334 竜環の繋ぎ手
竜たちと昼食を楽しんだあと、クロリナラドとルノアは、竜舎へと戻ることになった。
森を抜け、王城へ向かってゆっくりと高度を上げていく。
眼下に広がる竜の森を眺めながら、ルノアは小さく息を吐いた。
「……楽しかったですね」
「ああ」
「桃を取りに行くだけで、あんなに大騒ぎになるとは思いませんでした」
「竜たちは案外、食べ物に関しては貪欲だからね」
「ふふっ」
ルノアが笑う。
その声を聞いたエルナが、嬉しそうに翼を大きく羽ばたかせた。
竜舎で働く者たちは、入り口へと視線を向けていた。
クロリナラド様と婚約者のルノア様が空中遊泳を終えたら竜舎へ向かわれると聞いていたからだ。
皆、竜舎へ集まるように言われていた。
やがて、入り口から見慣れた姿が現れる。
「殿下、お待ちしておりました」職員の一人が頭を下げる。
クロリナラド様はいつものように穏やかな笑みを浮かべ、軽く頷いた。
「皆、待たせたね」
「いえ、とんでもございません」
そう答えた職員たちだったが、その瞬間だった。
竜舎の奥から、低く重々しい気配が伝わってきた。
「……?」誰かが息を呑む。
竜たちの声が、いつの間にか途絶えていた。そして。竜舎の奥にいた四頭の白竜が、ゆっくりと顔を上げた。純白の鱗。四頭すべてが持つ美しい紫色の瞳。
竜皇国王家に仕える、特別な白竜たちだった。
四頭はクロリナラド様の姿を確認すると、同時に立ち上がった。
そして……。深く頭を垂れた。
「……っ」
竜舎にいた者たちは、思わず息を止めた。
四頭すべてが、クロリナラド様へ頭を下げている。
もちろん、クロリナラド様が王族である以上、敬意を示すこと自体は不思議ではない。けれど……。その頭の下げ方が、あまりにも深かった。王族への礼としても、異様なほどに。
「……まさか……」
誰かが小さく呟きかけたが、けれど、すぐに口を閉ざす。だからこそ、誰も何も言わなかった。
ただ、白竜たちが頭を下げている姿を見つめていた。
「ノア」
クロリナラドが、入り口の方へ声をかけた。
「はい」
返事とともに、ルノアが竜舎へ足を踏み入れる。その瞬間。
「……あれ?」
聞こえてくる竜たちの声が、妙に少ない。
不思議に思って顔を上げたルノアは、竜舎の奥に並んでいる四頭の白竜を見つけた。
ただそこにいるだけで、周囲の竜たちが自然と道を開けるほどの威厳があった。
「あっ……白竜?」ルノアが小さく呟く。
その声を聞いた瞬間。四頭の白竜が、一斉にルノアへ向き直った。そして……。深く頭を下げた。
「……え?」
ルノアが驚いて目を見開く。四頭とも。一頭も例外なく。ルノアへ向かって、深々と頭を垂れている。
その光景を見ていた竜舎の者たちは、誰一人として声を出せなかった。
先ほど。クロリナラド様が竜舎へ入った時にも、四頭は同じように頭を下げた。
その時、彼らは思った。
もしかしたら……。けれど、確信はできなかった。
王族であるクロリナラド様に対する敬意なのだと、そう考えることもできた。
しかし……今。ルノア様が姿を見せた瞬間、四頭は再び頭を下げた。
しかも、その視線は明らかにルノア様へ向けられている。
「………」誰も何も言わない。
けれど、全員が同じことに気づいていた。
……違う。これは、ただの挨拶ではない。
王家に仕える白竜たちが、これほど深く頭を垂れる。
それは、竜皇国の者なら誰もが知っている意味を持っていた。
白竜が頭を下げる相手。
王族よりも上位の存在に対して示す、最大級の敬意。
幼い頃から教えられてきた、古い伝承。
