332 竜の好物の桃
竜の森の奥へ進むにつれ、木々の間から柔らかな木漏れ日が差し込んできた。
エルナとラグナがゆっくりと地上へ降りると、周囲にいた竜たちが興味深そうにこちらを見つめる。
「ここで少し休もうか」
クロリナラドがそう言うと、ルノアは嬉しそうに頷いた。
「はい」
地面に降りたルノアは、ふわりと風に揺れる草原を見渡した。王城から遠く離れた森の中は静かだった。
聞こえるのは木々の葉が擦れる音と、遠くで鳴く鳥の声。そして時折、竜たちが喉を鳴らす低い音。
「……落ち着きますね」
「だろう?」
クロリナラドが魔空間から荷物を出した。
「ここは竜たちが自由に過ごす場所だからね。天空都市の安全のための結界防壁はぐるりと囲んであって、施設も見えないけどあるんだ。今日は昼食を準備してきたよ。」
「食事……」
ルノアが目を輝かせる。
「ああ……朝から料理長と相談しながら作ったんだ。」
クロリナラドが取り出した籠を開く。中にはパンやチーズ、燻製肉、野菜、それから色鮮やかな果物が詰められていた。
「わあ……果物もあります」
「ノアが好きそうだと思って……」
「ありがとうございます」
ルノアは嬉しそうに笑った。
ーー桃がある。
ーー桃だ。
ーー桃があるぞ!
周囲の竜たちが一斉に反応した。
「……」
ルノアが固まる。
「……ラド様」
「うん?」
「桃、人気なんですね」
「……ああ」
クロリナラドが苦笑する。次の瞬間には、森の奥から竜たちがぞろぞろと集まってきた。
ーーひとつくれ。
ーー我にも。
ーー我も食べたい。
ーーもっとないのか?
「ちょ、ちょっと待ってください」
ルノアが笑いながら桃を抱える。
「皆さんの分もあるんですか?」
「竜用に持ってきたものもあるよ」
クロリナラドが別の籠を魔空間から出す。
そこには人間用よりはるかに大量の果物が入っていた。
ーー少ない。
ーー全然少ないぞ。
ーーもっと欲しい。
「……」
ルノアが竜たちを見つめる。
「皆さん、さっきから桃が少ないって言っていたのは……」
ーーこれだ。
ーー我らはもっと食べたい。
ーー自分で採りに行きたい。
「なるほど……」
ルノアは桃を一つ手に取る。そしてクロリナラドを見る。
「竜の森には桃の木はないんですか?」
「あるよ。少し離れたところに」
「でしたら、皆さんで採りに行けばいいのでは?」
竜たちがざわめいた。
ーー採っていいのか?
ーー我らが?
ーー好きなだけ?
「……まあ、食べ過ぎない程度なら」
クロリナラドが答えるより早く、竜たちが一斉に翼を広げた。ばさり、と大きな風が巻き起こる。
「わっ!」
ルノアの髪が風に舞う。
ーー行くぞ!
ーー桃を採りに行く!
ーー競争だ!
何頭もの竜が森の奥へ飛び去っていく。あっという間の出来事だった。ルノアは呆然とその姿を見送った。
「……元気ですね。かなり足りなかったのですね。」
「あぁ……元気すぎるくらいだけどね。桃……改善しないといけない」
クロリナラドが空を見つめた。やがて遠くから、竜たちの嬉しそうな声が響いてきた。
ーー見つけた!
ーーこっちだ!
ーー大きいぞ!
ーーこれは我のだ!
ーー独り占めするな!
ルノアは思わず吹き出した。
「ふふっ」
「……楽しそうだね」
「はい」
ルノアは胸元に手を当てた。
「さっきまで、竜たちの不満を聞いていて……少し心配だったんです」
「心配?」
「皆さん、我慢していることが多いから」
ルノアは森の奥を見る。
「でも、こうやって自分で好きなものを採って、好きなように飛んで……。少しでも自由にできることが増えたら、きっと嬉しいですよね」
「そうだね」
クロリナラドは静かに頷いた。
「ノアが来てから、竜たちがずいぶん楽しそうだ」
「私が?」
「ああ」
ルノアが不思議そうに首を傾げる。
「私は何もしていませんよ?」
「それでもだよ」
クロリナラドは微笑んだ。
「話を聞いてくれる人がいる。それだけでも、竜たちにとっては大きいんじゃないかな」
「……」
ルノアは少し照れたように笑った。
「それなら、よかったです」
その時、森の奥から一頭の幼竜が戻ってきた。口には、少し傷のついた桃をくわえている。ルノアの前にぽとりと落とす。
ーーこれ、あげる。
「私に?」
幼竜がこくんと頷く。
ーーさっき話を聞いてくれたから。
ルノアは桃を両手で拾い上げた。
「……ありがとう」
胸の奥が、じんと温かくなる。
その様子を見ていたクロリナラドが、ふっと笑った。
「それは食べたほうがいいよ」
「はい。でも……」
ルノアは桃を見つめる。
「一緒に食べたいです」
「え?」
「せっかくもらったものですから」
ルノアが桃を切る。
「ラド様も、エルナも、どうぞ」
ーーよいのか?
「はい」
エルナが嬉しそうに桃を口にする。しゃくり、と瑞々しい音が森に響いた。
それを見ていたクロリナラドが笑い、ルノアもつられて笑った。しばらくして、桃を抱えた竜たちが次々と戻ってくる。
ーーエルナ!たくさん採れたぞ!ほら食べろ!
ーー我の桃が一番大きい!
ーー見ろ!
ーー我のほうが大きい!
竜たちの騒がしい声が森いっぱいに響き渡る。静かだった竜の森は、いつの間にか笑い声と竜たちの鳴き声で満たされていた。
ルノアはそんな光景を眺めながら、ふと思った。
……竜皇国に来ることができたら。毎日、こんな景色を見ることができるのだろうか。
そんな未来を想像すると、不思議と胸が高鳴った。




