58 犯罪の証明書類
ヴァリアードも、魔塔にある自室続きの執務室へ戻った。
机の上には、各省から届けられた書類が積み上がっていた。
それを見たヴァリアードは、思わず失笑した。
――今まで、こんなふうに書類が届けられたことなどなかった。
いつも口頭で「お願いね」と言われるだけ。それが命令であることは、断る余地のない状況からも明らかだった。
黒銀の鎖が外れてから、ヴァリアードは十年前に遡って記録を整理し、映像と音声の証拠を添えた書類を準備してきた。
各省への請求書には、支払金額と期日を明記し、期日までに支払われなければ国際裁判で決着をつける旨を通知した。
その結果、昨日までに、すべての支払いが完了していた。
ただし、黒銀の鎖による拘束に対する慰謝料だけは別だった。
ヴァリアードは提示された和解条件を承諾せず、関連書類を犯罪の証拠として魔術協会に提出していた。
その書類には、黒銀の鎖によって拘束されていた事実が明確に記されている。拘束した側が自らの罪を証明する内容だった。
鎖を装着された日付も、エミリアの指輪によって解放された日付も、正確に記録されていた。
さらに、事件を口外しないことを条件とした示談書には、慰謝料の金額まで記載されていた。
ヴァリアードは、その契約書に残る魔力を感じ取り、目を細めた。
――この魔力には覚えがある。
誰が関わっているのか、察しはついていた。
そもそも、魔石の製作と販売だけで、ヴァリアードには有り余るほどの財産がある。金銭を渡せば口を閉ざすと思っているのなら、見当違いも甚だしい。
魔術協会の長からは、来月開催される臨時世界魔法会議で、史上初となる魔塔の閉鎖が発表されると知らされていた。
そして、その場でヴァリアードは被害者として扱われる。
魔塔の長が黒銀の鎖で拘束され、長年にわたって酷使されていた事実が、各国の代表者たちの前で明らかになるのだ。
魔塔で行われていた研究の大半には問題があった。
その中で、無実が証明されたのはヴァリアード本人と秘書を務める職員三名だけだった。
十年もの間、王族から脅迫され、途中からは黒銀の鎖に囚われながらも、ヴァリアードは耐え続けてきた。
魔術協会の長からは、深く頭を下げられた。
「あなたが耐え続けてくれたおかげで、戦争を起こさずに済んだ。それだけは、間違いのない事実です」
魔術協会も、事態を重く受け止めていた。
「もっと早く救い出せる状況に気づくべきでした。気づいたときには、すでに手遅れに近い状態だった。申し訳ありません」
そう詫びられたとき、ヴァリアードは責める気にはなれなかった。
魔術協会は厳戒態勢を敷いて監視を続け、特にこの一年は、危険と判断される魔術の使用が相次いでいたという。
違法な魔術が活発に研究され、実際に試されていたことも判明していた。
それらの証拠はすべて保管され、裁判に必要な資料も整えられている。
ここまで対応してくれた魔術協会には、感謝しかなかった。
ヴァリアードは机上の書類を確認し終えると、王城へ向かった。
…ー…ー…ー…ー…ー…
王の執務室には、国王と三人の王子が揃っていた。
ヴァリアードが入室すると、国王が口を開いた。
「忙しいところ呼び出してすまない。先週から魔術協会の長が来ているようだな。宰相にも何度も連絡したが、返答がなかった。体調を崩していたらしく、先ほど辞任届が提出されたところだ」
国王は一度言葉を切り、隣に立つハーマイル公爵を紹介した。
「次期宰相には、推薦人の規定を満たしていたハーマイル公爵が就任した。議会の承認を待つ必要もない。紹介しておこう」
ヴァリアードはハーマイル公爵と目礼を交わした。
「それで、ヴァリアード。先週から魔術協会の長が来ている理由を教えてもらえないだろうか?」
国王の問いに、ヴァリアードは困ったように微笑んだ。
「申し訳ありませんが、私も魔塔の長であると同時に、魔術協会の会員です。守秘義務があることはご存じでしょう」
そう前置きしてから、三人の王子へ視線を向けた。
