418 リシューが会いたかった人
リシューは、世界的に名を知られる魔術師ヴァリアード様の授業を、入学前から心待ちにしていた。
妖精や精霊たちから、彼について何度も話を聞いていたからだ。
『あいつは口が悪い。でも、嘘はつかない』
『俺が苦しんでいたとき、薬草をくれたんだ』
『すごいんだぞ! 魔獣だって、あっという間に倒してしまうんだからな!』
話す内容はそれぞれ違っていたが、皆がヴァリアード様に感謝していることだけは共通していた。
魔術師としての実力はもちろん、魔力量や魔法陣、魔道具に関する知識も世界一だろう。
そんな人物の授業を受けられるのだから、期待せずにはいられなかった。
リシューは彼の著書をすべて読み終えていた。
書物から得た知識を、実際の授業でどのように教えてくれるのか。
どんな話を聞かせてくれるのか。
学院への入学が決まってからというもの、楽しみで仕方がなかった。
ところが、魔術学院の入学が決まった頃から、妖精や精霊たちの様子がおかしかった。
今朝は特にそうだ。
普段は気の向くままに飛び回り、好きな場所でくつろいでいる彼らが、朝からそわそわと落ち着かない。
何かを待ちわびているように、互いに顔を見合わせては嬉しそうに騒いでいた。
「ねえ、みんな。今日はどうしたの?」
リシューが尋ねても、彼らは顔を輝かせるばかりで、理由を教えてくれない。
『もうすぐだよ!』
『早く来ないかな!』
『ああ、楽しみだ!』
そんな言葉ばかりが返ってくる。
ヴァリアードの授業を楽しみにしているのは自分だけではないのだろう。
そう考えながらも、いつもと違う彼らの様子が気になった。
結局、理由が分からないまま、リシューは教室へ向かった。
教室の入口に立つヴァリアードと、初めて視線が重なった。
ほんの一瞬のことだった。
けれど、目が合った瞬間、リシューの胸の奥で何かが大きく震えた。
驚いて息をのむ。
それまで感じたことのない感覚が、身体の中心から一気に広がっていく。
初めて会ったはずなのに、ずっと探し続けていた相手を見つけたような、不思議な懐かしささえあった。
同時に、ヴァリアードの魔力がかすかに揺らいだ。
まるでリシューの存在に応えるように、その魔力が彼女へと意識を向ける。
次の瞬間、教室にいた妖精や精霊たちが、一斉に歓声を上げた。
『やっと会えた!』
『よかった! 本当によかった!』
あまりの喜びように、隣のルノアが不思議そうに妖精たちを見る。
しかし、妖精や精霊たちは気にも留めず、嬉しそうに飛び回っていた。
その光景を目にしながら、リシューはようやく理解した。
目の前にいる人こそ、自分の『運命の番』なのだ。
そして、それはヴァリアードも同じだった。
二人はしばらく、言葉もなく見つめ合った。
互いに初めて出会ったはずなのに、相手の存在が何よりも特別なものだと分かる。
理屈では説明できない確信が、二人の胸に同時に生まれていた。
けれど、ここはヨーリアン帝国魔術学院の教室だ。
ヴァリアードは教師であり、リシューは入学したばかりの生徒である。
『運命の番』と出会えた喜びがどれほど大きくても、今はそれぞれの立場を忘れるわけにはいかなかった。
先に視線を外したのはヴァリアードだった。
彼は何事もなかったかのように教壇へ向かい、授業を始める準備を整えた。
その姿を見て、リシューも呼吸を整えた。
初めて受ける授業への期待で胸がいっぱいになっていたはずだった。
しかし、今は違う。
教壇に立つ彼が気になって仕方がない。講義の内容を理解しようと集中しても、ふとした瞬間に視線が向いてしまう。
ヴァリアードの周囲では、妖精や精霊たちが楽しそうに飛び回っていた。
彼らは時折、リシューのそばにいる妖精たちに手を振っている。
それに気づくたび、リシューの胸は落ち着かなくなった。
今日の授業の予習は全て入学前に終わっていた。
一番に予習を終え、何度も読み込んだ教本だ。
何度も気持ちを切り替え、講義に集中しようと努めたが、身体の奥から湧き上がる感情は簡単には静まらなかった。
授業が終わる頃には、心身ともに疲れ切っていた。
リシューはルノアに癒してもらったものの、体調は思うように戻らなかった。
午後の授業を受けるのは難しいと判断し、保健室を訪れることにした。
保健室では、精霊魔法を扱う医師が診察を行った。
