389 帝王グランディスのため息
「なぁ……まだ会談できていないんだが……」
レオンが、ぽつりと呟いた。
ヴァリアードがレオンに尋ねる。
「今日、ヨーリアン帝国を訪問することは、レオンジュニアとマリア様はご存知なのか?」
「ジュニアには言ってきたぞ。マリアには……言ってないな。怒られるからな」
レオンは、少し顔をしかめた。
ヴァリアードは帝王グランディスへ視線を向ける。
「グランディス。次にレオンが来たら、正式な親書でマリア様へ報告しろ。『せめて移動門を使ってほしい』とな。いいか、絶対に書けよ。少しは抑止力になる」
「……わかった」
ヴァリアードは、今度はレオンを見る。
「それより……どうやって結界を抜けてきた?」
「少し魔術式を読み替えただけだ。ここの魔術式は古いからな」
レオンは、何でもないことのように答えた。
「侵入者として認識されないように、結界の判定そのものを避けた。それから、警備の五十二人を押さえるのも簡単だったぞ」
「五十二人を……?」
グランディスが思わず聞き返す。
「全員が魔力増幅を使っていたから、そこへさらに魔力を流して増幅させたんだ。負荷がかかりすぎて、動けなくなっただけだ」
レオンは肩をすくめた。
「簡単だろ? 魔道具が古すぎるんだよ」
グランディスは目を細めた。
レオンの魔術技術の高さには、改めて驚かされる。
「……獣人を侮っている連中に、今の姿を見せてやりたいものだな」
レオンは苦笑した。
「種族で魔術の力量が決まるわけじゃない。努力の違いだ」
グランディスも、その言葉に静かに頷いた。
「そうか……わかった」
ヴァリアードは立ち上がった。
「俺は帰る。またな。来週、魔術学院の授業が終わったあとに、警護結界をもう一度すべて見て回る」
そして、グランディスを見る。
「グラードと、体調が良ければマイルズも付けてくれ。頼むな」
「わかった」
「それから、ルノアの番であるクロリナラドと、マクアリール公爵家当主ラルフにも話を通しておいた。
一度、マイルズをルノアに診てもらったほうがいい」
ヴァリアードは少し考えてから続けた。
「今週末、マクアリール公爵家のタスワンズ湖で、クロリナラドと一緒に会えるように調整してもらえるか? 皆、忙しいだろうから、急な話で申し訳ないが……」
「わかった」グランディスが頷く。
「じゃあな。移転!」
次の瞬間、ヴァリアードの姿が一瞬で消えた。
執務室に、ようやく静けさが戻る。
レオンも魔術を解除し、グランディスたちは深く息を吐いた。
すると、グレイヴが口を開いた。
「それで……わざわざ内密に来た理由は何だ?」
「ルルのことだ」レオンが答えた。
「竜皇国からも連絡が来ただろ? この件については、竜皇国にも話を通してある」
グランディスは、嫌な予感を覚えた。
そしてレオンは、あまりにもあっさりと言った。
「ルルは、竜皇国王太子の三男、サンセールの運命の番らしい」
「…………」
グランディスたちの動きが止まった。
「……今、何と言った?」
「ルルが、サンセールの運命の番だ」
あまりにも重大な話を、レオンは軽い調子で告げる。
「すでに竜皇国には話してある。ルルは王族だから、『婿入りの戦い』の勝者と結婚する。その慣習についても、向こうには理解してもらっている」
レオンは肩をすくめた。
「リアムがサンセールにも、学院では学ぶことを優先するよう言い聞かせているらしい」
グランディスは額に手を当てた。
竜皇国の竜人の運命の番。
王太子の三男。
そして、リオンブラン王国の王女。
簡単に扱える話ではない。
「……なぜ、もっと早く言わなかった」
「今、言っただろ?」
「そういう問題ではない!」
思わず声を上げるグランディスに、レオンは楽しそうに笑った。
「そういえば、竜皇国からもう一つ話が来ていたな」
「もう一つ?」
「ああ」レオンは何気なく続けた。
「カーナリアン王国に次ぐ友好国として、リオンブラン王国とも友好関係を結ばないか、という話だ」
「……竜皇国から?」
「そうだ」
グランディスは目を見開いた。
竜皇国は、これまで他国との関係に慎重だった。
最近では、ルノア様のいるカーナリアン王国が、竜皇国にとって初めての友好国となったばかりだ。