「逆にお尋ねします。皆様は、魔術協会の長が来訪していることを、いつ、どのように知ったのでしょうか?」
室内に沈黙が落ちた。
誰もすぐには答えなかった。
「お答えいただけるかどうかで、こちらからお話しできる内容も変わってきますので」
ヴァリアードは穏やかな笑みを浮かべたまま、第三王子に目を向けた。
「まずはライド殿下。どの段階で異変にお気づきになったのですか?」
ライドは素直に答えた。
「結界が異常な魔力を感知したことで気づいた。隠密に調査させ、父上に報告した。その後、兄上たちにも知らせたと聞いている。それから、先ほどの宰相の魔力暴走にも気づいた。優秀な方だけに、治療する方法がないのかも知りたい」
「なるほど。では、アキド殿下とサリド殿下にも、同じことをお聞きしてよろしいですか?」
第一王子のアキドが先に答えた。
「私は魔術の才能がない。異常な魔力を感知することはできなかった。父上から聞いて初めて知ったのだ」
続いて、第二王子のサリドも口を開いた。
「私も異変には気づかなかった。父上に呼ばれた際、初めて事情を聞いた。宰相の魔力暴走には気づいたが、魔道具が破裂する音が大きかったのでな……」
そこで言葉を濁した。
三人の話を聞き、ヴァリアードは納得した。
「……残念ですね」
小さく呟いてから、国王へ向き直った。
「魔術協会の突然の訪問には、私も驚きました。しかし、話を聞く限りでは定期監査とのことです。先週は隣国のヨーリアン帝国にある魔塔にも監査が入ったと聞いております」
そこで一度言葉を切り、続けた。
「それから、来月、臨時の世界魔法会議が開催されるそうですが、陛下のもとには書簡が届いておりますか?」
国王は眉をひそめた。
「そのような書簡が届いているのか? 誰が参加する予定なのだろう。臨時会議には各国の王も出席する義務があるが、私一人では判断できないこともある。今回は第三王子を伴おうと思うが、二人とも異存はないな?」
「問題ありません」
アキドとサリドは頷いた。
国王はヴァリアードに視線を戻した。
「ところで、マクアリール公爵の体調については、何か相談を受けていたのか?」
「いいえ。妹が結婚する前に仲違いして以来、会っておりませんでした。十年ぶりに再会した際も、遺品を受け取るために数時間滞在しただけです。そのとき、体調が悪いと聞きました。今になって考えれば、何か事情があって身辺を整理していたのかもしれません」
ライドはヴァリアードに視線を向け、確かめるように大きく頷いた。
「そうだったのか……。残念だが、仕方がないのだな」
国王はそれ以上追及しなかった。
ヴァリアードは、ライドから真実眼の魔術が働いていることを感じ取っていた。
だからこそ、余計な説明を重ねる必要はないと判断した。
しばらく考え込んでいた国王が、改めて口を開いた。
「ヴァリアード。今後の魔塔の運営について、ライドを後任として育ててもらえないだろうか?」
突然の申し出に、ヴァリアードは黙って国王の言葉を待った。
「現在、魔塔には誰も入れず、連絡も取れない者がいるという訴えが貴族たちから届いている。私も対応に困っているが、状況が分からなければ返答のしようがない。事情を理解してもらえないだろうか」
国王は慎重に言葉を選びながら続けた。
「こちらとしても、誠実に対応しているつもりだ。残る支払いも、あと一件だけなのだろう?」
ヴァリアードは、国王の申し出をしばらく考えてから頷いた。
「分かりました。ライド殿下を後任として育てる件については、引き受けましょう。ただし、来月の世界魔法会議に私と一緒に出席していただくことが条件です」
「それは構わない」
国王が答えると、ヴァリアードは念を押すように続けた。
「ただし、一つだけ申し上げておきます。本来、魔塔は各国の政治に干渉しない立場です。魔塔の内部事情や、連絡の取れない者たちについて問い合わせがあった場合は、魔術協会へ直接確認するようお伝えください。ご心配されている方々にも、同じようにお伝え願います」
「分かった。そう伝えよう」
国王の返答を聞き、ヴァリアードは静かに一礼した。




