令嬢との仲も綺麗になるだろう。まさに良い事づくめであるな」
「は、まさに天から与えられた恵みかと」
会うなと言われていたシャンタルが、庭を散策していた。
思わず窓辺に寄って、怒りたい衝動に駆られたルトヘルは動揺する。
新しい侍女達と歩く彼女は、とても幸せそうに笑っていた。
初めて恋に落ちた時の、あの愛らしい顔。
そしてルトヘルは不意に気づいた。
ずっと、シャンタルの笑顔を見る事がなかったのだと。
いつだったからかは思い出せない。
淑女教育が始まる頃には、作り物の笑顔になっていた。
けれど、ルトヘルに対しても微笑みは向けてくれていたのだ。
今はそれすらもない。
無機質な眼で、ただその瞳に映すだけ。
それすらも厭うように、視線を向けない時まである。
庭では、日傘を差したシャンタルが、幼い少女の様にくるりと身軽に回った。
その後を追うように、腰に付けた細い帯が弧を描く。
一幅の絵のような美しい光景に、その場に膝を落とした。
シャンタルへの愛を再確認したルトヘルは、近づけないならと手紙を書くことに決めたのである。
でも、幾ら書こうと思っても言葉が思いつかない。
読み返すと、ただの注意だったり貶す言葉だったりと、自分で何が伝えたい事なのか分からなくなる。
愛しているとただそれだけを書くのは拙すぎるし、と迷っている内に文官が書類の束を机に積み上げた。
「何だ、これは」
「殿下の裁可すべき書類でございますが」
「今まではシャンタルがやっていた筈だ」
不満そうなルトヘルの言葉に、文官が眉を顰める。
「今までが異常だったのでございます。側妃になる以上、今は殿下とシャンタル嬢は婚約関係にございません。現在の殿下の婚約者は、フローチェ・ベイレフェルト公爵令嬢にございます。ですが、登城してない様子ですので此方に」
「は?婚約を解消したなど、聞いていないぞ!?」
大声を上げるルトヘルに、文官は更に顔を歪めた。
「殿下、それでは道理が通りますまい。正妃となられるベイレフェルト嬢との結婚が先にございますれば、そちらと婚約を結ぶのが必定。側妃になられるシャンタル嬢は、今や客人の扱いです。その様な方に仕事を任せる事は出来ません。また、ベイレフェルト嬢と先にお子をなすまでは、シャンタル嬢を側妃にする事も許さぬと国王陛下はお決めになられました」
「聞いていない、聞いていないぞ!」
駄々を捏ねるようなルトヘルの様子に、流石に辟易とした表情を浮かべた文官が溜息を吐く。
「少しお考えになれば分かるでしょう。そもそも、正妃との間に御子が生まれれば、側妃と御子を作る必要すらないのです。我が王国では正妃以外の子供は王子とはいっても庶子。継承権は無いのですから。無事王妃様にお子が授かれば、側妃として認められるかどうかも分かりません」
説明をされれば、どうにか記憶の隅にそれらしい事象が引っかかる。
だが、そうではないのだ。
今までの様に、シャンタルを他の者の目に晒したくないから、側妃にして閉じ込めようと思ったのに。
フローチェがそう、提案してきたのだから、彼女が側妃を認めない訳が無いのだ。
「父上の許へ確認に行く」
「いいえ、今日はもう忙しくしておいでですから明日以降に。ですが、もう既に公爵家との婚約は整っておりますし、覆す事は出来ません。この上我を通せば立太子すら怪しくなるでしょう」
悔しそうに睨んだ後、ルトヘルは執務用の椅子に座る。
今更書類仕事などはしたくないが、しなければそれも立太子が危ういと言われるのだろう。
王になれなければ側妃を娶る事すら出来ないと分かって、悔しさを滲ませながらルトヘルはペンを持った。
結局、ルトヘルはその後執務に追われてシャンタルの様子を見に行くことが出来なかった。
フローチェも補佐として登城はしているのだが、シャンタルほどの仕事は熟せない。
「殿下、本日は諸国の来賓を迎える大事な夜会にございますれば、そろそろ仕事を切り上げては如何でしょうか」
「……ああ、もうそんな時間か」
「はい。ベイレフェルト公爵令嬢を同行するようにと、陛下が仰せです」
「分かった」
婚約を結ばされて、初のお披露目というところだろう、とルトヘルはため息を吐いた。
あの後、国王である父親にシャンタルへの措置を申し入れたが一蹴されたのである。
理詰めで言い聞かせられれば、反論のしようが無かった。
子を作らなくても、側妃にしたいなどと言えば馬鹿かと罵られたのだ。
相手は娼婦ではない、貴族令嬢だぞと殴る勢いで言われては、渋々でも引き下がるしかない。
そして、今までのシャンタルへの傲慢な態度も非難されたのである。
着飾ったフローチェを迎えに行き、馬車で王城へと折り返す。
今日の宴は盛大だ。
まるで世界中がルトヘルとフローチェを祝福しに集まったかのようで、最近の苛々し通しだった気持ちも華やぐ。