その意味を理解した瞬間。誰かが、息を呑んだ。
けれど、誰も口にはしなかった。
なぜなら、その隣にいるクロリナラド様のことを、彼らはよく知っていたからだ。
竜皇国王族の一員。王太子の弟。
そして、誰よりも王太子である兄を立ててきた人物。
自分が目立つことを好まず、常に兄を支え、竜皇国の平和と安定を第一に考えている。
身分を振りかざすこともない。
竜舎へ来れば、身分の低い者にも気さくに声をかける。
竜の世話をする者たちの話にも耳を傾ける。
失敗した者を責めるより、どうすれば次はうまくいくのかを一緒に考えてくれる。
だからこそ、竜舎の者たちは皆、クロリナラド様を心から尊敬していた。
そんな彼らだからこそ、気づいてしまった。
白竜がルノア様へ頭を下げたこと。
そして、そのすぐ隣にいるクロリナラド様が、それを当然のこととして受け止めていることに。
クロリナラド様もまた……竜神様の愛し子。
ルノア様も同じ。
それは、王族であることよりも、さらに上位の存在。
竜神に選ばれた者。
竜神の御意思を受ける者。
そして、その二人が、あと何年か先には夫婦になる。
もし、それが公になれば。竜皇国そのものが、大きく揺れるだろう。
王族よりも上位の存在が、二人もいる。
それを知れば、政治的な思惑を持つ者が現れるかもしれない。
権力を求める者が近づくかもしれない。
竜神様の愛し子という存在を、利用しようとする者さえ現れるかもしれない。
だから……秘密なのだ。
そして、ここにいる者たちもまた、分かっていた。
ただ一つ。
『静かな生活』
竜神様の愛し子が見つかった時の、国王陛下のお言葉。
それが、すべてだった。
大きな権力に巻き込まれることなく、静かに暮らしたい。
その願いを守るために。
『このことは、決して外へ漏らさない』
その場にいた全員が、そう理解し、約束した。
それが、クロリナラド様への恩に報いることなのだと。
クロリナラドは、そんな竜舎の者たちを一人ずつ見つめた。
そして……静かに微笑んだ。
何も言わなかった。けれど、その瞳には、ほんの少しだけ安堵の色が浮かんでいた。
「……こちらは、国王陛下の契約竜のヴァル。」
クロリナラドが改めて紹介する。大きな身体を持つ白竜。紫色の瞳が、静かにルノアを見つめている。
ヴァルは、再び深く頭を下げた。
「王妃陛下の契約竜、セリナ」
優雅な姿の白竜が、ルノアへ頭を下げる。
「王太子殿下の契約竜、ゼルド」
力強い翼を持つ白竜も、深く頭を垂れた。
「そして、王太子妃殿下の契約竜、リイナ」
最後の白竜もまた、静かに頭を下げる。
四頭の白竜。全員が、ルノアへ敬意を示している。
その時だった。
ヴァルが、一歩前へ出た。
すると、竜舎にいた竜たちが一斉に静まり返った。
ーー聞け。
ルノアは竜の言葉を理解する。
我らの声を聞き、心を理解する者。
長き時を経て、再び現れた『竜環の繋ぎ手』である。
その声が、竜舎にいた全員の頭の中へ直接響いた。
「……っ」
その場にいた者たちが息を呑む。
ルノアは驚いたようにヴァルを見つめた。
ーー『竜環の繋ぎ手』が久しき時を経て、再び生まれた。
我らは、この時を待っていた。これからも、より良い関係となることを望む。
「私が『竜環の繋ぎ手』?」ルノアが呟く。
「やはりか……」
隣に立つクロリナラドが、静かに答えた。
ルノアはしばらくヴァルを見つめていた。
やがて、小さく頷く。
その姿を見つめながら、竜舎の者たちは誰一人として言葉を発しなかった。




