359 静かな旅立ち
そして、もう一つの変化があった。
湖のほとりでは、少しずつ元気を取り戻した精霊様や妖精様たちが、ペコリと頭を下げ、静かに旅立っていく姿が見られるようになった。
「……もう旅立つのか?」
その様子を見ていた精霊王様は、驚いたように目を見開いた。
「私は、皆がここに百年……いや、二百年は留まるものだと思っていた」
けれど、旅立とうとしている者たちの表情に、迷いや怯えはなかった。
皆、穏やかで力強い笑顔を浮かべていた。
「もう大丈夫なの」
一人の妖精様が胸を張って答えた。
「タスワンズ湖も、南の精霊王様も、強くなった。ここは、私たちがいつでも帰ってこられるところ。」
別の精霊様が笑った。
「だから今度は、私たちが助ける番。西大陸ランボトル精霊国にいかなきゃ。西の精霊王様と愛し子優しい。助けなきゃ。きっと、私たちの力が必要」
キラキラした瞳で言った。
「助けてもらったことを、私たちが返す!」
小さな力こぶを作って見せた。
精霊王様は、しばらく言葉を失っていた。
すると一人の精霊様が、湖を振り返った。
「ここで、たくさん元気をもらった。だから次の子たちに譲る!悪戯するのが増えたのは元気だからなの!皆で話して決めた!ここの場所はだめ。皆で守らないと!」
その言葉に、皆が大きく頷いた。
精霊王様が優しく微笑む。
「もし、また疲れてしまったら……その時は、ここへ帰ってくればいい。ここはいつでも帰る場所だ」
「ありがとう!精霊王様」皆が嬉しそうに笑った。
そして、それぞれが新たな場所へ向かって飛び立っていく。
傷つき、逃げてきた者たちは、もう誰かに守られるだけの存在ではなかった。
自分たちも誰かを助けられるほど、元気を取り戻していた。
旅立っていく姿を、先王夫妻であるフォールとマールも、静かに見守っていた。
次々と空へ舞い上がっていく姿を見つめながら、フォールが少し寂しそうに呟いた。
「……少し寂しく感じます。精霊王様」
そして、湖の周囲に視線を向ける。
「竜皇国軍の者たちがたくさんこちらへ来ていますが……大丈夫でしょうか?」
マールも心配そうに精霊王様を見つめていた。
精霊王様は二人の様子を見て、穏やかに笑った。
「大丈夫だ。皆、とても礼儀正しい。あちらでサラたちが教育をしている」
「そうなのか……」
フォールが安心したように頷く。
「何より、タスワンズ湖は竜皇国では人気だ。
宿舎の食事やおやつが美味しくてな。」
精霊王様は楽しそうに笑った。
「だから、希望する者が多く、選ばれることが難しいと聞いた。」
「まあ……」
マールが驚いたように目を丸くする。
精霊王は澄み渡った湖を眺めた。
そして、ふと思い出したように二人へ顔を向ける。
「フォールとマール。世界を見て回りたくなったら、いつでも言え。」
精霊王は優しく微笑んだ。
「旅に出たくなった時は、遠慮なくだ。」
フォールとマールは顔を見合わせた。
マールは穏やかな表情で首を横に振った。
「いえ、息子が罪を償うまで、待ちます」
そう言って、静かにタスワンズ湖を見つめる。
「今はこの湖を守る仕事があり、とても充実しています」
そして、少しだけ苦笑した。
「長い間、洞窟の前でフォールに頭を下げ続けていましたから……。」
マールは一度目を伏せた。
「王妃としての六百五十年の任期を、全うすることができませんでした。せめてその期間は最後まで務めたいのです」
その言葉を聞き、フォールも静かに頷いた。
「……我も同じだ」
フォールはタスワンズ湖を見渡した。
「国王として示しがつかぬと思い、我は王位を退き、息子のリアムに国を譲って眠りについた。長く寝ていただけだ。」
そして、隣にいるマールへ視線を向ける。
「タスワンズ湖を、ここに暮らす皆を、マールと共に守っていきたいと思っている」
そう言うと、フォールもマールと並ぶように、深く頭を下げたのだった。
精霊王様が優しく微笑み
「わかった。魔獣はギルドに売りなさい。
素材として世界も助かるだろう。
魔木を今の半分での管理を頼む。
工場の者が安全に帰る道を。ネネの負担が減る。
その隣の竜皇国の演習場と宿舎の拡大を。
よろしく頼む。
クロリナラド、ルノア。今日もありがとう。」
優しい薄緑の光に包まれながら大樹の中に、精霊王様の姿が見えなくなった。
全員が静かに頭を下げた。




