358 タスワンズ湖の癒しと浄化
アーシャ愛幸国が崩壊し、居場所を失った多くの妖精様や精霊様たちは、タスワンズ湖へと逃げ延びてきていた。
慣れない土地での暮らしと、故郷で受けた苦しい記憶。
怯えと寂しさから心を閉ざしてしまった者や、怒りが収まらず憤怒する者たちも多く、湖の周囲には重く淀んだ気配が広がっていた。
三国合同演習を観戦したあと、今日は、二度目となる浄化のため、クロリナラドとルノアは湖の中央にある小さな岩場へ移転した。
二人は静かに手を繋ぐ。
「ノア、サラたちと一緒に予習した浄化と癒しの魔法陣を使ってみようか」
「はい。」
ルノアは、これまでサラたちに教えてもらいながら、ヨーリアン王国の魔術学院で学ぶ魔法陣をすべて終えていた。短縮魔法陣を完璧にこなせるように練習を重ねている。
クロリナラドが魔法陣を展開すると、湖面に淡い光が広がった。
浄化と癒し。
それぞれの術式は驚くほど簡潔で、必要な場所へ必要なだけ魔力を流すように作られていた。
ルノアはじっと魔法陣を見つめる。
「……あれ?」
「どうした?」
「この流れ……私の魔力の……短縮魔法陣の流し方と似てる」
ルノアは魔法陣の一部を指差した。
「ここを少し変えたら、私の力をそのまま重ねられると思うのですが……」
クロリナラドはルノアの指先を見て、すぐに微笑んだ。
「……うん。やってみてごらん。」
ルノアは自分の記憶を頼りに、魔法陣へ少しずつ魔力を重ねていった。
すると、無駄なく整えられた術式にルノアの温かな魔力が馴染み、力が安定して湖へ流れ始めた。
「すごい……。こんなに少ない魔力でも、ちゃんと届く」
「ノア、よく気がついたね」
クロリナラドは嬉しそうに笑った。
「学院で学ぶ術式がしっかりと理解ができたからだね。ノアすごく優秀だよ。自分の今までのやり方からゆっくり、魔力の流れを考えながら、無理のない術式に切り替えていけるといいね。」
二人の魔力が重なる。
ルノアは目を閉じ、習った魔法陣には、祈りはない。でも愛し子として、竜神様の想いもこめて強く願った。
「どうか皆の心と身体が癒されますように……。
ここで安心して眠り、穏やかに暮らせますように……」
クロリナラドも静かに願う。
「この場所が、皆にとって安らげる場所になりますように」
二人の魔力が湖へ広がった。
淀んでいた湖水が、ゆっくりと光を帯びていく。
深緑と群青に濁っていた水は、薄緑と薄水色の澄んだ湖水へと変わっていった。
波紋が広がるたびに重苦しい空気が晴れ、爽やかな風が森を抜けていく。
周囲にいた妖精様や精霊様たちも、怯えていた表情を少しずつ和らげていった。
その様子を、岸から福ちゃんと精霊王様が静かに見守っていた。
竜皇国軍の皆と先王夫妻フォールとマールも見ていた。
その幻想的な強い光に皆が魅入られ、言葉を失い、暖かい空気に包まれて、懐かしい気持ちに目に涙がたまる。自然と頭を垂れていた。
精霊王様が二人の前に立った。
「クロリナラド、ルノア。ありがとう。体調は大丈夫かい?」
精霊王様の穏やかな声が湖畔に響く。
「皆は深い悲しみと恐怖を抱えて、この場所へ逃げてきた。けれど二人の力と願いが、その心を優しく包み込んでくれた」
精霊王様は澄み渡った湖を見つめる。
近くにいたネネへと視線を向けた。
「ネネ、いつも妖精たちの悪戯から領民を守ってくれて、すまないね」
「いいえ。私の役目ですから」
ネネは静かに頭を下げる。
精霊王は少し困ったように微笑んだ。
「妖精たちに悪気がなくても、領民が怪我をしてしまえば、この場所で交わした約束を果たせなくなってしまう。
これからも、お互いに誠実でありたいと思っている。時には厳しく、妖精たちを躾けてもらえるだろうか」
「もちろんです」ネネは頷いた。
「私も、ここに住まわせていただく以上、領民皆様とも、妖精様や精霊様とも、仲良く暮らしたいと思っています」
そう言ってから、少しだけ表情を引き締めた。
「ですが、私はラルフ様をお守りする警護でもあります。ラルフ様とその大事な領民の皆様を守ることを最優先にすることを、どうか許していただきたいのです」
ネネは深く頭を下げた。
精霊王は穏やかに頷いた。
「もちろんだ。それこそが、お前の誠実さなのだろう」
その様子を見ていたルノアとクロリナラドは、顔を見合わせた。
いつの間にか、ネネは精霊王様や先王夫妻とも和気藹々と話し、妖精様が頭の上にちょこんと座っている。まるで昔からここで暮らしていたかのように馴染んでいる。
「……よかった。ルルがいつも手紙で書いてくるから……。長く側にいてくれた、ネネがいないことが王妃様もルルも寂しいみたい……でもちゃんと伝えます。幸せそうだと」
ルノアが小さな声で話した。
「うん。これなら安心だね」クロリナラドも微笑んだ。




