398 短命の運命から解放された日
帝王グランディスは、静かに口を開いた。
「……一つ、どうしても確認しておきたい」
その表情には、慎重さが滲んでいた。
その声に、部屋の空気がわずかに張り詰める。
「マイルズは……本当に治るのか?」
その問いは、治療方法を尋ねるものではなかった。
「一時的に症状が軽くなるという話ではない。薬で抑え続けるという意味でもない。……完治できるのか、と聞いている」
グランディスは、マイルズへ視線を向けた。
「今までにも、できることはすべて試してきた」
世界中から良いとされる薬草を集め、名のある薬草医にも診せた。
聖女たちにも治癒を頼み、医療魔術も何度も試してきた。
それでも最後には、皆が首を横に振った。
「症状を和らげることはできても、完全に治すのは難しい、と……」
その言葉を聞いてきたのは、グランディスだけではない。
王太子夫妻も、マイルズ自身も、何度も同じ言葉を聞かされてきた。
「だからこそ、私は聞いている」
グランディスは苦しそうに息を吐いた。
「また治るかもしれないと期待させて……その後、やはり無理だったと知ったマイルズが落胆する姿を、私は見たくない」
静かな声だった。
帝王としてではない。
祖父としての言葉だった。
「治療方法があることは嬉しい。だが、簡単に希望を持たせるわけにはいかない。……本当に、完治できるのか?」
しばらく、誰も口を開かなかった。
その問いに最初に答えたのは、ルノアだった。
「はい」
小さな声だったが、迷いはなかった。
「マイルズ様は、必ず治ります」
グランディスが驚いたようにルノアを見る。
ルノアはまっすぐにマイルズを見つめ、それからグランディスへ視線を戻した。
「今までの治療方法とは違います。だから……大丈夫です」
その隣で、クロリナラドも静かに頷いた。
「俺も同じだ」
そして、はっきりと言葉を続ける。
「マイルズは必ず治る。俺たちは、そのためにここにいる」
二人の言葉には、迷いも曖昧さもなかった。
グランディスは二人を見つめたまま、しばらく言葉を失っていた。
そして――長い間、心の奥底にしまい込んでいた願いを、初めて信じてもいいのかもしれない。
そう思った。
以前のように魔力に押し潰される感覚がない。
けれど、この変化に誰よりも強く心を揺さぶられていたのは、マイルズ自身だった。
少なくとも、マイルズが生まれてから今日まで、二十代を迎えた『神眼』の持ち主は一人もいなかった。
幼い頃から、その事実を何度も聞かされてきた。
十歳になった。
十一歳になった。
十二歳になった。
誕生日を迎えるたび、家族は喜びながらも、その胸の内では「今年も無事だった」と安堵していた。
そしてマイルズ自身も、年齢を重ねるたびに考えるようになった。
あと何年、生きられるのだろう。
次の誕生日を迎えられるだろうか。
二十歳になる前に、自分は天へ還るのだろうか。
未来を考えるたび、過去の『神眼』の持ち主たちの姿が頭に浮かんだ。
やがてマイルズは、生きることそのものに希望を持てなくなっていった。
身体は苦しい。それでも、いつか終わるのなら――。
そんな諦めが、少しずつ心を蝕んでいた。
帝王グランディス夫妻も、王太子夫妻も、兄も、マイルズの変化には気づいていた。
身体の苦しさだけではない。
未来の話をしなくなったこと。
欲しいものを尋ねても、「何もいらない」と答えること。
将来何をしたいのか聞いても、困ったように笑うだけになったこと。
誰も、それを見て見ぬふりをしていたわけではなかった。
何とかしてやりたかった。
だからこそ、先ほどルノアがマイルズの身体を確認し、「必ず治る」と伝えた瞬間、家族は皆、涙を流した。
長い間、どうすることもできないと思っていた運命が、初めて変わる可能性を見せたからだった。
「……本当に、治るんですか?」
マイルズが震える声で尋ねた。
ルノアは迷わず頷いた。
「はい」
その一言に、マイルズの目から涙がこぼれる。
「マイルズ様の魔力過多は、必ず治ります」
「必ず……」
「はい。時間はかかります。でも、治ります」
ルノアは優しく続けた。
「マイルズ様の体と相談しながら、進めていきましょう」
「……僕は、二十歳を迎えられますか?」
その問いに、ルノアは少しも迷わなかった。
「迎えられます」
マイルズの頬を、大粒の涙が流れた。
「……そうですか」
それだけを言うのが精いっぱいだった。
「僕は……生きてもいいんですね」
「もちろんです」ルノアは微笑んだ。
「これからは、何歳まで生きられるかを考えなくていいんです。何をして生きたいのかを考えてください」
マイルズは顔を伏せ、何度も頷いた。
「……考えてみます」
その言葉を聞き、グランディスも静かに涙を拭った。
長い間、誰もが恐れていた未来。
それが、ようやく変わろうとしていた。
マイルズは、もう一度胸いっぱいに息を吸った。
そして初めて、一月後の自分を想像した。
「……一月後が、楽しみです」
その言葉に、ルノアは微笑んだ。
「私も楽しみにしています」
マイルズは小さく笑った。
未来を楽しみにする。
そんなことを考えたのは、生まれて初めてだった。