隣に立つフローチェも同じように、美しく華やかに微笑んだ。
だが、その浮ついた気分も夜会が始まるまでだった。
美しく愛らしいシャンタルが、女神の様に磨き抜かれて着飾って、夜会に顔を出したのである。
同行しているのは、目元を覆う仮面の美しい男。
こちらも露出部分が少ないというのに、類稀なる美しさは隠し切れていない。
「何だ、何が起こっている……!?」
狼狽えるルトヘルをよそに、その場に小さな年若い令嬢が拍手と共に現れた。
艶やかな黒髪に、抜けるような白い肌。
瞳は蠱惑的な桃色をしていて、あと数年もすれば花開くだろうという美しい少女だ。
そして、仮面の男はシャンタルを同行して、その令嬢にシャンタルを引き渡すように目の前に立たせ、シャンタルは最上位の挨拶を捧げた。
少女は頷き、辺りが華やぐような微笑みを見せる。
そして、シャンタルはその少女が差し出した手を取り、手を繋いだ。
「アバレンス国王陛下。この度は我々とのお取引に応じて下さり感謝致します」
「いえいえ、こちらこそ、今後も是非帝国の太陽と共に繫栄され、その威光を我々にも届けて頂きたい」
「まあ、素敵なお言葉をありがとう存じます」
そう言って少女は淑女の礼を執ると、傍らのシャンタルに微笑みかけた。
シャンタルも頬を染めて微笑み返している。
「陛下、何故シャンタルはあの者と一緒に?」
小声で問いかけるルトヘルに、苦虫を噛み潰したように国王は応じた。
「お前は、黙っておれ。口をきくな」
だが、近隣諸国の王の一人が、にこやかに語り掛ける。
「羨ましいですぞ。あれほどの美しさなれば、大公殿に売れるのも納得ですな。我が国にも是非そんな縁が欲しい所です」
「売っ……た?売った、のですか?シャンタルを!」
「いいや違う!側仕えとして雇いたいと、破格の申し出があり、シャンタル嬢も受け入れたのだ」
「そんな、そんな筈は…シャンタルは俺を愛しているのに!」
大声を発したルトヘルに、少女とシャンタルが目を向ける。
「何か問題でもございまして?」
「シャンタルは!俺を愛しているのに引き離すなんて!だいたいどこの大公家の令嬢か知らぬが、大公は王家より下だろう!そのような傍若無人が許される訳がない。シャンタルを返せ!」
その叫びに、会場が水を打ったかのようにしん、と静まり返った。
「あら、あらあら。こんな侮辱を受けたのは初めてでございましてよ」
静けさを打ち破ったのは、黒髪の令嬢のくすくすと鈴を転がすような可愛らしい笑い声だ。
それなのに、居並ぶ諸国の王も、シャンタルさえ、顔を蒼褪めさせている。
「何でしたか。大公は王より下、と。ではザイード帝国の第十五皇女は、アバレンス王国の第一王子の上ですか?それとも下?」
問われた言葉に、ルトヘルは固まる。
ザイード帝国は此処からは遠い。
けれど、その勇猛さと支配力は大陸随一だ。
国土の大きささえ、この国の30倍はある。
「それは……一概に上とも下とも……だが、其方には関係のない話であろう!?」
「関係のない?ふふっ……陛下、よくこれをこの場に出す決断を致しましたわね?古代の歴史はおろか、最近の情勢にも目を瞑っていた盲人なのでしょうか。いえ、これでは盲人に失礼ね。彼らは耳で聞き、指で文字を読めますもの」
「大変……愚息が大変、申し訳ない事を…!」
王座から滑り落ちるように床に膝を突き、国王は床に手を着いた。
頭を下げる事は出来ないが、精一杯の謝意を込めて。
だが、その姿をルトヘルは信じられない物を見るかのように見て、疑問符を浮かべる。
「わたくしはザイード帝国の第十五皇女ですのよ。モブリーナ・リヒテンシュタール・フォン・ザイード。オスヴィン三世がわたくしの父。一番愛されているわたくしが、戦争で得たリヒテンシュタール領を賜って、ザイード国から独立したの。だから帝国皇女としては令嬢ですけれど、リヒテンシュタール大公でもありますのよ。これで身分の差が解って頂けて?」
は、とルトヘルの隣で勝ち誇ったような笑みを浮かべていたフローチェも顔を蒼褪めさせる。
「殿下、謝罪を、今すぐなさいませ」
「し、知らなかったのだ」
「そんな事も知らずに外交の場に堂々とお出ましになるとは、はぁ……困ったものね。わたくしを溺愛する皇帝陛下がこんな侮辱を他国の王子に受けたと知ったら、戦争が起きてしまうかもしれないわ」
困った様に呟かれた言葉を聞いて、ルトヘルが慌てて謝罪を口にする。
「何か考え違いをしていたようだ。許してくれ」
何とも偉そうな謝罪に、ぷっとモブリーナが噴き出した。
「どこまで馬鹿にしてらっしゃるのかしら。逆に新鮮だわ。面白いわ」
軽やかな笑い声が響くが、笑う者は一人もいない。
アバレンス国王も顔色が悪いだけでなく、手を震わせている。




