420 『命環の契』
ヴァリアードは、マクアリール公爵領にあるタスワンズ湖を訪れていた。
湖面には穏やかな風が吹き、岸辺では妖精様や精霊様たちが楽しげに舞っている。
いつもなら彼らの賑やかな声に囲まれ、気ままに過ごしているヴァリアードだが、今日はどこか落ち着かない様子だった。
原因は、リシューとの出会いによって明らかになった、自分の運命にある。
彼女と初めて目が合った瞬間、ヴァリアードはリシューが自分の『運命の番』だと悟った。
そして、リシューもまた、彼と同じ想いを抱いている。それは、互いの反応から疑いようのないことだった。
しかし、番だと認め合ったからといって、これからの人生がすべて決まるわけではない。
「精霊王様。それで、これからどうすればいい?」
ヴァリアードが尋ねると、傍らにいた南の精霊王様は、面白そうに目を細めた。
「どうするも何も、お前たちが望むようにすればよい」
「そう簡単に言うな。俺たちは、普通の番とは事情が違うんだろう?」
「そのとおりだ」
南の精霊王様は、表情を改めた。
「お前もリシューも、精霊王の愛し子だ。その二人が番となり、共に生きることを選ぶ。これまでに例のないことゆえ、何が起こるかは誰にも分からぬ」
精霊王の愛し子は、精霊たちに深く愛され、世界の均衡にも関わる特別な存在だ。
二人が結ばれることで、それぞれの力や役割がどのように影響し合うのか、正確に予測することはできない。だからこそ、周囲の都合だけで二人の未来を決めるべきではなかった。
「お前たちは、世界を繋ぐ存在となる。だが、それを理由に生き方を決められる必要はない。周囲が何を望むかではなく、二人自身がどう生きたいかを大切にせよ」
「……本人たちの意思が一番ということか」
「当然だ。誰かに決められることではない」
ヴァリアードは静かな湖面へ視線を向けた。
長い年月を生き、魔術も精霊魔法も学び続けてきた。知識には自信がある。
それでも、リシューとの未来については、何一つ決めつけたくなかった。
彼女が何を望み、どのような人生を歩みたいのか。
自分の都合で、その可能性を狭めるつもりはない。
「俺は、リシューの意思を尊重する。俺の隣にいることを望んでくれるなら、一緒に生きたい。
だが、俺のために何かを諦めさせる気はない」
「ならば、その気持ちをリシューに伝えることだな」
南の精霊王様が答えたとき、湖の向こうから二つの気配が近づいてきた。
西の精霊王様と、その傍らを歩くリシューだった。
ヴァリアードを見つけたリシューは、少し緊張した面持ちで歩み寄る。
「ヴァリアード様……」
「リシュー。来てくれたのか。ありがとう」
いつもどおりに接したいのに、目が合うだけで胸の奥が熱くなる。
リシューも同じなのだろう。頬をわずかに赤らめながらも、彼から目を逸らさなかった。
「私も、お話ししたいことがありました」
「聞かせてくれ」
リシューは一度息を整え、まっすぐにヴァリアードを見つめた。
「私は、ヴァリアード様と一緒にいたいです。
でも、番だから、精霊王様の愛し子だからという理由で、何かを決められるのは嫌です。
自分の気持ちで、これからのことを選びたいんです」
ヴァリアードは静かに頷いた。
「俺も同じだ。立場や力に関係なく、お前が望むことを大切にしたい」
「それなら……これからも、隣にいてもいいですか?」
「もちろんだ。俺も、お前の隣にいたい」
二人の想いを確かめ合うと、西と南の精霊王様は顔を見合わせた。
「ならば、古い盟約に従って誓いを結ぶか?」
西の精霊王様の問いに、リシューは不思議そうに首を傾げた。
「それは、どのような誓いなのですか?」
「妖精や精霊たちが、互いを生涯の伴侶として認める際に交わすものだ。名を『命環の契』という」
南の精霊王様が説明を続ける。
「互いの命を分かち合い、共に生きることを誓う契りだ。
