342 竜皇宮 新春御前披露までの学びの日々
竜皇宮新春御前披露の日を迎えるまで、ルノアには正式に臨時の養育者、教育者、兼執務長の護衛隠密が付くことになった。
ナダルノ侯爵家から選ばれたのは、三男サバスチャンの次女エレナだった。
王族の礼儀作法、全五言語、歴史、政治、社交、そして隠密、護衛教育まで幅広くこなす女性だった。
ところが、初日の授業でエレナは早くも壁にぶつかった。
「では、まず基本的な礼の角度から……お見せいただけますか?」
綺麗な所作で物音ひとつ立てずに礼をしたルノアを見たエレナは、驚愕した。
「完璧です……」
「はい。ありがとうございます。良かったです。」
「……各国の王族への正式な挨拶は?」
「はい。全世界の挨拶、食事の所作、作法、特に難しかったのは食事の禁忌と話題でしたが……習い終えていますので、確認をしていただけないでしょうか?」
「…………。」
「舞踏会での歩き方、舞踏の種類は? 扇の使い方は?」
「はい。全て終わっています。エレナ様。
国によって違う舞踏は日々流行があるので更新が必要ですが……その国にとって必ず必要となる舞踏は大丈夫です。
あと、お茶会での会話や切り上げ方、嫌味への返答など、世界情勢は日々変化していますので……基本は誠実にですが、侮られた場合の切り返しは、ルノア様に敵う方は私たちの中にはいません。
茶会作法は全世界で終えています。お茶の種類や煮出し時間なども、マクアリール公爵家の試験とはなりますが……特級侍女の礼儀所作、作法講師資格まで合格しています」
「…………!?!」
最後は全五言語の確認を行った。しかし、結果は同じだった。ルノアは竜皇国の古語から周辺諸国の言語、共通語、発音も文法も完璧。それだけではなく、それぞれの国の文化や禁忌まで説明できた。
エレナは机に突っ伏した。
「……サライ様。ルノア様に何を教えたのですか?」
「必要だと思ったことを全部です」
いい笑顔で、自信満々に胸を張った。
エレナは天井を見上げた。
「私の教育者としての出番がありません……」
「私も、少し教えすぎたとは思っています」
「反省するところが違うと思います」
そんな二人のやり取りを聞きながら、ルノアは困ったように笑っていた。
しかし、護衛・隠密の教育だけは話が違った。
「ルノア様には、クロリナラド様の腕輪があります。それが最も強力な護衛であることは理解しています。
それでも、人質を取られた場合など、一時的に誘拐などで引き離された場合、自分で逃げる、隠れる、拘束を解く、助けを呼ぶ。そのための体力と筋力、防衛技術は必要です」
エレナの説明に、サライも渋々頷いた。
「怪我をするような武器も、できれば持たせたくありません」
サライが注文をつけた。
「もちろんです」
ところが、ルノアが「ヨーリアン帝国でも対戦授業があります」と口にした瞬間、エレナの目が輝いた。
元々、リオンブラン王国のルル王女と毎日行っていた柔軟や走り込みは続けていた。
そこからエレナの受け身、拘束からの脱出、背後からの攻撃への対処、足音を消す歩き方、気配を隠す方法と、魔術を多用した訓練が増えていった。
そしてルノアは、恐ろしいほど覚えが早かった。
一度見れば覚える。
二度やれば身につく。
三度目には自分で応用する。
「……素晴らしい」エレナの顔が輝く。
サライは、その顔を見て眉を寄せた。
「エレナ様……今の顔は危険です」
「はい? 何がでしょう?」
「また訓練を増やそうとしていますよね?」
「……そんなことは……」
「ありますね?」
「……少しだけ」
その日から、サライはエレナを厳しく監視するようになった。
ところが、エレナも負けなかった。
サライがいるときは基礎訓練だけ。
サライが席を外したときは応用訓練。
サライが別の仕事で少し長く離れた日には武術技術。
そしてサライが気づかない間に、隠密移動、気配遮断、複数人からの離脱、狭い場所での防衛、暗闇での行動まで教えてしまった。
「エレナ様?」ある日、サライが訓練場へ戻ってくると、そこには妙に静かな光景が広がっていた。
ルノアが柱の陰に立っている。
「ルノア様、そこにいたのですか?」
返事がない。サライが周囲を見回す。
「ルノア様?」次の瞬間。
「ここです」背後から声がした。
「………!?!」
サライが振り返ると、ルノアが立っていた。
「いつの間に……」
「エレナに教えてもらいました!」
元気よく、にこにこと笑ったルノアがいた。
「エレナ様。何を教えたのですか?」
「隠密の基礎です」サライが周囲を見る。
いつの間にか訓練場には複数の障害物が置かれ、木剣、縄、模擬拘束具まで揃っていた。
「実戦を想定した訓練です」
「……いつの間に?」
エレナは少しだけ目を逸らした。
「サライ様がお忙しいときに……」
「つまり、私がいない間に全部教えたのですね?」
「……はい」
サライは深いため息をついた。
しかし、ルノアはさらに言った。
「それだけではありません。武術も、防衛体術も、隠密警護も教えてもらいました。木剣の扱いもできます。複数人に囲まれた場合も逃げられます。暗闇でも動けます!」
サライはエレナを見た。
エレナは、そっと笑った。
「……完成しました。隠密としてです」
「完成させたのですか?」
「はい」
「十一歳のルノア様を? 私が中止と言ったのに?」
「……はい」
しばしの沈黙。
「エレナ様」
「はい」
「後でサバス様に報告します」
その瞬間、エレナの顔から笑顔が消えた。
「……サライ様、それだけは……」
涙目のエレナだった。
「知りません」
そして、その日の夕方。ナダルノ侯爵家では、父親であるサバスが報告書を片手に、無言でエレナを見つめていた。
「……つまり、お前は、サライが止めていた訓練を、サライがいない間に全部教えた、と?」
「……はい」
「そして十一歳の王族の婚約者を、隠密として完成させた、と?」
「……はい」
サバスは額を押さえた。
「エレナ。お前は教育者だろう」
「はい」
「なぜ王族の婚約者を隠密として完成させている」
「才能が……」
「言い訳するな!」
侯爵家にサバスの怒声が響き渡った。
「才能があったから育てました、で済む話ではない! サライから中止と言われたら、普通は止めるものだ! なぜお前は、いない間に全部教えた!」
エレナは小さく俯いた。
「才能が素晴らしく、生き生きとこなされて。
ルノア様からも『たくさん教えてほしい』と望まれてしまい……教えたくなってしまって……申し訳ありません。」
「それを世間では暴走と言うんだ!」
こうして、ルノアの護衛隠密教育は見事に完成した。
そして同時に、エレナの父、サバスによる
「教育者が教育熱心すぎる場合の再教育」も、静かに始まったのである。




