416 失った身分と、新たな人生
生徒支援課の面談室には、退学が決まった学生たちが次々と訪れていた。
その中には、学院からの退学通知を受け取っても、事態を受け入れられずにいる者も少なくなかった。
一人の少女のもとに、実家から親書が届いた。
封を切り、書面に目を通した少女は、しばらく瞬きすらできなかった。
そこに記されていたのは、家からの除籍と貴族位の剥奪を知らせる言葉だった。
「……うそ……」
手から滑り落ちた書類が床に散らばる。
少女はそれを拾うこともできず、その場に立ち尽くした。
学院を退学になったとはいえ、まさか家族からも見捨てられるとは思っていなかったのだ。
自分がこれからどうやって生きていくのか、考えたことすらなかった。
少女は震える手で便箋を取り出し、親戚筋に助けを求める手紙を書いた。
返事を待ち、また別の親戚に手紙を書く。
しかし、返ってくるのは断りの返事ばかりだった。
貴族の身分を失った少女を雇い入れようとする者はいない。仕事の経験もなく、身につけた技術もないため、紹介できる仕事といえば、貴族家で従者として働くことくらいだった。
女性の場合は、さらに厳しい現実が待っていた。
実家に戻ることを許された者の多くは、家族が決めた結婚を受け入れるよう迫られた。相手の年齢や家柄、本人の希望は、ほとんど考慮されない。
家に戻れたとしても、望まない結婚を避けられるとは限らなかった。
面談室で一通の手紙を握りしめ、声もなく泣いている。
差出人は、長年、婚約者として信頼してきた青年だった。
手紙には、婚約を解消する理由が記されていた。
『君と婚約した際、私は領地経営科の卒業資格を取得することを条件として伝えたはずだ。
領地を共に守っていくために必要な知識だからだ。
婚約時の契約書にも明記してある。
あれほど何度も、説明したのに、君は理解しようとも、努力しようともしなかった。
私の言葉にも耳を傾けてくれなかったのだな。
残念だが、領地を共に守れる者でなければ、結婚することはできない。
君との婚約は解消させてもらう』
「……どうして……」
少女の声が震えた。
彼は、いつも優しかった。
勉強が遅れていると知れば、何度も教えてくれた。領地経営の授業が大切だと、繰り返し話してくれた。
それなのに、少女は聞き流していた。
自分が結婚する相手なのだから、いずれは何とかしてくれる。そう考えていたのだ。
「私……そんなつもりじゃ……」
手紙を胸に押し当て、少女は床に崩れ落ちた。
けれど、もう涙を拭いてくれる婚約者はいない。
どれほど後悔しても、彼が再び手を差し伸べてくれることはなかった。
すべてが遅すぎたのだと、少女は初めて思い知った。
…ー…ー…ー…ー…ー…
退学者支援係では、面談に訪れた学生に対し、必要に応じて学院の魔道具人形が記録した映像を見せていた。
そこには、平民や爵位の低い貴族を見下し、侮辱していた学生たちの姿も残されている。
「これは、あなたが発言したときの記録です」
職員が少女の前に映像を映し出した。
そこには、平民の学生を嘲笑し、身分の低さを理由に侮辱する少女自身の姿があった。
少女は唇を噛んだ。
「……今は、もう貴族ではありません」
「そうですね。では、あなたがかつて見下していた人々と同じ立場になって、どう感じましたか?」
責めるような口調ではなかった。
職員は、少女が答えるまで静かに待った。
「……怖いです。誰も助けてくれなくて……仕事もなくて……」
「そうですね。あなたが以前、平民に向けていた言葉は、今のあなた自身にも向けられるものです」
少女は顔を上げた。
「人を身分だけで判断し、見下す言葉を口にすれば、その言葉はいつか自分自身の評価にもつながります。相手を傷つけるだけでなく、困ったときに誰からも信頼されなくなることもあるのです」
職員は映像を止めた。
「ここで考え方を改めなければ、立場が変わっただけで、同じことを繰り返してしまいます。
これから先、どこで暮らすことになっても、人と関わらずに生きていくことはできません。今から学び直せばいいのです」
少女は何も言えなかった。
それでも、職員の言葉から目を逸らすことはなかった。
「もし家族が勧める結婚を受け入れられないのであれば、ヨーリアン帝国に残り、平民として生活する道もあります。
望まない相手との婚姻も、あなたが無理に選ぶ必要はありません」
「……私でも、ここに残れるのですか?」
「もちろんです。ただし、これまでと同じ生活はできません。自分で働き、生活を支えていく必要があります」
職員は、少女の魔力量と能力を記した書類を開いた。
「あなたには、仕事に生かせるだけの魔力があります。簡易魔法陣を扱う仕事なら、就職先を紹介できます。技術を身につければ、継続して働くこともできるでしょう」
職員は住居の確保や食費、衣服代など、生活に必要な費用について一つずつ説明した。
紹介できる仕事の賃金と毎月の支出、働き始めるまでに必要な費用、病気や失業に備えるための制度。
自立した生活を具体的に思い描けるよう、時間をかけて話した。
退学者支援係の役割は、退学した学生を学院から追い出すことではない。
必要な知識や技術を身につけさせ、本人が選んだ道を歩めるよう支援することだった。
面談を重ねるうちに、家族が勧める結婚を断り、平民として帝国に残る道を選ぶ者も増えていった。
彼らには、平民としての言葉遣いや礼儀、金銭管理、職場での振る舞いまで、基礎から丁寧な指導が行われた。
最初は戸惑っていた者も、少しずつ自分でできることを増やしていった。
中には、自分と同じように家族の意向に逆らえず、望まない結婚を迫られる人々を守りたいと考える者も現れた。
「私も、ここで働くことはできませんか?」
ある少女が、面談の最後に尋ねた。
「家族の言うとおりにするしかないと思っていました。でも、知らないことが多かったから、ほかの道を選べなかったのだとわかりました。私と同じように困っている人に、選べる道があると教えたいのです」
職員は、少女の言葉を聞いて頷いた。
「それなら、魔術学院の補佐職も考えてみませんか。まずは働きながら、必要な知識と実務経験を身につけるのです」
学院の補佐職に就き、五年間勤務すれば、従者学科の卒業試験を受験する資格が得られる。
試験に合格すれば、従者学科の卒業資格を取得できるほか、学院が定める最低限の卒業資格を得る道も開かれていた。
すぐに望む仕事に就けるわけではない。それでも、努力を重ねれば次の道へ進める仕組みが用意されていた。
退学を告げられた日には、未来などないと思っていた学生たちが、少しずつ自分の人生を考え始めていた。
生徒支援課の職員たちは、そのために必要な知識と生活環境を整え、一人ひとりが自立できるまで支援を続けていく。




