443 リオンブラン王国への留学
二週間の募集期間を経て、リオンブラン王国への留学を希望したのは、今年入学した生徒のうち二十名だけだった。
留学を決めた二十名は、出発までの一ヶ月間、準備のための特別授業を受けることになった。
今回の留学では、魔術や魔力を基礎から学び直すだけではない。異なる文化の中で生活する以上、現地の言語や歴史、生活習慣、そして獣人社会についても理解しておく必要があった。
特別授業の講師を務めるのは、リオンブラン王国の王女ルルと、蛇族のアキ、サキである。
アキとサキは、神秘的な虹色に輝く大きな瞳と、淡い水色の髪を持つ女性だった。髪は後ろで一つにまとめられ、手の甲には虹色の鱗が薄く浮かんでいる。すらりとした姿も相まって、二人はどこか幻想的な印象を与えていた。
授業の初めに、二人は自分たちが蛇族であることを説明した。
「私たち蛇族は、人型から蛇の姿まで自在に変わることができます」
アキがそう告げると、サキも静かに頷いた。
「人族の中には、蛇を苦手とする方がいることも理解しています。ですが、蛇族には穏やかな性格の者も多くいます。私たちの姿も、一つの個性として受け入れていただければと思います」
生徒たちは真剣な表情で耳を傾けた。
留学する二十名は、全員がルルをリオンブラン王国の王女だと知っていた。
白い毛並みに、毛先だけ銀色に輝く小柄なライオン獣人。優雅な尻尾と可愛らしい耳を持つルルの愛らしさは、本人の知らないところで世界中に知れ渡っていた。
しかし、王女であるルルの周囲には、三人の兄たちによる鉄壁の守りがあった。気軽に近づくことさえ難しく、ヨーリアン帝国に滞在している間も、生徒たちはルルと話す機会をなかなか得られずにいた。
さらに、ルノアとリシューが放つ強大な魔力や精霊魔法の波動に加え、ルル自身も完璧な防壁を張っている。そのため、遠くから様子を窺うことはできても、気軽に声をかけられる状況ではなかった。
そんな生徒たちにとって、今回の特別授業は願ってもない機会だった。
ルル本人から東大陸語を教えてもらえると知り、教室には期待に満ちた空気が広がった。
少しでもルルと会話したい。
そんな思いもあったのだろう。生徒たちは東大陸語の学習に驚くほど熱心に取り組み、短期間で次々と言葉を覚えていった。
そのあまりの習得の早さに、学院の教員たちが苦笑するほどだった。
最初の授業は、東大陸語の学習から始まった。
リオンブラン王国では、竜皇国語が公用語として使われている。王族や貴族との交流をはじめ、学院や役所などの公的な場では竜皇国語が基本となるため、留学生たちが公式な手続きや行事で言葉に困ることは少ない。
しかし、市場や商店、食堂、宿屋といった街の日常生活では、東大陸語が広く使われていた。
「皆さんが王国で生活するなら、東大陸語を覚えておいたほうが便利です」
ルルはそう説明し、挨拶や買い物、食事の注文、道の尋ね方など、日常生活に欠かせない言葉を教えていった。
生徒たちは一つひとつの発音を確認しながら、何度も繰り返し練習した。
その熱心さもあって、日常会話に必要な言葉は予想以上の速さで身についていった。
言語の次は、リオンブラン王国の歴史と文化についての授業だった。
王国には、ライオンや虎、豹、犬、猫、兎、狐、狼、蛇、河馬、象、馬、熊など、さまざまな種族の獣人が暮らしている。
種族によって身体的な特徴が異なるだけでなく、聴覚や嗅覚などの感覚にも違いがある。そのため、人族にとっては何気ない行動であっても、獣人にとっては不快に感じられたり、失礼にあたったりする場合があった。
ルルは、獣人たちと接する際に気をつけるべきことを、一つずつ説明していった。
まず、耳や尻尾、毛並みなどに、本人の許可なく触れてはならない。
珍しいから、可愛いからという理由で身体的な特徴をじろじろ眺めたり、むやみに褒めたりすることも避けるべきだった。
種族によっては、身体的な特徴を褒めることが求婚の意思表示と受け取られる場合もある。すでに番がいる相手に不用意な言葉をかければ、決闘を申し込まれることさえあった。
また、嗅覚が鋭い獣人も多いため、香水などの強い香りを身につけることも控えたほうがよい。
食文化も種族や地域によって異なり、人族には馴染みのない食材や料理もある。食べられないものがある者もいるため、相手の事情を知らずに見慣れない料理を勧めることは避けるべきだった。
さらに、外出する際には、あらかじめ同行者や関係者に行き先を伝え、必要な確認を取ることも徹底された。