ただし、リシューはまだ未成年ゆえ、正式に夫婦となるのは成人する三年後の『結びの式』となる。
それまでの間に、二人の心身も落ち着いていくだろう」
「命を分かち合う、というのは?」
「リシューはエルフで長命だ。その命をヴァリアードと分け合うことでもある。もちろん、相手の命を奪ったり、自由を縛ったりするものではない。
互いの存在を支え合い、共に生きるためのものだ。
望まぬ者に強いることはできぬ」
その説明に、リシューはほっとしたように息をついた。
ヴァリアードは彼女の様子を確かめてから、そっと手を差し出した。
「リシュー。俺と、この誓いを結んでくれるか?」
「はい。私も、ヴァリアード様と結びたいです」
リシューがその手を取った瞬間、二人の足元に淡い光が広がった。
銀色の光が円を描き、その内側を水色の輝きがゆっくりと巡る。
湖面からも無数の光の粒が浮かび上がり、二人を優しく包み込んだ。
岸辺に集まっていた妖精様や精霊様たちも、二人を祝福するように舞い始める。
やがて、古い言葉が静かに紡がれていった。
互いを自らの意思で選ぶこと。
相手の心を尊重し、喜びも苦しみも分かち合うこと。
そして、どのような未来が訪れようとも、互いに向き合い、共に歩んでいくこと。
それは相手を縛るためではなく、二人が自ら選んだ道を確かめるための誓いだった。
ヴァリアードは、リシューの手をしっかりと握った。
「俺はリシューだけを選ぶ。これから先も、お前の意思を尊重し、共に歩んでいく」
「私も、ヴァリアード様だけを選びます。どんな未来になっても、お互いの気持ちを伝え合い、一緒に歩んでいきたいです」
二人の言葉が重なると、銀と水色の光が一つになった。
光は二人の繋いだ手を包み込み、そこから左右の手首へと流れていく。
ヴァリアードの左手首と、リシューの左手首。
それぞれの肌に、銀色の細い環が浮かび上がった。環の中央には小さな銀の雫があり、その周囲を水色の光が優しく巡っている。
二人の印は、形も大きさも同じだった。
銀の環は、共に生きると誓った二人の命を。
水色の光は、互いを想う心を。
そして中央の雫は、相手を大切にしながらも、それぞれが自分自身であり続けることを、示していた。
「これは……私たちの印ですか?」
リシューが手首を見つめながら尋ねると、南の精霊王様が頷いた。
「命環の契を結んだ証だ。互いの意思で誓いを交わした者にのみ刻まれる。
二人が離れていても、命環が繋がっていることを感じ取れるだろう」
「相手の考えていることも分かるのですか?」
「いや。心を読んだり、相手の行動を縛ったりする力はない。あくまでも、互いの存在を感じられるだけだ」
リシューは安心したように微笑んだ。
「よかった。私、自分の気持ちは自分の言葉で伝えたいんです」
「俺もそう思う。何かあれば、ちゃんと言葉にして伝え合おう」
「はい」
リシューは、ヴァリアードの手を握り返した。
二人の手首に刻まれた印が、呼応するように淡く輝く。
それは、誰かに定められた運命に従うための印ではない。二人が自らの意思で互いを選んだことを示す、世界に一つだけの証だった。
「お揃いですね」
リシューが嬉しそうに呟く。
「ああ。これからずっと、お揃いだ」
ヴァリアードが微笑むと、リシューも幸せそうに笑った。
二人の手首に刻まれた銀と水色の環は、やがて落ち着いた輝きを取り戻す。
『命環の契』が結ばれたのだ。
これから何が待ち受けているのか、二人にはまだ分からない。それでも、互いの意思を尊重しながら、自分たちで選んだ未来を歩んでいける。
二人の様子を見届けた西と南の精霊王様は、満足そうに頷いた。
しかし、この誓いが世界にどのような波紋を広げるのか、二人はまだ知らなかった。
手首に刻まれたお揃いの印だけが、二人の新たな始まりを静かに告げていた。




