54 ルノアが嫁ぐとなると……
ラルフが静かに口を開いた。
「ルノアが嫁ぐとなると……マクアリール公爵家も、後を継ぐ者がいなくなるな」
その言葉に、ヴァリアードも少し考えるように黙り込んだ。
「他に頼める者がいたとしても、今まで大切にしてきた自然を、そのまま残してくれるかどうかは分からないしな」
ラルフは窓の外へ視線を向けた。
マクアリール公爵領には、長い年月をかけて守られてきた森や湖がある。
人の都合だけで切り開くのではなく、そこに暮らす精霊や動物たちと共存しながら残されてきた場所だ。
「国境にある魔界の森や、精霊様、妖精様の森のように……人の手を必要以上に入れず、自然そのものを残せたら一番安心なんだがな」
少し考えてから、ラルフは苦笑した。
「クロリナラド殿下に頼めば、きっとそうしてくれそうな気もするが……」
そこで一度、言葉を止める。
「ただ……ルノア自身が、この土地を残したいと思うかもしれないからな」
ヴァリアードがラルフを見る。
「……そうだな」
「だから、今はまだ私が決めることではないような気がする」
ラルフは小さく息を吐いた。
「ルノアがどうしたいのか。それを聞いてからでいい。あの子の人生なのだから、私が先回りして決めてしまう必要はないだろう」
そして、ふと思い出したようにヴァリアードへ視線を向けた。
「そういえば、ヴァリーも早くに爵位を国へ返納したよな」
「ああ」
ヴァリアードは少しだけ遠くを見るような目をした。
「俺は、もう両親から言われていたんだ」
その声は穏やかだったが、その奥には長い年月の重みがあった。
「エミリアにはラルフがいるから大丈夫だ。だから、後はお前だけが心配だ、と」
ラルフが黙って耳を傾ける。
「爵位なんて早く国へ返してしまえ。いろいろな国を見て、自分の好きな場所で自由に生きろ。そう言われていたんだ」
ヴァリアードは苦笑した。
「結局、親父の言っていた通りになったけどな」
その笑みが、ほんの少しだけ曇る。
「捕まって……酷使されていたからな」
しばらく沈黙が落ちた。
「ただ……その姿を両親に見られなかったことだけが、幸いだったと思っている」
ラルフは何も言わず、ヴァリアードの言葉を受け止めた。
ヴァリアードはしばらく黙ったあと、ふと窓の外へ視線を向ける。
「精霊の森か……」
そして、ゆっくりと続けた。
「確かに、ああいう場所なら安心だな。自然を守りながら、人の暮らしも残せる」
「そうだな」
「以前、ヨーリアン帝国に隣接していることもあって、領地ごと別の国へ仕えることをすすめたが……」
ヴァリアードは苦笑した。
「だが……ルノアが竜皇国へ嫁ぐことになるなら、ヨーリアン帝国という選択肢もなくなるな」
「人生というのは、本当に何が起こるか分からないな」
ラルフが笑った。
「まさか、こんなふうにルノアの将来を考える日が来るとは思わなかった」
「俺もだ」
ヴァリアードも小さく笑う。
「本当なら、もっと先のことだと思っていたのにな」
「だが、不思議だな」
ラルフは胸の奥から湧いてくる感情を確かめるように、ゆっくりと言葉を続けた。
「不安がないわけではないのに……なぜか気分がいい」
「分かる」
「ワクワクするというか……楽しいんだ」
ラルフは照れたように笑った。
「ルノアに怒られないようにしないとな」
「そこは大事だな」
二人は顔を見合わせ、思わず笑った。
「冷静に、誠実に、真面目に考えないとな。
あの子の人生なんだから」
ラルフは少しだけ姿勢を正した。
「それに……こんなふうに、自分の人生について、自分で考えることができる日が来るなんてな」
その声には、以前にはなかった穏やかさがあった。
「ヴァリーも、これからは自分がどう生きたいのかを、自分で決めていいんだ」
「……ああ」
ヴァリアードは静かに頷いた。
「エミリアが言っていた通りだ」
ラルフが顔を上げる。
ヴァリアードは、どこか懐かしむように微笑んだ。
「生きているだけでいいんだ……ってな」
その言葉が部屋に静かに落ちた。
しばらくの間、誰も口を開かなかった。
やがて、少し遠慮がちな声が響いた。
「……お話の途中に申し訳ございません」
二人が声のした方を見る。
そこには、これまで静かに話を聞いていた侍女精霊が立っていた。
「先ほど、ルノア様の容姿のことや、学園内に魔法が使用できない区域があるというお話をされていたと思いますが……」
侍女精霊は丁寧に頭を下げた。
「精霊魔法であれば、特に問題はございません」
ラルフが目を瞬かせる。
「問題ない?」
「はい」
侍女精霊は微笑んだ。
「精霊魔法を使える者であれば、学園内でもこれまで通り対応できます。
私も侍女としてルノア様に付き添うことが可能でございます」
「それなら……今まで通り、ルノアは学園へ通えるということか?」
「はい。これまでと変わらず通学していただけます」
侍女精霊はさらに続けた。
「それに、クロリナラド殿下が入ることのできない場所での護衛についても、私たちにお任せください」
「なるほど……」
「ルノア様の安全を守ることも、私たちの役目ですから」
侍女精霊は穏やかに微笑んだ。
「ヨーリアン帝国への留学につきましても、『運命の番』であることが正式に発表された後であれば、状況は大きく変わります。
ルノア様に万一のことがあれば、国際問題にもなりかねません」
その言葉に、ラルフは真剣に頷いた。
「確かにな」
「以前とは比べものにならないほど、ルノア様の身辺についても配慮されることになるでしょう。
カーナリアン王国にいた頃よりも、安全面ではかなり整った環境になるかと思われます」
ラルフはしばらく黙っていた。
そして、肩の力が抜けたように、ふっと笑った。
「そうか……」
安堵したように息を吐く。
「それなら良かった」
そして侍女精霊へ向き直った。
「教えてくれてありがとう。これからも……ルノアをよろしくお願いします」
「もちろんでございます」
侍女精霊は深く頭を下げた。
ラルフはその姿を見ながら、もう一度小さく微笑んだ。
ルノアの未来は、まだ何も決まっていない。
けれど、それでいい。
本人が自分で選び、自分で歩いていけるように。
そのために必要なことを、大人たちが支えていけばいいのだから。




