57 宰相を辞任する
「ラルフ様。王城から連絡がありました。至急、登城してほしいとのことですが、どうされますか?」
サラに尋ねられ、ラルフは頷いた。
「ああ……俺にも城から呼び出しが来ている。魔術協会が来ているのに、調査内容を探れないからだろうな。鎖が外れてからは、魔塔にも王家の影にも入れない。向こうは相当不安なんだろう。俺としては安心だがな」
「お二人とも、ご心配には及びません。クロリナラド殿下の結界もありますし、どうぞ登城してください。私たちが全員でお守りしますので、お任せください」
「サバス、こちらは頼んだ。サラ、ハーマイル公爵家にも連絡してくれ。俺の体調が悪いことを伝え、一緒に登城してもらうように頼んでほしい」
「かしこまりました」
「ヴァリー、悪いが俺は先に宰相を辞任する。原因不明の魔力暴走と体調不良を理由にするつもりだ。あとはよろしく頼む」
「私も辞職するつもりだからな。二人同時では不自然に思われる可能性もある。少し時間をずらしたほうがよさそうだ。了解した」
それぞれの役目を確認すると、ラルフたちは王城へ向かった。
見送りながら、サバスはサラに声をかけた。
「竜皇王様と王太子様にも、こちらの状況を伝えてください。準備が整い次第、私も竜皇国へ戻ります」
「承知いたしました」
…ー…ー…ー…ー…ー…
王城に到着したラルフが宰相室へ入ると、五人の宰相補佐官が待機していた。
「宰相閣下。体調が優れないと伺っておりますが、大丈夫でしょうか。陛下からも何度も確認の連絡が入っておりました。こちらで対応できず、申し訳ございません」
五人のうち一人が、恐縮した様子で頭を下げた。
「まず、用件を確認したい。どのような内容だ? 魔鳥便で報告することはできなかったのか?」
「先週から魔術協会による立ち入り検査が行われていることは、お伝えしておりましたが……。その内容について、どこまで把握されているのかと思いまして」
「君たちから書類で報告がなければ、こちらも対処のしようがないだろう。報告書はどこだ?」
ラルフが問いかけても、五人は答えなかった。
「口頭で済ませてよいことと、書類に残さなければならないことの区別もついていないのか? それとも、理解していながら記録を残さなかったのか。どちらだ?」
沈黙する五人を前に、ラルフは呆れたように息を吐いた。
「自分の身を守るためにも、業務の記録は必ず残せと、以前から伝えていたはずだ。誰が何を報告し、どう判断したのかを明確にするためだ。五人もいて、誰一人として対応できていないのか?」
「…………」
「これでは私も対応できない。まず、そこの棚を開けてみなさい」
五人が指示どおりに棚を開くと、必要な書類が整理されて保管されていた。
「必要な資料は、すべてそこにある。書式も統一してあるから、難しく考える必要はない。記録を残すのは、言った、言わないという責任の押しつけ合いを防ぐためでもある。君たち自身を守ることにもつながるんだ」
ラルフは棚の書類を指し示した。
「確認すべき案件の数も記録されている。五人で分担しなさい。まずは内容を確認し、相談しながら優先順位を決める。そのうえで、各報告書に返答を書き、すぐに取りかかりなさい」
五人は慌てて書類を手に取った。
ラルフはその様子を眺めながら、内心で失笑した。
何もできなくても平気でいられる神経だけは、ずいぶんと鍛えられたらしい。
残された時間は少ない。それでも、できる限り仕事をさせるつもりだった。これまで仕事をせず、給料だけを受け取ってきたのだから、最後くらいは自分たちの責任を果たしてもらわなければならない。
しばらくして、五人のうち一人が困ったように顔を上げた。
「優先順位について五人で話し合ったのですが、判断に迷っております。やはり、国王陛下に関わる案件を最優先にするべきでしょうか。しかし、各省の状況を判断するための資料が足りません。問い合わせても、担当者が休みで不在だと返答されてしまいまして……」
ラルフは呆れて言葉も出なかった。
資料が足りないのなら、不足している情報を整理し、誰に確認すべきかを考えればいい。担当者が休みなら、代理の者や責任者に問い合わせれば済む話だ。
それすら考えず、判断できない理由ばかりを並べている。
そこへ、宰相室の扉をノックする音が響いた。
「入れ」
ラルフが許可を出すと、ハーマイル公爵が数人の部下を連れて入室した。
「体調が悪いと聞いたので、部下を連れてきた。必要な仕事があるなら、指示してくれ」
「ありがとうございます。こちらが滞っている書類です。確認をお願いできますか」
ラルフが書類の束を差し出すと、ハーマイル公爵は一枚目に目を通した。
次々と書類を確認するうちに、その表情が険しくなっていく。
「……この書類がどれほど重要なのか、理解していないのだな」
低い声が室内に響いた。
「報告書もなければ、確認した記録もない。つまり、必要な確認すら行っていないということか。これでは、誰が何を把握し、どう判断したのかさえ分からない」
ハーマイル公爵は書類を机に置き、五人を見据えた。
「五人とも、宰相補佐官としての職務を果たしていない。残念だが、このままでは再就職にも差し障るだろう。今すぐ自己都合による退職願を書きなさい。拒否するのであれば、解雇通知を出すことになる」
五人の顔色が変わった。
ラルフは口を挟まず、その様子を見守った。
自分が伝えるべきことを、ハーマイル公爵が代わりに告げてくれた。
しかも、書類を見ただけで、五人の仕事ぶりだけでなく、その背後にある家門の問題まで察しているようだった。
これなら安心して任せられる。
ラルフは静かに息を吐いた。
――すでに、すべて把握しているのだな。
あとは任せよう。
そう考えた瞬間、ラルフは自らの魔力を意図的に暴れさせた。
「なっ……!」
室内にいた者たちが一斉に反応した。
そのうちの一人が慌てて結界を張ったが、間に合わなかった。
バチンッ!
宰相室に、魔道具が弾ける音が響いた。
机の上にあった魔道具の一つが、魔力の余波を受けて破損していた。
ラルフは苦しげに眉を寄せ、周囲に詫びるように頭を下げた。
「申し訳ありません。時折、原因不明の魔力暴走が起こり、自分でも制御できずにおります。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
ラルフは疲れた様子で続けた。
「仕事の管理も行き届かなくなっている状態です。この状況を、そのまま陛下にお伝えいただけないでしょうか。原因も分からず、私としても無念です。しばらく静養に専念したいと考えております」
そう言って、ラルフは一通の書類をハーマイル公爵に差し出した。
宰相辞任届だった。
原因不明の魔力暴走と体調不良を理由とし、今日の日付とラルフの魔力署名が記されている。
「このようなときに申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いいたします」
ハーマイル公爵は書類を受け取り、内容を確認してから頷いた。
ラルフはさらに、もう一通の書類を差し出した。
次期宰相への推薦状だった。
選出に必要な推薦人は三十名だが、その書類には四十名もの家門の名が記されていた。
必要数は十分に満たしている。これなら、次の宰相も問題なく決まるはずだった。
ラルフは前もってまとめておいた荷物を手に取った。
もう、ここで自分がするべきことはない。
宰相室に残る者たちに背を向け、うつむいたまま静かに部屋を後にした。




