虐げられた鳥は空を夢見る
「お前は、側妃となるんだ、いいな?」
命令を下してきたのは、この国の王子であるルトヘルだ。
そして、シャンタルの婚約者でもある。
七歳の頃に、園遊会で見初められて以来、彼はシャンタルを王宮に閉じ込めた。
家族からも引き離され、王子妃教育と淑女教育を受けてきたのだ。
最初は、シャンタルもルトヘル王子を愛そうと思った。
けれど、どうしたって無理だったのだ。
彼は自分勝手で傲慢で。
王族だからなのだろう、とそれは諦めもついたが、シャンタルを事あるごとに罵倒した。
「お前には華が無いな」
「お前は地味で目を惹かないが、俺だからお前でも我慢してやれるんだ」
そんなに嫌なら、何故強引に城まで連れて来たのだろうか、と不思議に思った。
幼い頃に、疑問に思ったそれを口に出したことがある。
「殿下にはもっと華やかな方がお似合いかと存じます。どうぞ、わたくしを家にお戻しくださいませ」
「なっ……生意気を言うな!我慢してやると言っているのだ」
激高した王子に打擲されたシャンタルは、廊下に無様に転がった。
使用人達が駆け寄り、助け起こす。
「殿下、今の行為はやり過ぎです」
流石に見かねた侍従が嗜めるが、ルトヘルはうるさいうるさいと騒いでその場から駆け去った。
溜息を吐いた侍従は、シャンタルに向かって跪きながら言う。
「殿下はあれで、貴女を愛しているのです」
「この暴力が愛というのなら、わたくしは要らないわ」
侍従は悲し気に頷いて、立ち上がって背を向けた。
それから、ルトヘル王子が暴力を振るう事はなかったけれど、態度は改められないまま。
シャンタルはどうにかその牢獄から逃れたいと願っていたが、無理だった。
実家のベーレンス家は伯爵家だ。
父母に手紙を書いても、家の為に我慢をしてくれと言うばかり。
国の行事である王家主催の宴には来ても、個人的にシャンタルの所へ来ることも無い。
宴でも声をかけたそうに見ているが、ルトヘル王子が横にいるのを見ると諦めた様に目を逸らす。
その時初めて、家族も脅されているのかもしれないという疑念がシャンタルの心を過ったのである。
隣で笑顔を振りまく、美しい怪物が悍ましかった。
けれど、今。
ルトヘルの隣には、フローチェ・ベイレフェルト公爵令嬢が寄り添っている。
「では、ベイレフェルト公女がルトヘル殿下の正妃にお成りですか?」
「そうだ。身分的にも見た目的にも釣り合いがとれているだろう?」
傲慢な笑みを浮かべるルトヘルに、華やかな美貌のフローチェも美しく微笑む。
「はい。とてもお似合いです。わたくしの様な者は側妃にされずとも、お二人だけで良いのではないでしょうか?」
「今までの其方の尽力に報いようとしているのに、まだ我儘を言うか!」
だって、必要ないもの。
シャンタルは首を横に振る。
「わたくしの事などお気になさらないで下さいませ。お二人の婚姻を心より祝福いたします」
静かに立ち上がって淑女の礼を執るが、ルトヘルは顔を紅潮させて怒っている。
「お前は、側妃になるんだ。俺がそう決めたのだから、従え」
「他の男に色目を使う売女令嬢でも、でございますか?」
そう聞き返せば、ルトヘルは、は?と口をぽかんと開ける。
彼はシャンタルを罵倒し過ぎて、いちいちその暴言を覚えていない。
それを聞いた周囲が、シャンタルをどう思うかなどどうでも良いのだ。
「殿下が言い、否定されなかったわたくしの噂です」
「そんな前の事を……」
「事件があったのは前だとしても、周囲のわたくしへの評判は変わりませんの。そうでございますよね?公女様」
シャンタルが無機質な眼で隣のフローチェを見れば、彼女は控えめに頷いた。
「だが、お前の評判がどうであろうと、俺は構わない」
「殿下の御名に傷がつきますよ。売女を側妃に迎えるなど」
「実際のお前はそんな女ではあるまい!」