その次の友好国として、リオンブラン王国に声がかかった。
「それで、お前はどう答えた?」
「断った」
「はっ? ……なぜだ?」
レオンは、あっさりと答えた。
「ルルの婿入りの戦い次第だからな。サンセールが勝ったときに、その時点で考えればいい。お互いに不干渉のほうが、うまくいく場合もある」
レオンは、少しだけ真剣な表情になった。
「俺たちは、自分たちの力で今の獣人の地位を上げなければ意味がない」
そして、グランディスをまっすぐ見た。
「ただ、世界中から生徒が集まる魔術学院だけは、変わってもらう必要があると思った。だから、話をした。それだけだ」
グランディスは、しばらく何も言えなかった。
すべてが一つにつながっている。
ルル王女が成人するまでの五年間。
その間に、他国がリオンブラン王国を侮り続ければ、国同士の関係そのものが大きく変わってしまう可能性がある。
ヨーリアン帝国の魔術学院には、世界各地から次代を担う者たちが集まる。
そこで正しく学ばせることができれば、確かに大きな意味を持つだろう。
そして何より、リオンブラン王国がヨーリアン帝国との関係を重視してくれたことも、今後を考えればありがたいことだった。
「……まったく、とんでもない話を持ってきたな」
「そうか?」
「そうだ」
レオンは苦笑した。
「じゃあ、グラードとも共有してくれ。今年の魔法契約書には、守秘義務の条項を追加しておいた」
「もう……守秘義務まで変えていたのか!?」
グランディスが驚きの声を上げる。
「しっかり見て契約しろよ。まぁ、マイルズがいるから大丈夫だと思うが……」
レオンは少し考えてから続けた。
「話せることは話していい。ただし、ルルの運命の番については、リオンブランと竜皇国の許可が必要だ。そこはよろしく頼む」
レオンは少し黙った。
そして、今度は真剣な顔になる。
「ルルも強くなっているし、アキとサキも付いているから大丈夫だとは思うが……」
さらに続けた。
「自分で退学だと気付くと、毎年おかしくなる奴が出るだろ?」
「……」
「とにかく注意してくれ。入学して半年が一番問題が多い。分かっていて、なぜ改善しない?」
レオンの口調が、少しずつ真剣になっていく。
「授業についていけない奴はクラスから外せ。やる気のない奴が本当に迷惑なんだ。試験終了後、親元での待機を命じれば、それだけでも問題は減るだろ?」
グランディスたちは黙って聞いている。
「学則も毎年見直せよ。マイルズの神眼で確認すれば、解決できることも多いだろ?」
「……!?! なぁ……」
グランディスが、思わず身を乗り出す。
「何で公表していないのに、マイルズのことまで詳しいんだ?」
そして、頭を抱える。
「他に何か危惧していることがあるなら言ってくれ! 怖すぎる!」
レオンは、そんなグランディスを見て苦笑した。
「まぁ……とにかく、誠実に、平等に、真面目に向き合えば大丈夫だ」
レオンは静かに言った。
「竜神様が、ちゃんと見ていてくださっているからな。それに、妖精様や精霊様を大切にしろ。自然を減らすような計画はやめておけ!」
「自然を減らす計画……?」
グランディスが聞き返すより早く、レオンは立ち上がった。
「じゃあ、俺も帰る!」
次の瞬間、レオンの姿も一瞬で消えた。
しばらく、誰も言葉を発しなかった。
やがてグレイヴが、何かを思い出したように口を開く。
「……自然を減らす計画?」
少し考え込んでから、グレイヴは顔を上げた。
「マイルズが『絶対に駄目だ』と農場計画を見直させた、リーヴィラ侯爵家の件か……」
グレイヴは、帝王グランディスを見る。
「帝王様。私が、しっかりと現地視察してきます。
森林伐採についても、これ以上は認めない方向で進めましょう」
グランディスは静かに頷いた。
「そうだな……」
そして、ふと思い出したように呟く。
「たしかに……マイルズが、久しぶりに意見を言ったな。しっかりと聞こう」
だが、すぐに深いため息を吐いた。
「まだ学院が始まったばかりだというのに……」
グランディスは、またしてもこめかみを揉んだ。
今年の魔術学院は、無事に一年を終えられるのだろうか。
その答えを、今のグランディスには想像することすらできなかった。




