65 ルノアを怒らせてはいけない?
二人は手をつないだまま、ラルフの執務室へ向かった。
扉の前で入室の許可を待っていると、中から声がかかった。
「入りなさい。二人とも、体調は大丈夫かな?」
「お義父上、ご配慮ありがとうございました。
ゆっくり食事を取ることができました。二人とも体調は落ち着いています。
ですが、いろいろと問題があるようですね。詳しく聞かせていただけますか?」
クロリナラドが答えると、ラルフは二人に席を勧めた。
「ああ。今後について話しておきたい。魔術協会に関する話もあるので、そこはヴァリーから説明してもらおう。秘匿事項が多いが、ルノアが聞いても問題のない範囲については、あらかじめ許可を得てある」
ラルフは一度言葉を切り、二人を見つめた。
「結論から話そう。カーナリアン王国では、国王が交代することになる。
その前に、今後のことにも関わるお前たちの考えを聞いておきたい」
そして、少し苦笑した。
「先に伝えておくが、お前たちが眠りについてすぐ、私は体調不良と原因不明の魔力暴走を理由に、宰相を辞任した。
実際には、これ以上あの仕事を続けられる状態ではなかったからな」
続いてヴァリアードが、臨時の魔法会議が開かれることなど、現時点で決まっている事項を説明し始めた。
ところが、精霊の使役に関する話が出た途端、ルノアの表情が一変した。
怒りとともに魔力が高まり、室内の空気が重くなる。
「ノア、ゆっくり呼吸しようか」
クロリナラドが優しく声をかけた。
「感情を抑えることも、これから少しずつ学んでいこう。お父様とヴァリアードの顔を見てごらん。二人とも大丈夫かな?」
「あっ……ごめんなさい。迷惑をかけてしまいました」
ルノアは我に返り、申し訳なさそうに頭を下げた。
「続けてください。福ちゃんも、心配をかけてごめんね」
そう言って福ちゃんを優しく撫でると、深呼吸を繰り返し、静かに目を閉じた。
やがて呼吸が落ち着くと、ルノアは穏やかな笑顔で口を開いた。
「タスワンズ湖に狩りをしに来るなんて……。自分が狩られる側にならないと、分からないのかもしれませんね」
その声は柔らかかったが、言葉には明確な怒りが込められていた。
「一度、経験していただいたほうがよろしいのではありませんか? 精霊様を使役した方々には、全員、自分が何をしてきたのかを身をもって知っていただくのです。サライもそう思いませんか?」
ルノアは少し考え、続けた。
「精霊王様にもお伝えいただきたいですけれど……干渉は駄目でしたね。ごめんなさい」
一度言葉を切り、真剣な表情で三人を見渡した。
「どうすれば、二度と同じことをしてはいけないと、世界中の人たちが当たり前のこととして学べるのでしょう? 学ぶ方法があるのなら、きちんと理解していただきたいです」
にっこりと微笑むルノア。
その笑顔とは裏腹に、室内には強大な魔力が満ちていた。
クロリナラドもラルフもヴァリアードも、結界を維持しながら、内心で同じことを考えていた。
――ルノアを怒らせてはいけない。
三人は魔力による圧迫感に耐えながら、そっと息をついた。
やがてクロリナラドが、話題を戻すように口を開いた。
「お義父上は、どうお考えですか?」
「私か?」
ラルフが問い返すと、クロリナラドは頷いた。
「現在の王位継承権を考えれば、お義父上が王位を継ぐのが自然だとは思います。ですが、そのお気持ちがないのであれば、ヨーリアン帝国に協力を求める方法もあるのではないでしょうか」
クロリナラドは、カーナリアン王国の事情を思い返しながら話を続けた。
「本来なら、今の国王ではなく、優秀だった妹君が女王になるはずだったと聞いています。ところが、ヨーリアン帝国の帝王が彼女を運命の番として迎えた。その話は有名ですからね」
「彼女の息子二人も娘も優秀だと聞いています。ヴァリアードは自分と似たところがあるから、苦手なんだろう?」
「おい、余計なことを言うな」
ヴァリアードが眉をひそめると、クロリナラドは気にせず続けた。
「長男はすでに王太子となり、後継者もいる。次男も優秀で、後継者がいるのなら、次男に協力を頼む方法もあるのではないでしょうか」
話を聞いていたヴァリアードが、ふと思い出したように尋ねた。
「確か、その妹君は王位継承権を放棄して嫁いだんだったな。クローとルノアが王位を引き継ぐこともできるのか? 二人はどう考えている?」
「そうだったのか……」
クロリナラドは驚いたように呟き、ルノアに視線を向けた。
「ノアはどう思う?」
「お父様、ヴァリー伯父様。申し訳ありませんが、私はもう社交界で暮らすことを望んでいません」
ルノアは二人に向き直り、はっきりと告げた。
「これからのことは、まだ竜神様にお会いしていないので、今の段階では何とも申し上げられません。
ただ、竜神様のお手伝いだけでも、私には手いっぱいになると思います」
そして、隣に座るクロリナラドを見つめた。
「ラド様も、ひとつ確認させてください。あとから話が違うということは、ありませんよね?」
「ああ。もちろんだ」
クロリナラドは真剣な表情で答えた。
「俺が担っているのは、この世界のスタンピードの監視と管理、それに魔石の調整だ。今は、まだ誰にも引き継げない。この仕事を放置することのほうが、よほど危険だからな」
彼は過去に起きた出来事を思い返した。
「前回の魔石戦争に、天空都市への侵略行為、さらにスタンピードまで重なった。複数の危機が同時に起きれば、世界全体が危険にさらされる。二度とあのような事態を起こさないためにも、俺はこの仕事に集中したい」
クロリナラドは申し訳なさそうにルノアを見つめた。
「すまない。竜皇国の王太子の子供が優秀だから、その子に引き継げるようになるまでは、難しいと考えている」
そして、ルノアの手をそっと握った。
「世界の均衡が崩れれば、ノアの負担が増える。俺が何よりも優先したいのは、ノアを守ることなんだ」
その言葉に、ルノアは握られた手を握り返した。