「実際のわたくしになど皆興味はございませんでしょう。皆が興味を惹かれるのは殿下に罵倒されるわたくしですもの」
冷たい声音で言えば、ルトヘルは歯噛みする。
フローチェはそこにやんわりと割って入った。
「ですが、殿下はどんな貴女でも傍に置きたいのですから、殿下の愛をお受けくださいな」
「愛などございませんでしょう。わたくしは一度たりとも殿下からお優しい言葉を頂いた事はございませんもの」
「まあ……」
シャンタルの返事に、わざとらしくフローチェは驚いた風に扇で口元を隠す。
目を見れば、愉悦に満ちているのだから、何も隠せてはいない。
「それは……其方の為だ。其方が傲慢にならぬように、と」
「どのようなお心であったとしても、罵倒しかされていないわたくしには殿下の愛など感じとるのは不可能でございましたの」
一瞬うろたえた様に見えたルトヘルも、シャンタルの返事に忌々しそうに目を逸らす。
「愛が無ければ、側妃になどと言わない」
「……執務をさせるだけの、お飾りの側妃に愛など必要ございませんでしょう」
「そんな事はない!きちんと妻として遇す心算だ」
その言葉に、さっとシャンタルの顔が蒼褪める。
王妃の立場を追われた事に悔しさはない。
寧ろ解放された歓びがあったのだ。
なのに、ルトヘルは立場を落としても、手放す気はないのだと知る。
妻として、それは、閨にまで立ち入る心算なのだ、と。
「それは閨を共にしろと仰るの?爵位が低くて立場も弱いから好き勝手に扱って良い玩具だと?」
「……な、っそ、そんな訳があるか……!」
「わたくしは席を外した方が宜しゅうございますね」
静かにフローチェが言葉を紡ぐ。
激高しかけたルトヘルは、その言葉に少しだけ落ち着きを取り戻した。
「いや、いい。この女が立場も弁えず、我儘を言うからいけないんだ」
「左様でございますね。大変名誉なお申し出でございますのに」
非難するというよりは、嘲るような笑みを含んだ眼差し。
シャンタルはフローチェがどう思うかなどは、どうでも良かった。
それよりも、ルトヘルから離れたかったのだ。
このままずっと、絶望しかない人生を歩むのが辛い。
いっそ、死んだ方がいいのではないかしら、と頭に過るほど。
「失礼いたします」
シャンタルは再度、淑女の礼を執って部屋を後にした。
王宮の廊下は艶々に磨き上げられた大理石だ。
人々はそれぞれ目的を持って、自分の居るべき場所へと歩いて行く。
シャンタルに居場所はあっても、居るべき場所でも居たい場所でもなかった。
「もし、シャンタル・ベーレス伯爵令嬢」
声をかけて来たのは、ハッとするくらいに美しい容貌をした男性だった。
通り縋る人々が思わず足を止めるほどの。
彼の髪は茶色で、人目を引く輝く色ではない。
瞳は海の様な鮮やかな青で、女性の如く繊細な睫毛がその目を縁取っていた。
肌は白いが、健康的な色だ。
そしてなにより、この国の者ではない。
異国人の顔立ちだ。
近隣諸国の人間とも思えない。
なのに、何故名前を知り、呼び止められたのか分からなかった。
「私の主人から、貴女への手紙を預かっております。一人の時にお読みください。他の方に知られぬように」
最後の一言は、聞き耳を立てている周囲の者に聞こえないよう、声を落として。
シャンタルはその手紙を受け取り、会釈をする。
周囲の人間は、小間使いも含めて皆、彼に注目していた。
声をかけられたシャンタルにも、嫉妬と羨望の視線が突き刺さる。
それよりもシャンタルは、手紙の主にも心当たりがない。
美貌の男に会釈をすると、シャンタルは足早にその横を通り過ぎた。
七歳で見初められて以来、王宮に囲われていたシャンタルに友人と呼べる間柄の者はいない。
侍女や小間使いも王宮で管理されている人々で、些細な事もルトヘル王子に伝えるのだ。
常に監視され、そして。
身に纏う衣装も宝飾品も全てルトヘルからの贈り物。
