55 竜皇国王妃様が書かれた白本と青本
ラルフは、クロリナラド殿下から渡された一冊の本を手に取ると、サバスへ差し出した。
「サバス、少し確認したいことがある」
「はい。何でしょうか?」
「クロリナラド殿下から、この『番の本』を渡されたのだが……」
ラルフは本の表紙を見つめ、それから少し困ったようにサバスへ視線を向けた。
「これに書かれている内容に間違いがないのか、それを確認したい。それと……ルノアの年齢で、この本を渡しても大丈夫なものなのか?」
親として当然の心配だった。
クロリナラドから託されたものだからと、そのまま娘に渡していいのか。
内容を知らずに渡すことには抵抗があった。
サバスはその気持ちを理解するように静かに頷いた。
「そうですよね。正しいのか、正しくないのかも分からないものを、親御様がそのままお渡しするわけにはいきません。
ラルフ様が確認されるのは当然のことだと思います」
そう言って、サバスは本を丁寧に受け取った。
「まず、こちらは竜皇国の王妃様が書かれた竜皇国で販売されている書籍でもあります。
ある日突然、『運命の番』となった皆様に渡される『白本』です。
未成年の番様へ向けたものですので、ルノア様の年齢でも問題ありません」
「白本……」
「はい。白銀の番の契約がすでに結ばれていることも大きいですね。
契約によって、お二人の精神は安定しております。
そのため、この本を読むことで精神的に不安定になるような心配はありません」
サバスはそこで一度言葉を切った。
「ただ……おそらく、この本には殿下のご希望がかなり多く書かれていると思います」
「……やっぱりか」
ラルフが小さく息を吐いた。
サバスは苦笑するように微笑んだ。
「殿下がどれほど長い年月、ルノア様を待っていらしたのか……
私から詳しく申し上げることはできません。
ですが、お二人の年齢を合わせた時間よりも長い年月を、静かに待っていらっしゃったことだけはお伝えしておきます」
ラルフの表情が変わった。
「そんなに……」
「はい」
サバスの声は静かだった。
「普通なら、忘れてしまおうと思うこともできたでしょう。
諦めることも、別の道を選ぶこともできたはずです。しかし、殿下はそれをなさらなかった」
サバスは本をそっと閉じた。
「狂うこともできず、ただ一人で待ち続けるというのは……
長い時間になればなるほど、苦しいものです。
だからこそ、『白本』には殿下がこれまで抱えてきた想いが書かれているのだと思います」
「……親としては、複雑だな」
「私にも娘がおりますから、そのお気持ちは分かります」
サバスは少しだけ苦笑した。
「ですが、どうかそこはご了承いただければと思います。
殿下にとっては、それだけ長い時間を待ち続けた末に、ようやく結ばれた番契約なのですから」
「分かった。少なくとも、ルノアに無理をさせるようなものではないんだな?」
「はい。その点はご安心ください」
サバスは頷いた。
「そして、こちらが次にお渡しする『青本』です」
「青本?」
「はい。こちらは成人になる一年前にお渡しするものになります。
可能でしたら、ラルフ様からルノア様の十七歳のお誕生日にお渡しいただければと思います」
「十七歳か……」
「その頃には、ルノア様自身も今より多くのことを理解されているでしょう。
白本とは役割も内容も異なります」
「分かった。これは私から渡そう」
ラルフは本を受け取り、静かに頷いた。
その後、サバスは少し話題を変えた。
「竜人の皆様は、なかなかお世継ぎのことが大変だとお聞きになっていると思いますが……」
「そうだな。番でなければ難しいと聞いている」
「はい。ですから、これまではお子様のことについても、かなり厳重に情報を管理しておりました」
「今は違うのか?」
「はい。お子様について相手に聞かれることを嫌がる親御様も多くいらっしゃいますので、現在も慎重ではあります。
ただ、番であれば、以前よりも子を授かる例は増えております」
サバスは少し照れたように笑った。
「私にも息子が四人、娘が二人おります」
「六人もいるのか?」
ラルフが思わず聞き返す。
「はい。竜皇国でも、現在は番の間に生まれたお子様は大体三人ほどは恵まれます。」
「それなら……」ラルフは少し考えた。
「先ほどのマクアリール公爵家の跡継ぎについても、そこまで心配しなくてもいいということか?」
「今のところは、そう考えてよろしいかと思います。ただ、長い年月のことですから、後々事情が変わる可能性はあります」
「それはそうだな」ラルフは苦笑した。
「昔からタスワンズ湖は、竜皇国では『精霊の里』と呼ばれているのでしょう?」
「はい。私も一度は訪れてみたいと思っていた場所です」
サバスは窓の外へ目を向けた。
「だからこそ、今後の執事長と侍女長については、一旦こちらの王都の住まいへ戻っていただくのが無理のない方法ではないかと思っております」
「そうだな。その方がいいと思う」ラルフは頷いた。
「今のマクアリール公爵家は、しばらく整理が必要だな……」
「はい」
サバスは一度言葉を止め、それから慎重に続けた。
「それと……ラルフ様にもお聞きしておかなければならないことがございます」
「なんだ?」
「ヴァリアード様が現在、魔塔にお住まいだと伺っております」
「ああ」
「こちらに一緒にお住まいいただくことは可能でしょうか。あるいは、別邸を用意して、そちらに居住していただくという方法でも構いません」
サバスの問いに、ラルフは少し黙った。
そして、隣にいたヴァリアードへ視線を向ける。
「……我が国の魔塔が、やはり問題だと思うか?」
ラルフはヴァリアードに尋ねた。
ヴァリアードはすぐには答えなかった。
代わりに、ラルフ自身がゆっくりと口を開いた。
「ヴァリーの手前、あまり言いたくはなかったんだが……正直、問題が多すぎると思っている」
その声には、長い間抱えていた後悔が滲んでいた。
「まず、『黒銀の鎖』だ」
ラルフは拳を握った。
「人を鎖で縛るなんて、どう考えても許されることじゃない。個人の尊厳を踏みにじる行為だ」
ヴァリアードが静かにラルフを見る。
「ルノアに聞かされなければ、俺は知らなかった」
ラルフは苦しそうに続けた。
「ヴァリーが十年間も鎖で縛られていたことを……俺は何も知らなかったんだ」
一度、言葉を飲み込む。
「王族が自国の人間を平然と鎖で拘束している。
それを誰も問題だと思わない。そんなことがまかり通っていたこと自体、ずっとおかしいと思っていた」
「……ラルフ」
「宰相として、国の問題が多すぎた」
ラルフは目を伏せた。
「目の前にある問題を一つずつ片付けることばかり考えて、その奥にあるものまで見ようとしていなかった。
ヴァリーがどんな扱いを受けていたのか、もっと早く気づかなければならなかった」
静かな沈黙が落ちる。
「こんな一言では済まないことだと分かっている」
ラルフはヴァリアードをまっすぐ見た。
「本当に……遅くなった」
そして、深く頭を下げる。
「すまなかったな、ヴァリー」
ヴァリアードはしばらく何も言わなかった。
やがて、静かに息を吐く。
「……もういい」その声は穏やかだった。
「お前が今、そう思ってくれている。それだけで十分だ」
サバスは二人のやり取りを黙って見守っていた。
そして、これからのことを考えるように静かに頷いた。
「では、ヴァリアード様の居住についても、今後の安全と生活を第一に考えて整えましょう」
ラルフは頷いた。
「頼む。もう二度と、ヴァリーをあの魔塔に一人で置いておくようなことはしない」
その言葉には、今度こそ守るという強い決意が込められていた。




