417 二十人目の国外追放王族
生徒支援課の面談室に、一人の少年が座っていた。
少年は、北大陸アズマサール共和国の王族だった。
一夫多妻制を採るこの国では、現在の国王だけで四十五人もの子どもがいる。
さらに、王太子にも二十人目となる子どもが生まれたばかりだった。
王族は増え続ける一方、国の財政は悪化し、借金も膨らんでいた。
そんな国に生まれた少年は、幼い頃から自分の将来に危機感を抱いていた。
――自分の人生は、自分で切り開かなければならない。
そう考えた少年は、幼い頃から勉強に励んできた。
ヨーリアン帝国魔術学院への推薦入学が決まったときも、遊び半分で学ぶつもりはなかった。
自国の魔術学園では成績も悪くなく、努力すれば将来の道を切り開けると信じていたからだ。
しかし、入学してすぐに現実を思い知らされた。
自分が特別に優秀だったわけではない。ただ、自国の教育水準が低かったのだ。
ヨーリアン帝国の市民学校で基礎を学んでから学院に進学した平民の学生たちは、少年よりも豊富な知識と優れた技術を身につけていた。
学院で学ぶうちに、少年は自国が他国からどのように見られているのかも知ることになった。
財政難に、増え続ける王族と積み重なる借金。自然を大切にしない国政。そして、アーシャ愛幸国の次に滅びるのではないかとさえ噂されている現状。
十分な教育を受ける機会もないまま、王族という身分だけを与えられていく子どもたち。
少年は、自分が生まれ育った国について、何も知らなかった。
それでも、勉強をやめることはなかった。
せめて自分だけは何かを身につけ、国の役に立てる人間になりたい。そう願い、努力を続けていた。
だが、学院で学び始めて間もなく、少年は一つの問題に気づいた。
古く、いつ壊れるとも知れない魔道具に頼っていては、魔術学科で卒業資格を取得するのは難しい。
そこで少年は、早々に領地経営学科へ転籍した。
その選択は正しかった。
一年目の終わりには、飛び級で領地経営学科の卒業資格を取得できたのだ。
それは、母から何度も言い聞かされていたことでもあった。
『国外追放になるよう仕向ける者が、毎年いると聞いています。入学したら、なるべく早く領地経営学科の卒業資格を取りなさい。
婿入りすることになったときにも、必ず役に立つ資格ですから』
母は、少年の将来を案じていた。
『もし国外追放になったら、私の実家の侯爵家が運営する商会に手紙を出しなさい。あなたが国外追放になれば、私も離縁されるでしょう。そのときは、喜んであなたについていきます。私も風魔法が使えますから、仕事を探して働きます』
母は、最初からこうなる可能性を考えていたのかもしれない。
そして二年目。
始業式の翌日、学院では基礎能力確認試験が行われた。
少年は無事に試験を終え、領地経営学科の特級クラスに残ることができた。
これまでの努力が認められたことに、安堵していた。
ところが、その日の帰り道。
廊下を歩いていた少年は、下級クラスの学生に呼び止められた。
「何十番目の王族ですか?」
少年は眉をひそめた。
自分から王族だと名乗ったことはない。それなのに、相手は容姿を見ただけで出自を察したらしい。
「……何のことですか?」
「だって、あなたの国って王族がものすごく多いんでしょう? そんなにたくさんいて、仕事はあるんですか? ちゃんと働けるんですか?」
嘲るような口調だった。
「国には借金もたくさんあるって聞きましたけど、大丈夫なんですか?」
言葉の一つ一つが、少年の胸に突き刺さった。
自分なりに努力してきた。将来のために勉強を続け、ようやく卒業資格も手に入れた。
それなのに、生まれた国だけを理由に、何もかもを否定されたような気がした。
「私は、それでも王族だ! 国のために努力している!」
思わず声を荒らげた瞬間、少年の周囲から強い風が巻き起こった。
怒りに反応した風魔法が、目の前の学生を吹き飛ばし、その身体を床に倒してしまった。
直後――
ピィィィッ!