貧しい者からすれば羨ましい話かもしれない。
けれど、自分に似合わぬ地味な色と意匠の衣装を着せられて、罵倒されるのだ。
夜会にも連れていかれて、引き回される。
当然、流行を無視した簡素で地味な衣装は、淑女達の笑いの種だ。
何故、見た目が良くない女に、地味な衣装を着せて、笑い者にするのか。
七歳の少女だった自分に、そこまでされる罪はあっただろうか、と不思議に思う。
「見て、あのみすぼらしい姿。殿下の隣には相応しくないのではなくて?」
「ええ、いつまで縋りついてらっしゃるのかしら。みっともない」
低位貴族の令嬢達は迂遠な言い回しをせずに、嘲笑う。
だが、高位貴族とて同じだ。
「殿下にはもっと美しい花をお勧め致しましてよ」
「野の花を愛でたいお年頃なのでしょうなぁ」
彼らは露骨にルトヘルに違う相手を迎えるように口にする。
「ああ、いいんだ。私はそれでも愛しているのだから」
それでも。
それでもというのは、地味でみすぼらしいということ。
自分でその装いをさせておいて、彼らの嘲りを否定しない。
そして次の夜会も、その次の夜会も同じ事を繰り返す。
或る日、ある令息がぽろりと言った言葉に、ルトヘルは激怒した。
「着飾らせてあげれば、もう少し美しくなるのでは?見目は良いのですから」
「お前に何が解る!?口を出すな!」
令息は慌てて謝ったけれど、シャンタルは強く腕を掴まれて、そのまま会場から引きずり出された。
「おい、いい気になるんじゃないぞ。あれは単なる世辞だ。お前など見向きもされない!俺の隣にいるから話題に上るだけだ。勘違いするな」
勘違いも何も、殆どがシャンタルを嘲る人々で、笑われているというのに何を勘違いするというのか。
「お前はもう、戻れ」
だから、次の夜会で。
シャンタルは呼ばれていないのに、髪結いと衣装係を呼んで、自分を飾り立てた。
いつも付いている侍女や小間使いには用を言いつけて、部屋から遠ざけてある。
少しは美しく飾れば、見直して頂けるのではないか。
そう思ったから、鏡の中の美しく飾られた姿に希望を抱きながら、会場へと向かった。
今日開催されている夜会は仮面舞踏会だ。
ルトヘルは、だからシャンタルを見世物に出来なくて、伴わなかったのだろう。
招待状は持っていなかったが、忘れて来たと言えば、名前を聞かれて主催者に確認が行く。
待たされることも無く、シャンタルは広間に通された。
人々の騒めきと華やかな音楽。
誰も蔑みの目で見てこないことに、不思議とシャンタルは胸が高鳴った。
自分を誰とも知らない人々は、攻撃をしてこないのだと知る。
それでも、注目は集めていた。
「美しい方、私と一曲舞踏を」
「私とも是非」
初めて殿方に舞踏を申し込まれて、吃驚する。
自分にも、そんな風に声をかけてくれる人が居る、という事に驚いたのだ。
でも。
荒々しい足音と共に近づいてきたルトヘルに仮面を毟り取られた。
「シャンタル!よくもぬけぬけと!他の男に色目を使うとは、お前は売女か」
「……殿下……違います。わたくしは殿下の為に」
「言い訳などいらぬ!おい、さっさと連れ出せ!」
暴力は振るわれなかった。
けれども、評判を地に落とす暴言で、その先のシャンタルの評判は更に酷くなったのだ。
シャンタルはそこから笑わなくなった。
何をしても、歩み寄ろうとしても努力しても、受け入れて貰えない。
笑顔を向けなくなったシャンタルを暗い女、陰気な女とルトヘルが責めるようになっても。
急いで自分の部屋へと向かい、人払いをすると鍵を掛けて手紙を開いたシャンタルは手紙の内容と差出人に驚いた。
『貴女は今、この世界に別れを告げようとしているのでしょう?』
一行目の文で、ひ、と喉から声が漏れたほどだ。
