47 ノアと呼ぶこと
「書籍も預かるけど……これくらいなら簡単に話せるだろ。この薄さなんだから。説明してくれ、クロー」
ラルフが手元の書籍を軽く持ち上げながら尋ねると、クローはしばらく黙り込んだ。
どう説明するべきか考えているのだろう。
やがて、少し渋々といった様子で口を開いた。
「……分かった。まず、ルノアのことを私は『ノア』と呼ぶことにした。これは私だけの呼び方だから、二人とも冗談でも真似しないでほしい」
「はいはい」
「分かったよ」
ラルフとヴァリアードがそれぞれ返事をすると、クローは少しだけ安心したように息を吐いた。
「それから、ノアに関することは、できるだけ私に任せてほしい。
もちろん、私が勝手に決めるつもりはない。
ノア自身の意思が一番大切だ。それだけは分かっている」
「そこは当然だな」
ヴァリアードが頷く。
「ただ……番として、ノアと過ごせる時間は大切にしたい。私は毎日会いに行けるわけではないから、会えた時くらいは、できるだけ二人で過ごす時間を作ってほしい」
「食事のこともか?」ラルフが尋ねる。
「ああ。特に給餌は、私にとって大切な時間なんだ。ノアとの食事は楽しみにしている。もちろん、ノアが嫌だと言えば無理強いはしない。でも、ノアが望んでくれるなら、その時間だけは二人にしてほしい」
「なるほどな」ラルフは腕を組んだ。
「まあ、そこはルノア次第だな。お前の気持ちも分かるが、ルノアがどうしたいかを聞いてからだ」
「分かっている」クローは素直に答えた。
「それから、洋服や宝飾品については、ヴァリアードは駄目だ」
「私か?」
突然名前を出され、ヴァリアードが目を丸くする。
「そうだ。ノアのためとはいえ、ヴァリアードは張り切りすぎるからな」
「……失礼な。私は必要なものを用意しようとしているだけだ」
「その『必要なもの』が多すぎるんだ」
クローが真顔で返す。
ラルフは思わず吹き出した。
「そこは同感だな」
「ラルフまで……」
ヴァリアードが呆れたように二人を見る。
「それから、お義父上については……成人するまでは我慢する」
「我慢するって、お前……」
ラルフが苦笑する。
「本当は嫌なのか?」
「嫌だ」即答だった。
「だが、ノアのことを考えれば、今は我慢するべきだと思っている。私は番だからこそ、ノアが安心して学院生活を送れることを優先したい」
その言葉に、ラルフは少し表情を和らげた。
「そこまで考えているなら、私も無理に反対するつもりはない。
ただし、何事もルノアの意思が最優先だ。
それだけは忘れるなよ」
「もちろんだ」
クローは真剣に頷いた。
「……ただ、二年も待つのは長すぎる」
「そこに戻るのか」
ラルフが呆れたように言うと、クローは真顔で頷いた。
「長い」
ヴァリアードも苦笑する。
「白銀の番の契約が無事に済んだんだ。気持ちは分からなくもないが、焦っても仕方がないだろう」
「分かっている。分かっているが……」
クローは小さく息を吐いた。
「ノアと正式に関係を公表できるようになるまで、できるだけ早く準備を整えたいんだ」
三人はしばらく沈黙した。
その後、話題は今後の発表へと移っていった。
「まず、竜神様の愛し子についてだな」
ラルフが話を切り替える。
「竜神教会からも準備を進めていると聞いている」
「ああ。教会の準備が整い次第、正式に発表される予定だ」
クローが答えた。
「早ければ二日ほどで発表できるらしい。
ただし、ノアの安全を考えて、詳細は一切公表しない。竜神様の愛し子が誕生したという事実だけを、形式的に発表することになる」
「それなら問題は少ないな」
ヴァリアードが頷いた。
「誰が愛し子なのか、どこにいるのか。そこまで知られる必要はない」
「そういうことだ」クローも頷く。
「白銀の番の契約についても、同じように慎重に扱う必要がある」
ラルフは少し考えてから口を開いた。
「私が宰相を降りるのが二年後だ。その後、ルノアが帝国へ留学する予定になっている。その時期に合わせて、白銀の番について正式に発表するのが一番安全じゃないか?」
「私もそう思う」
ヴァリアードが賛同する。
「留学先が帝国なら、学院生活を守るための体制も整えやすい。発表までに準備できることも多い」
「……二年か」クローが呟く。
「二年は長い」
「またそれか」
ラルフが笑う。
クローは真剣な顔で二人を見た。
「半年くらいに短縮できないか?」
「半年?」
「そうだ。ノアは優秀だろう? 学院には飛び級制度もある。必要な課程を早く修了できるなら、留学時期そのものを前倒しできるんじゃないか?」
「お前、本当にノアのことになると気が早いな」
ラルフが呆れたように笑う。
ヴァリアードも肩を震わせた。
「確かに、ルノアなら可能性はあるだろう。だが、制度上できることと、実際に本人が望むかは別問題だ」
「……それは分かっている」
クローは少し考えてから答えた。
「ノアが望まないことを、私の都合で決めるつもりはない。ただ、可能性があるなら調べておきたいんだ」
「それなら話は早い」
ラルフが立ち上がる。
「学院の制度と留学時期、それから飛び級が可能かどうか。まずはそこから確認すればいい。
ルノアがどうしたいのかは、その結果を見てから本人に聞けばいい」
「そうだな」
ヴァリアードも頷いた。
「私も必要な資料を集めよう。帝国側の受け入れ体制についても確認しておく」
「二人とも……ありがとう」
クローが素直に礼を言う。
するとラルフが笑った。
「ただし、先に言っておくぞ。ルノアが『今の学院生活を続けたい』と言ったら、その時は諦めろ」
「……分かっている」
クローは少し残念そうに答えた。
「ノアが望むなら、私は待つ」
その言葉に、ラルフとヴァリアードは顔を見合わせた。
先ほどまで二年を半年にできないかと騒いでいたクローとは思えないほど、穏やかな表情だった。
「それなら大丈夫だな」
ラルフが笑う。
「番として大切なのは、そばにいることだけじゃない。相手が望む道を一緒に歩くことだ」
「……ああ」
クローは静かに頷いた。
「ノアが選んだ道なら、私はどれだけ時間がかかっても待つよ」
竜神様の愛し子の発表。
白銀の番の正式な公表。
そして、これから始まる帝国への留学。
まだ決まっていないことは多かった。
それでも三人の中では、少しずつ未来の形が見え始めていた。




