364 タスワンズ湖の大樹の下で
タスワンズ湖のほとり。
静かに枝葉を揺らす大樹の下へ、ヴァリアードは精霊王様に呼ばれてやって来ていた。
「本当に久しぶりの呼びたしだな。
変わりはないか?
足りていないものはないか?
それで、精霊王様。今日は何の用だ?」
「……お前は、本当に昔から変わらんな。
精霊王である私に対して、その口の利き方だ」
「今さらだろ。昔からこうだったじゃないか」
「そうだったな」精霊王様は苦笑した。
ヴァリアードと精霊王様の付き合いは長い。
幼い頃から、ヴァリアードの周囲には精霊様や妖精様たちがいた。
彼らと話せることは、祖父上や父上から、決して誰にも知られてはならないと教えられていた。
それでもヴァリアードにとって、精霊様や妖精様たちとの交流は、特別なものではなかった。
『ヴァリアード、この子の体調が悪い。薬草が必要だ。見てくれ』
『分かった。その代わり、こっちの薬草を探してくれ』
『それなら精霊石もつけよう』
『本当か? 助かる』
お願いを聞けば対価をもらい、こちらに必要なものがあれば頼む。
精霊王様に対しても、それは変わらなかった。
エルフの里へ『御使い』として、薬草や精霊石を届けたり、精霊様のポーションを人族にあわせ薄めたり分けたりして扱えるようにする。
困っている者がいれば届け、頼まれればできることをする。
『御用聞き』
それが、ヴァリアードにとって当たり前の日々だった。
ユキライアナ侯爵家とマクアリール公爵家の領地は、昔から自然が多い。
そのため、子どもたちは、精霊様や妖精様の姿を見て育つ。
中でもタスワンズ湖は、精霊様や妖精様が特に多く集まる聖地だった。
多分、エミリアも彼らと話すことができた。
だが、お互いにそのことを口にはしない。
ただ、毎日窓際にお菓子を置いていた。
ラルフも、声を聞くことはできなかったが、幼い頃から精霊様たちを見ていた。
やがて念話の魔術が上達すると、精霊様や妖精様たちと念話で話す姿を見かけるようになった。
それでも、誰も何も言わなかった。
ヴァリアードが膨大な魔力を持つことで恐れられていた時も、精霊様や妖精様たちも、家族も、ラルフも、エミリアも、変わらず同じだった。
その経験があったからこそ、ヴァリアードも種族や身分で相手を判断することはなかった。
エルフだから。ドワーフだから。竜人だから。人族だから。
そんな理由で、相手への態度を変える必要などない。困っているなら助ける。
当然なことだ。ただ、それだけだった。
「……お前は、自分がどれほど多くの者と繋がってきたのか、分かっていないな」
精霊王様が静かに言った。
「繋がる?」
「ああ」
精霊王様は大樹を見上げた。
「お前が返上したユキライアナ侯爵家は、代々『世界の繋ぎ手』を担っていた」
「……世界の繋ぎ手?」
「そうだ。もう一つの役割も、先日ルノアに
『竜環の繋ぎ手』として、引き継がれた」
精霊王様は、穏やかに続けた。
「世界は、ようやく整った。最後に残っていたのが、ヴァリアードなのだよ」
その存在は、決して知られてはならなかった。
精霊様や妖精様、エルフ、竜人、ドワーフ。
様々な種族との繋がりが政治に利用されれば、それは争いの原因にもなる。
ヴァリアードが精霊様たちから受け取ったものも、
誰が、どこから手に入れたのか分からないよう、慎重に扱った。
必要な分だけを人族が扱える形に変え、世界の理から外れないように流通させる。
その役割を陰で担っていたのが、ユキライアナ侯爵家だった。
「お前は何も知らずに、我らと様々な種族を繋いでいた」
「……俺が?」
「そうだ」
ヴァリアードは首を傾げた。
「頼まれたからやっただけだぞ」
「そうだな。だからこそ、お前なのだ」
精霊王様は穏やかに笑った。
「ヴァリアード。話さなければと思いながらも、これまでしっかりと話す機会がなかった。今さらだと思わず、聞いてほしい」
精霊王様の真剣な表情に、ヴァリアードも向き直る。
「干渉できず、十年間も助けることができなかった。本当にすまなかった」
「……!」
「『黒銀の鎖』からようやく解放され、お前がこれからのことを自由に決められるようになるまで、そして落ち着いて話せる時を、ずっと待っていた」
「………?」
精霊王様は、静かにヴァリアードを見つめた。
「お前は、私の『愛し子』だ」
「……愛し子?」
「そして、今は無きユキライアナ侯爵家の当主が代々担ってきた、『世界の繋ぎ手』でもある」
一拍置いて、精霊王様は続けた。
「お前の父親も、その一人だった」
「…………?!」
ヴァリアードは、すぐには答えられなかった。
幼い頃から当たり前だった、精霊様や妖精様たちとの交流。
それが、自分の知らないところで、世界を繋ぐ役割へと続いていた。
しばらく黙り込んだあと、ヴァリアードは口を開いた。
「……だからって、俺は変わらないぞ」
「変わる必要などない」
「精霊王様だからって、これまで通りお願いもするからな」
「もちろんだ」
「俺も、精霊様や妖精様に頼まれたら、できることなら聞く」
「それでいい」
精霊王様は、嬉しそうに笑った。
『愛し子』だから特別なのではない。
『世界の繋ぎ手』だから選ばれたのでもない。
誰もが恐れるほどの力を持ちながら、その力を理由に誰かを見下さず、種族や身分にも関係なく、目の前の相手と向き合ってきた。
その積み重ねが、いつしか世界を繋いでいたのだ。
これからヴァリアードが『精霊王様の愛し子』として公表されるかどうかは、まだ分からない。
けれど、多くの種族を繋ぎ、『世界の理』を守りながら、争いのない道を歩いていく。それは、今までと何も変わらない。
ヴァリアードは、ようやく理解した。
それこそが、『精霊王様の愛し子』であり、『世界の繋ぎ手』としての自分の役割なのだと。
大樹の枝葉が、静かに揺れる。
その周囲を、精霊様と妖精様たちが楽しそうに飛び交っていた。
ヴァリアードは、その姿を見上げる。
「……まあ、今までと変わらないなら、それでいい」
本人だけは、まだ知らない。
その背中を見送る無数の精霊様と妖精様たちが、拍手し、歓声を上げ、どれほど嬉しそうに笑っていたのかを。