『でも、私はそんな貴女を助けたい。貴女にも幸せになる権利と未来があるの。貴女が私の迎えを待っていてくだされば、優しい未来を貴女にあげましょう。この世界の美しいものと楽しい事を知らずに命を手放すのはおやめなさい。私と会って、それでも猶この世界に別れを告げたいのであれば、私が見送って差し上げます。どうか、それまで、笑顔で何事も無かったように過ごしなさい。王子を決して受け入れず、何も行動を起こさずに。一か月後の夜会でお会いしましょう』
署名は、リヒテンシュタール大公、モブリーナ。
噂では伝え聞いている、帝国の姫である。
十五番目の皇女で、末の姫。
ザイード帝国の皇帝、オスヴィン三世からの寵愛を一身に集めている最愛の娘。
戦争で得た大公領を小さな姫に与え、その姫が数年後にリヒテンシュタール領を、リヒテンシュタール大公国にしたのは有名な話だ。
彼女の偉業はそれだけではない。
独立してすぐ後に、攻め入ったオーレンス王国を逆に攻め滅ぼしたのだ。
ザイード帝国の介入があったのでは、いやいやカザレス帝国の同盟が、と話題になったのだが、彼女は大公国として独立した時に宣言したように、自分の国だけで全てを行ったのだという。
徹底して軍人しか殺さず、領民や女子供に狼藉を働く事もさせず。
オーレンス王国の王都は、血を流さずに彼女を迎えた。
滅ぼしたのだから自分の国にすると思いきや、数多いる兄にその国を託し、彼女は颯爽と自国へと戻ったのだ。
その手腕の鮮やかさ全てに、大陸中の王族と廷臣から畏れられ、敬われる。
最早、大公国に手を伸ばそうとする人間は皆無だろう。
北の地において、国を滅ぼしてしまった聖女を説得したのもモブリーナ皇女殿下だったという噂もある。
聖女が常に、皇女の側に侍っているからだ。
もしかしたら、彼女は神の叡智を授かっているのかもしれない。
だから、自分の窮地にすら手を差し伸べてくれたのだ。
誰にも救われず、見向きもされず、愛されない自分に。
そう思ってシャンタルは手紙を抱きしめて、初めて声を上げて泣いた。
死のうと思っていたし、この先にも絶望しか無い。
側妃のまま働かされ、ルトヘルの心労や欲望のはけ口にされるなど、絶対に。
その前に死んでやろうと思っていたのだ。
当てつけだけではない。
自由になる為。
逃げ出す為。
それくらいしか方法が思いつかなかったからだ。
抱きしめてくしゃくしゃになった手紙を見て、もう一度その美しい文字を辿る。
涙が滲んで、流れた墨で指を汚しながら、何度も。
美しい男が、誰にも知られぬようと言ったという事は、この手紙を読んだら燃やすようにという暗喩だ。
だから、シャンタルは美しい文字を刻みつけるように、何度も何度も頭の中で、心の中で繰り返した。
笑顔で過ごす事。
何も行動を起こさない事。
死なない事。
それがシャンタルに与えられた使命だ。
もし、彼女が迎えに来なかったとしても、その時は死ねばいいだけだから。
何時でも胸を貫けるよう懐剣を衣装に忍ばせて、シャンタルは美しく微笑む事にした。
悲惨な末路かもしれないのに、それまでシャンタルの過ごした時間の中で一番幸せな時間だったのである。
愛しい相手を待つような、遥か昔に家族と出かける時に感じたような、高揚感。
どちらにしても自由になる事は決まっている。
だが、変化はすぐに訪れた。
護衛の騎士と、侍女や小間使いが入れ替わったのだ。
まさか、と思ったがシャンタルは口にしなかった。
仕えてくれる使用人達も、同じように口にはしなかったが、大事に扱われる事で、そう確信したのである。
彼らはモブリーナ大公の遣わした人々で、心底嫌いなルトヘル王子の監視から逃れられたのだと。
久々のモブリーナです。色々書きかけで止まってたりしてます。この中編はすぐ終わります。短編であんまり長いのは良くないかなーって思って、中編にしました。
6月は環境が変わる事が多い月なので、色々ドキドキひよこです。最近はお米も高価なので、うどんで過ごそうかなと思ってるひよこ。




