372 魔道具人形ワムの初期設定
寮の中は、外観以上に古く重厚だった。
高い天井。厚い石壁。長く続く廊下。それでも、壁や床には細かな魔術式が組み込まれており、建物全体が巨大な魔道具のようになっている。
しばらく歩くと、一人の従者姿の者がルノアを出迎えた。
黒を基調とした従者服。姿だけを見れば、ほとんど人族と変わらない。
「ルノア、お待ちしておりました」
柔らかな笑顔を浮かべ、その者は頭を下げる。
「本日より、私がルノアのお部屋を担当いたします。魔道具人形です。どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。お名前は?」
「あっ……はい。ワムと申します。よろしくお願いいたします」
その温かな対応に、ルノアの緊張が少し解けた。
だが、この従者は人族ではない。
学院が学生一人ひとりに用意した魔道具人形だった。
学院では従者の帯同が禁止されているため、全学生に一体ずつ与えられている。
ただし、使用しても使用しなくてもよいとされている為、平民は使わない者が多かった。
何でも勝手に世話をしてくれるわけではない。
「私は、ルノアの指示に従って行動いたします」
「自分からは動かないのですね」
「はい。学院では、自分の生活を自分で管理することも、学びの一つとなっております」
ルノアはラド様から魔道具人形について聞いていた。
貴族は普段、何も言わなくても従者が身の回りのことをしてくれる。
そのため、入寮したばかりの貴族は、魔道具人形への指示そのものに苦労することもあると。
案内された部屋に置かれているのは、机と椅子、寝台、収納棚、簡素な衣装棚、小さな敷物だけだった。
それでも、生活に必要なものは揃っている。
部屋の隅には、個室用の浴室とトイレまで備えられていた。水を温めることも、汚れを落とすことも、魔術によって自動で行われる仕組みになっている。
「こちらが、『寮生活の案内書』でございます」
差し出されたのは、かなり分厚い冊子だった。
寮の規則、生活時間、立入禁止区域、魔術使用の制限区域、禁止物品、魔道具の扱いや使用方法、違反時の処分。
細かな規則まで、びっしりと書かれている。
ルノアはしばらく冊子を眺めると、魔力を流した。
紙面に書かれた内容が次々と整理され、要点だけが別の紙へまとめられていく。
「……え?」魔道具人形が固まった。
「入寮してすぐに、案内書を魔術で要約される方は……私の記録にはございません」
「そうですか」ルノアは気にすることなく、まとめられた内容に目を通した。
「私は卒業まで、一度も規則を破りたくありません」
「承知いたしました」
「もし私が規則に違反しそうになった場合は、違反する前に教えてください。どの規則に触れるのかも、はっきり説明し教えてください」
「かしこまりました」
「厳しくお願いします。私が模範生になれるよう、協力してください」
「承知いたしました」
ルノアはさらに続けた。
「それと、許可のない人がこの部屋へ入った場合、その人の映像や音声、状況、侵入した理由など、記録できるものはすべて記録してください」
「承知いたしました」
「友人だと名乗って近づいてきた人についても、会話の内容を確認してください。調査の必要があるとワムが判断した場合は質問をして、会話から相手の意図を確認し、映像や音声を保存してください」
「かしこまりました」
「『ルノアがそう言っていた』『ルノアから聞いた』『ルノアからもらった』『ルノアから頼まれた』など、私に関する噂や伝聞があった場合も同じです。
『ルノア』、もしくは私を表す別の呼び方でも作動するように設定してください」
ルノアは少し考えてから続けた。
「悪意のある言葉や、呪や、術式などは、私には学院の許可を取った「番の契約の腕輪」の御守りが装着されています。
悪意を受け取ると自動で術返しをしてしまいます。
その正当性を音声や映像を証拠として保存、ワムが内容を確認し、問題があると判断した場合は、追加調査し、証拠が揃った場合は、関係各所へ連絡し国に判断を任せてください。
私にも事後で構いませんので報告してください」
魔道具人形の表情が、わずかに引き締まった。
「承知いたしました」
「違反に関することは、私と教務部、そして国へ至急報告してください。後回しにすると問題になることもあります。
婚約者がかなり心配性なのです。報告後は、学則、寮規則に従って対応してください」
ルノアは学院側で特別な許可管理を必要とする生徒として設定されている。
それは規則を免除されるという意味ではない。
むしろ、必要なことはすべて許可を取り、学院の規則を守るための仕組みだった。
ヨーリアン帝国では、重要な情報を守るための秘匿魔法契約も徹底されている。
魔道具人形は深く頭を下げた。
「承知いたしました。これらの設定につきましては、必要に応じて情報管理部にも通知いたします」
「お願いします」
「……こんな使い方ができたなんて……」
魔道具人形が、ぽつりと呟いた。
ルノアはその言葉には答えず、今度は目の前の魔道具人形そのものを見つめた。
そして、少し首を傾げる。
「……あの、少し動きが気になるのですが……」
魔道具人形が腕を動かす。
ほんのわずかに、動きが遅い。
歩いたときには膝が少し重く、腰の動きも滑らかではない。
肘にも、微かな引っ掛かりがあった。
「ここ、直してもいいですか?」
「私の整備について、でございますか?」
「はい」
ルノアは、目の前で錬金術で精製した潤滑油を出した。
「少しだけ使いますね」
魔力を流しながら、右の腰、膝、そして肘へ丁寧に潤滑油を馴染ませていく。
魔道具人形が、恐る恐る腕を動かした。
先ほどまであった引っ掛かりがない。
膝も滑らかに動き、腰の動きも自然になった。
「……動作が改善しております」
「よかったです」ルノアは小さく笑った。
魔道具人形は深く頭を下げた。
「ヨーリアン帝国の魔道具管理部へ報告し、点検をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「はい。でも、私だけではなく、入寮生徒全員の魔道具人形を点検してください」
「全員、でございますか?」
「はい。入寮にあたり、環境改善の提案は可能と書かれていましたよね?」
「はい」
「ならば、私だけ直して使うことは平等ではありません。全員を点検して、必要なら同じように整備してもらうべきです」
「……承知いたしました」
その報告は、すぐにヨーリアン帝国の魔道具管理部へ送られた。
こうして、ルノアの学院生活は始まった。