生徒たちは、これまで知らなかった習慣や考え方を、一つひとつ書き留めていった。
続いて、獣人社会において特に重要な意味を持つ『運命の番』について説明があった。
獣人の中には、生涯にただ一人、特別な相手と結ばれる『運命の番』という関係が存在する。
竜人族にも同様の関係があり、どちらの種族にとっても、非常に大切なものとされていた。
そのため、本人の許可なく番について尋ねたり、興味本位で相手の名前や出会いについて聞いたりしてはならない。
番は、他人の好奇心を満たすために語られるものではないのだ。
さらに、王族や重要人物の周囲には、蛇族をはじめとする隠密能力に優れた護衛が配置されていることも教えられた。
「姿が見えないからといって、護衛がいないとは限りません」
アキが注意を促すと、サキも続けた。
「周囲に誰もいないと思って、失礼な発言をすることは絶対にやめてください。皆さんの言葉が、思いもよらない相手に届いている可能性もあります」
生徒たちは、改めて気を引き締めた。
王族の居住区域や立入禁止区域には勝手に入らず、訪問や移動の際には必ず定められた手続きを取ること。
そうした注意事項も、留学生全員に徹底された。
そして、特別授業の最後に、ルルは獣人たちが歩んできた歴史について語り始めた。
「皆さんには、もう一つ知っておいてほしいことがあります」
ルルは静かに生徒たちを見渡した。
「この世界では、長い間、獣人の地位が低く見られ、差別されてきた歴史があります」
教室から物音が消えた。
「近年でも、カーナリアン王国の前王妃が主導し、獣人の子供を誘拐する事件がありました。また、獣人を労働力や鑑賞のための存在として扱い、奴隷にする目的で誘拐していた時代もあります」
生徒たちは、誰一人として口を挟まなかった。
「過去の出来事だから、もう終わったことだと思わないでください」
ルルの声は穏やかだったが、その言葉には確かな重みがあった。
「今も、救出されたあとも心に傷を抱えている方はたくさんいます。過去に何があったのかを知り、同じことを繰り返さないようにすることも大切です」
ルルは、一人ひとりの顔を見つめながら続けた。
「獣人だから、人族だからという理由で、相手を決めつけないでください」
「私たちは、同じ世界に住んでいます。姿や身体の能力が違っていても、互いを知り、認め合うことはできます」
そう言って、ルルは小さく微笑んだ。
「皆さんには、リオンブラン王国でさまざまな人と出会い、その違いを知ってほしいと思っています」
「そして、いつか人族と獣人が互いを理解し、認め合える関係を築くための架け橋になってくださると嬉しいです」
生徒たちは、ルルの言葉を静かに受け止めた。
言語や生活習慣を学ぶだけでは、本当の意味で異なる文化を理解したことにはならない。
相手がどのような歴史を歩み、何を大切にしているのかを知ること。それもまた、留学の大切な目的なのだと、生徒たちは理解し始めていた。
最後の授業では、留学先での魔術訓練について説明された。
今回の留学では、ヨーリアン帝国で使用していた補助魔道具を持ち込むことはできない。
魔力を増幅する道具も、魔術の構築を補助する道具も使わず、自分自身の力だけで学ばなければならなかった。
これまで補助魔道具に頼ってきた者にとっては、決して簡単な道ではない。
それでも、生徒たちは自らの力を鍛え直すため、留学を決意していた。
そして、出発の日を迎えた。
留学生たちは荷物をまとめ、学院の門前に集まった。
転移魔法陣の前には、ルル、アキ、サキの三人が立っていた。
二十名の生徒たちはルルの前に整列すると、深々と頭を下げた。
代表のサイルズが顔を上げ、真っすぐにルルを見つめた。
「リオンブラン王国で多くのことを学んできます。精一杯頑張ってまいります」
その言葉に、ほかの生徒たちも一斉に頭を下げた。
「いってまいります!」
「はい。皆さんが戻ってくるのを待っていますね」
ルルは笑顔で頷いた。
やがて、転移魔法陣が淡い光を放ち始めた。
生徒たちは、それぞれの決意を胸に魔法陣の中へと足を踏み入れていく。
待っているのは、魔術も魔力も、そして異なる種族と共に生きるための心構えも、一から学び直す日々だ。
新しい言葉と文化に触れ、自分自身の力を鍛え、これまで知らなかった世界を知る。
二十名の留学生は、それぞれの目標を胸に、リオンブラン王国へと旅立っていった。




