382 ヨーリアン帝国帝王グランディス
ヨーリアン帝国の帝王グランディスの執務室には、日を追うごとに報告書が積み上がっていた。
その中心にあるのは、魔道具管理部から届けられた書類だった。
寮の魔道具人形の点検から始まった調査は、やがて過去の整備記録や部品交換、さらには職員たちの会話にまで及んでいた。
魔道具人形が記録していた映像と音声。
それらをもとに作成された報告書には、これまで見過ごされていた不正や怠慢までも、事実として記されている。
帝王は、一枚ずつ目を通していった。
「……まだあるのか」
魔道具人形が報告書を整理している間にも、机の上には新たな書類が積み重なっていく。
グランディスは長い年月を生きてきた。
帝王として国を治め、帝国内の勢力についても、自分が知らないことなどほとんどないと思っていた。
だが、現実は違った。
自分が把握していると思っていた帝国には、まだ知らない問題がいくつも残っていた。
その事実を最初に突きつけたのが、竜皇国から訪れたクロリナラド殿下だった。
リアム国王の親書を携えてヨーリアン帝国を訪れたクロリナラドは、分厚い資料を帝王の前に置いた。
そこには、ヨーリアン帝国の貴族一覧をはじめ、不正や横領、謀反につながる動き、さらには不満を募らせる国民の状況まで、詳細に記されていた。
映像と音声による証拠も揃っていた。
そして、クロリナラドは静かに問いかけた。
「帝王様……この状況で、来期から私の番が魔術学院へ入学しても、安全に守れるとお考えですか?」
その言葉が、帝王の胸に深く残った。
『竜神様の愛し子様』であり、クロリナラド殿下と『白銀の腕輪の誓い』を交わした番であるルノア様を、この帝国で安全に魔術学院へ通わせることができるのか。
帝王は、初めて自分自身に問い直した。
今の状態で「安全だ」と言い切ることなどできなかった。
そして帝王は、長年にわたって親族の問題も抱えていた。
実弟ナザル。
当時、ヨーリアン帝国魔術学院の学院長を務めていた男である。
その背後には、ナザルに甘い実母と、その実家である公爵家があった。
帝王は長い年月をかけ、彼らを排除するための材料を集めていた。
表立って動くことなく、勢力の動きや不正を調べ、いつか決断するための準備を続けてきた。
そして、クロリナラドが持参した資料によって、その判断は決定的なものとなった。
『これ以上、先延ばしにはできない』
帝王は、自らの手でナザルと実母、そして実母の公爵家を排除することを決断した。
長年続いてきた勢力を崩す、大きな決断だった。
その結果、帝国内部にあった大きな問題の一つは取り除かれた。
しかし――。
「……あれで終わりではなかったのだな……」
帝王の目の前には、再び魔道具管理部から届いた資料が積み上がっていた。
ナザルたちを排除しても、不正は消えなかった。
長年にわたって根を張った癒着。
仕事を怠る者。
古い制度に甘え、新しい技術を学ぼうとしない者。
一つの勢力を取り除いただけでは、帝国そのものに積み重なった問題までは消えない。
そして、その問題を表へ引き出したのは、入学したばかりのルノア様だった。
ルノア様は、自分の魔道具人形だけを整備してほしいとは言わなかった。
一体だけを改善するのは平等ではない。
寮にあるすべての魔道具人形を調べ、同じように整備するべきだと提案された。
その言葉から始まった点検によって、魔道具管理部が長年抱えていた問題が次々と明らかになった。
帝王は報告書をめくりながら、静かに息を吐いた。
「自分だけではなく、皆を……か」
ルノア様は、目の前にあった一つの問題を、自分だけの問題として終わらせなかった。
その結果、隠されていたものまで明らかになったのだ。
そして帝王は、長年の懸念の一つだった魔道具の在り方にも目を向けた。
帝国では、安全管理のために魔道具を多用してきた。
だが、その魔道具自体が古くなっている。
新しい技術を取り入れる努力も、高度な技術を学び続ける姿勢も、十分だったとは言えない。
便利だから使う。
安全だから記録する。
しかし、人の安全を守るための魔道具が、必要以上に個人の情報まで集めている。
そこにも、新たな問題が生まれていた。
「安全管理と個人の情報……」
その両方を守る仕組みを、改めて考えなければならない。
帝王は、窓の外を眺めた。
ふと、リアム国王の顔が浮かぶ。
リアムとは、長い年月を友人として過ごしてきた。
同じ長命な古竜種として、世界の理を守る者として、それぞれの国を治めてきた。
長い年月の中で互いの立場を理解し、必要なときには率直な言葉を交わしてきた。
今回、クロリナラドがヨーリアン帝国へ来たことも、リアムとの長い信頼関係があったからこそだ。
「……リアムには、感謝せねばならんな」
友人だからこそ、クロリナラドを託してくれた。
そして、その息子が持ってきた資料によって、自分が見落としていたものを知ることができた。
帝王は、再び机の上に積まれた書類へ視線を戻した。
ナザルたちを排除して終わりではない。
不正も、古い魔道具も、制度も。
一つずつ向き合い、見直していかなければならない。
「知らないことを、知らないままにしないことだな」
帝王は静かに呟いた。
長く帝国を治めてきたからこそ、変えることには時間がかかる。
それでも、ルノア様が示してくれたように、目の前の問題から一つずつ向き合えばいい。
安全を守るための魔道具を残しながら、個人の情報を必要以上に扱わない仕組みへ。
古いものに頼るだけではなく、新しい技術を学び、取り入れる帝国へ。
帝王はしばらく考えたあと、静かに頷いた。
「……今が、見直す時期なのだろうな」
帝王は、目の前にある問題から逃げることなく、一つずつ向き合っていくことを改めて決意した。