鋭い警告音が廊下に響いた。
魔道具人形が規則違反を検知したのだ。
音を聞いた少年は、ようやく我に返った。
「……しまった」
学院内には、授業以外での魔術使用が禁止されている区域がある。
まして、人に向けて魔術を使うことなど許されていない。
少年は青ざめた。
しかし、もう遅かった。
倒された学生は立ち上がると、魔道具人形に尋ねた。
「保健室に行きます。この場を離れても大丈夫ですか?」
魔道具人形から許可を得た学生は、そのまま廊下を去っていった。
その背中から、低い声が聞こえた。
「ようやく穀つぶしが一人減った」
少年は、その言葉の意味をすぐには理解できなかった。
だが、後になって考えれば、答えは一つしかなかった。
――自分を退学させるために、わざと挑発したのではないか。
そう気づいたときには、すでに処分が決まっていた。
身分を理由とした異議申し立て。
魔術使用禁止区域での風魔法の使用。
そして、相手を攻撃する意思があったと判断されたこと。
少年は、禁止区域についての知識が十分ではなかった。
それでも、知らなかったからといって、規則違反が許されるわけではない。
自分の行動が招いた結果を受け入れるしかなかった。
こうして、少年の退学が決まった。
だが、彼を待っていたのは、それだけではなかった。
退学が決まると、生徒支援課から面談の呼び出しを受けた。
そして今、少年は面談室に座っていた。
担当職員は手元の書類を確認してから、静かに口を開いた。
「まず、あなたに伝えなければならないことがあります」
少年は黙って職員を見つめた。
「アズマサール共和国から、王族としての身分剥奪と国外追放の通知書が届いています」
「…………」
少年は言葉を失った。
退学になることは覚悟していた。しかし、まさか国からも追放されるとは思っていなかった。
職員は、少年の様子を見ながら説明を続けた。
「昨年、アズマサール共和国から同じ通知書が届いたのは三人でした。
これまでに同様の理由で身分を剥奪され、国外追放となった王族は、あなたで二十人目です」
少年は俯いた。
「そのため学院では、長年にわたって改善が見られなかったことを踏まえ、来年度以降、アズマサール共和国からの推薦入学を受け入れないことが決まりました」
自分の国で、いったい何が起きていたのだろう。
学院に来てから知った国の実情と、母が繰り返し伝えてくれた忠告。その二つが、ようやく一つにつながった。
「……私は、あれほど母に気をつけるよう言われていたのに……」
少年の声が震えた。
職員は少年を責めることなく、別の書類を取り出した。
「ですが、あなたには、まだ残された道があります」
少年が顔を上げる。
「あなたには風魔法があります。それに、領地経営学科の卒業資格も取得していますね」
「……はい」
「風魔法を必要とする仕事は、いくつもあります。国境警備や運搬、探索など、魔法を活かせる職種は少なくありません。特に海運業では、風魔法を使える人材が常に不足しています」
職員は、少年が取得した資格にも目を通した。
「領地経営学科の卒業資格があれば、婿入り先を探すこともできます。
もちろん、あなた自身が望むのであれば、ですが」
少年は驚いたように目を見開いた。
「婚約者がいるのであれば、学院から相手方へ事情を説明する親書を出すこともできます」
少年はしばらく黙っていた。
やがて、小さく首を横に振った。
「もう、婚約破棄の通知書は、届いています。大丈夫です」
職員は、わずかに表情を和らげた。
「そうですか……」
それから、ふと思い出したように自分の瞳を指した。
「私も、あなたと同じような瞳をしていますね」
少年は職員の顔を改めて見た。
似た肌の色に、よく似た瞳。
そこで初めて、この職員もまた王族だったのだと気づいた。
「私も元王族です。四年前に国を離れ、今は母を呼び寄せて一緒に暮らしています」
職員は穏やかに微笑んだ。
「国を離れた当初は不安もありましたが、今は母と二人、未来を心配することなく穏やかに暮らしています。幸せですよ」
少年は驚いて目を見開いた。
「私も、ようやくあの国から抜け出せた人間です。ですから、あなたの気持ちは少しだけ分かります」
その言葉を聞いた瞬間、少年の目から涙がこぼれ落ちた。
ずっと、自分一人で何とかしなければならないと思っていた。
王族として生まれた以上、国のために努力しなければならない。役に立つ人間にならなければ、生きていくことさえできない。
そう考えて、必死に勉強してきた。
けれど、国を離れた先にも人生はある。
自分と同じように国を追われても、幸せに暮らしている人がいる。
「……私も、やり直せるのでしょうか」
「もちろんです」
職員は迷いなく答えた。
「これは人生の終わりではありません。
自分自身の人生を始める機会です。そうですね……泥船から、安全に降りられたと思えばいいのですよ」
少年は、しばらく俯いていた。
そして、ぽつりと呟いた。
「……泥船だったんですね」
「ええ」
「借金を重ねているのに、王族だけは増え続けて……」
少年は震える声で続けた。
「それなのに、国の中にいるときは、それが当たり前だと思っていました」
職員は何も言わず、少年の言葉に耳を傾けた。
「もう、あの国には戻りません」
少年は涙を拭い、顔を上げた。
「母の実家が運営している商会に、手紙を出したいのですが……」
「分かりました。今ここで書いてください。すぐに送れるよう手配します」
「ありがとうございます」
少年は深く息を吸った。
もう、国のためだけに生きる必要はない。
これからは、自分の人生を自分で選んでいきたい。
そう思えるようになっていた。
「それから、お願いがあります」
「何でしょう?」
少年は職員をまっすぐに見つめた。
「他国も含めて、私の風魔法を活かせる仕事を探してください。できるだけ賃金の高い仕事をお願いします。自分の力で生活できるようになりたいんです」
そして、少しだけ声を震わせながら続けた。
「母を呼び寄せたいのですが……できますか?」
「はい。親族であれば、移動門を利用するための許可を取ることができます。手続きが済み次第、呼び寄せられるようにしましょう」
少年の表情が、ほんの少し緩んだ。
母と離れずに暮らせる。
それだけで、先の見えない未来に一筋の光が差したような気がした。
「それから……」
「はい」
「風魔法を強化する講習が受けられると聞きました」
「ありますよ」
「厳しくても構いません。風魔法だけでなく、ほかの分野の講習も、受けられるものはできる限りすべて受けさせてください」
少年は、真剣な眼差しで続けた。
「自分にできることを増やしたいんです」
職員は力強く頷いた。
「分かりました。仕事探しも講習の手配も、私たちが支援します。一緒に頑張りましょう」
そう言って、職員は机の上の書類を閉じ、少年に手を差し出した。
少年は、その手を見つめた。
王族としてではない。
誰かの子どもとしてでもない。
まして、何十番目の王族としてでもない。
初めて、自分自身に向けて差し出された手だった。
少年は、その手をしっかりと握り返した。
「……はい」
握り合った手は、まだ震えていた。
それでも、少年の瞳は、確かな意志を宿して未来を見つめていた。




