431 王族としての最後の決断
北大陸、アズマサール共和国の王城には、国民が避難を始めているという報告が届いていた。
しかし、謁見の間に集まった王族たちに、危機感はほとんどなかった。
「それで、竜皇国はどこまで支援するというのだ?」
国王は玉座に深く腰掛け、運ばれてきた酒を口にしながら尋ねた。
「避難経路の整備に加え、食料や薬草の配給も行っているとのことです。各地の竜神教会を拠点に、人々を安全な場所へ誘導しているようです」
臣下の報告に、国王は不快そうに眉をひそめた。
「竜皇国は不干渉だろ!
他国の人間が、なぜそこまで世話を焼く。余計なことをせず、こちらの指示を待てばよいものを」
「ですが、国王陛下。すでに多くの民が避難を始めております。このままでは、王城の対応が遅れていることも知れ渡るかと存じます」
「民が勝手に動いているだけであろう。なぜ余が、その後始末までせねばならぬのだ」
国王は面倒そうに手を振った。
この国では一夫多妻制が採られており、国王には四十五人もの子供がいた。王太子にも、つい先日、二十人目となる子供が生まれたばかりだった。
王族は増え続け、その生活を支える費用も膨らむ一方だった。
一方、国の財政は悪化し、借金は積み重なっていた。それでも王族たちは贅沢をやめず、国の運営は臣下に任せきりだった。
その臣下たちも、もとは王族の血を引く者たちである。
中には、とうにこの国を見限り、国外へ去った者も多くいた。
それでもなお、国を支えようと王城に残っている者たちがいた。
ターリドも、その一人だった。
彼の父親は、目の前で酒を飲み、民の苦境にも関心を示さない国王その人だった。
母親は、そんな夫に愛想を尽かし、離縁を申し出て実家へ戻った後、他国へ再嫁していた。
母はアズマサール共和国と国王を憎み、二度とこの国へ戻ることはなかった。
ターリドは、母にとって忘れたい過去の象徴だった。
『王に似ているお前など、見たくもない』
母はそう言い残した。生まれたばかりのターリドは乳母に預けられ、母の顔も知らぬまま育った。
母方の公爵家が後ろ盾となったことで王城に残ることはできたが、父からも母からも愛情を受けた記憶はなかった。
それでも、ターリドは国を捨てなかった。
目の前にいる父のようにはならない。
王族としての責任を放棄せず、この国に生きる人々を守る。
そう決意し、臣下として国政に携わり、ここ五年は宰相として国を支えてきた。
だが、もう限界だった。
「陛下。最後に、もう一度申し上げます」
ターリドは一歩前へ進み、国王をまっすぐ見据えた。
「国民を避難させてください。各地の領主と協力し、避難を望む者だけでなく、自力で移動できない者にも手を差し伸べる必要があります」
「くどいぞ。民を動かせば、働く者がいなくなる。税も入らなくなるではないか」
「民が命を落とせば、税どころではありません」
ターリドの声が、謁見の間に響いた。
「それから、王城に蓄えている食料を解放してください。備蓄は王族だけのものではありません。
民が納めた税によって蓄えられたものです。
今こそ、民のために使うべきです」
「何を言っている! 王城の備蓄を民に配れば、我々の食事はどうなる!」
「王族の食事を減らせば済むことです」
周囲の臣下たちが息を呑んだ。
国王の顔が怒りで赤く染まる。
「貴様、誰に向かって口を利いている!」
「この国の国王陛下に申し上げております」
ターリドは一歩も退かなかった。
「さらに、避難や物資の運搬に携わる者には、正当な賃金を支払ってください。国民の善意に頼り、無償で働かせることは許されません。王城の財産を整理し、不要な装飾品や贅沢品を売却してでも、必要な資金を確保すべきです」
「王族の財産を売れだと?」
「国民が命を失おうとしているときに、王族だけが何も失わずに済むとお考えですか」
国王は言葉に詰まった。だが、それも一瞬のことだった。
「ならぬ! 避難も備蓄の解放も認めぬ! 勝手に動く者には罰を与えよ!」
国王は玉座から身を乗り出し、怒鳴りつけた。
「お前など、もういらん! 役職は何だったか……そうだ、首だ! 立ち去れ! 王城には結界がある。ここにいれば安全なのだ!」
その言葉を聞いたターリドは、静かに目を伏せた。
これまで何度も、国を立て直す機会はあった。
財政を見直し、王族の支出を削り、民の暮らしを優先する。何度進言しても、国王は耳を貸さなかった。
それでも、いつかは変わってくれるかもしれない。
そう信じてきた自分が、愚かだったのだ。
「……承知いたしました。長きにわたり、お世話になりました」
ターリドは静かに頭を下げた。
「私物を引き上げるため、少しだけ時間をいただきます。
最後になりますが、私はあなたの息子の一人、ターリドです。
そして、この五年間、宰相を務めてまいりました。
どうぞお元気で」
国王は、ターリドがようやく折れたと思ったのか、満足げに笑みを浮かべた。
だが、顔を上げたターリドの目には、もう迷いはなかった。
「ただし、私は国民を見捨てるつもりはありません。国との魔法契約書に基づき、私に認められた権限の範囲で行動させていただきます。
私は、貴方とは違う。
国を守るためにできることをします」
ターリドは踵を返し、謁見の間を後にした。
背後から怒声が飛んできたが、振り返ることはなかった。
王城の廊下には豪華な調度品が並び、使用人たちが慌ただしく行き交っていた。
その一方で、城外では多くの民が住み慣れた家を離れ、命を守るために山道を進んでいる。
この国の王は、いったい誰のために存在しているのか。
ターリドは、胸の奥に押し込めてきた問いを、もう見ないふりはしなかった。
国王が決断しないのなら、自分が動く。
王族として生まれたことを、ただの特権で終わらせるつもりはなかった。