リシューは身体の不調を伝えたあと、午前中の授業で起きたことについても説明した。
クラスの半数に癒しを施したことも、その一つだった。
診察を終えた医師は、リシューの状態を考慮し、午後の授業を休むように告げた。
リシューはその指示を受け入れ、午後は休養することになった。
けれど、身体の不調だけが原因ではないことを、リシュー自身が一番よく分かっていた。
生まれて初めて出会った、自分の『運命の番』。
これから、どうすればよいのだろう。
入学したばかりの学院で、これから始まる生活はどうなるのだろうか。
教師と生徒という立場の違いもある。
今まで思い描いていた学院生活が、出会いを境に大きく変わってしまったように感じていた。
すぐに答えを出せるはずもなく、リシューは戸惑いを抱えたまま、日々の授業に戻った。
幸いだったのは、課題が多かったことだ。
予習や復習に追われている間は、余計なことを考えずに済む。
目の前の勉強に集中していれば、心の揺れも少しずつ落ち着いていった。
ただ、一つだけ、気になることがあった。
あの日を境に、ヴァリアードが学院内にいることを、リシューは以前よりも強く感じるようになったのだ。
彼は授業が終わってからも、リシューが寮へ戻るまで学院内にいた。
それまでは、そんなことはなかった。
偶然なのか、それとも何か理由があるのか。
リシューには分からなかったが、彼が学院内にいれば、胸の奥が温かく冷静になり集中できた。不思議な安心感があった。
寮に帰るとなぜか不安な気持ちが押し寄せた。
なるべく早く学院に行きたかった。
そして、初めて出会った日から迎えた週末。
リシューは天上宮殿へ戻ると、誰よりも信頼している精霊王様に相談することを決めた。
西大陸でもっとも美しいといわれる天上湖。
その澄み切った湖面には、空の色と周囲の景色が映し出されていた。
湖畔に腰を下ろしたリシューの前には、いつも変わらず自分を見守ってくれる精霊王様がいる。
何でも話せる相手なのに、いざ口にしようとすると、頬が熱くなった。
「……精霊王様」
「リシュー。どうした? 」
いつもと変わらない穏やかな声に、リシューは少しだけ緊張をほぐした。
それでも、次の言葉を口にするまでには時間がかかった。
「学院で……番に出会いました」
告げた途端、頬がさらに熱くなる。
精霊王は驚いた様子を見せなかった。ただ、すべてを知っているかのように、穏やかに微笑んだ。
「そうか」
あまりにも自然な返事だった。
リシューは思わず顔を上げた。
「……驚かないのですか?」
「ああ。リシューが生まれたときから分かっていた」
「えっ?」
思いがけない言葉に、リシューは目を丸くした。
精霊王は湖面へ視線を向け、静かに続けた。
「ヴァリアードだろう?」
「どうして……分かったのですか?」
「精霊たちが、あれほど嬉しそうに騒ぐ相手はそう多くない。」
リシューは、朝からの妖精や精霊たちの様子を思い出した。
あれほど落ち着きがなく、何かを待ちわびていた理由。
ヴァリアードと目が合った瞬間に上がった歓声。
すべてが、ようやく一つにつながった。
精霊王様はリシューのそばへ手を伸ばし、優しく頭を撫でた。
「私は知っていた。だが、お前自身が彼と出会い、何を感じるのか。それが何より大切だった」
「……」
「たとえ私が相手の名を教えたとしても、お前が自分の心で感じることまでは代われぬ。
誰かに決められるのではなく、お前自身が出会い、自分の意思で選ぶ。それが大切なのだ」
精霊王の声には、リシューを案じる優しさが満ちていた。
守られているからといって、何もかもを決めてもらう必要はない。
自分の人生を歩むのは、自分自身なのだ。
精霊王様はそれを理解していたからこそ、何も告げず、リシューが出会うその日まで見守ってくれていたのだろう。
その思いに気づいた途端、リシューの胸がじんわりと温かくなった。
「……ありがとうございます」
「礼などいらぬ」
精霊王様は、いつものように穏やかに微笑んだ。
「それでよいのだ。」
リシューはうつむき、恥ずかしそうに笑った。
「……はい」
リシューは顔を上げ、精霊王様に微笑み返した。
天上湖の風が、二人の間を静かに吹き抜けていく。
「では、私と一緒にお出かけをしよう。リシュー。」
精霊王様が優しく微笑んだ。




