316 ルノアの卒業論文
クロリナラドが直ぐにヴァリアードにイヤーカフで話しかけた。
『ヴァリアード。急なことですまないがルノアの部屋まで来てもらうことは可能か?』
『あぁ……大丈夫だ……なにかあったのか?ルノアの部屋だな。今行く。』
ルノアの部屋にノックが響く。すぐにヴァリアードが入ってきた。
「どうした?」
「すまないな。まず座ってこれを読んでくれ。ルノアのヨーリアンの卒論だ。」
ルノアが仕上げた卒業論文を、ルノアとクロリナラドの前で読み進めるヴァリアード。その表情は次第に険しくなり、読み終える頃には、何かを考え込むように黙り込んでいた。
論文に記されている内容は、単なる魔力の新しい運用方法だけではない。
魔力切れを起こした際、自らの魔空間から流体状の魔力を直接引き出す。
それだけでも、現在の魔術理論を大きく変える可能性がある。しかし……。
ヴァリアードが最も危険だと感じたのは、そこではなかった。論文には、魔空間を開くまでの方法が記されている。
魔空間を開くために必要な魔力の動かし方。
意識の向け方。
魔力の流れ。
そして、これまで感覚的にしか説明されてこなかった「魔空間へ至る扉」を、誰でも再現できるように体系化している。
ヴァリアードは長く魔塔の長を務めてきた。だからこそ、その価値が分かる。魔力を多く持つ者は、決して珍しくない。
カーナリアン王国にも、ヨーリアン帝国にも、竜皇国の竜人ともなれば、人族を遥かに上回る魔力を持つ者も少なくない。だが……魔力が多くても魔空間を開けることは苦手な者も多かった。特に竜人は強大な魔力を持つ反面、その膨大な魔力をどのように魔空間へ繋げればいいのか分からない者が多い。
竜皇国では、それが長年の研究課題となっていた。
「……これを公表すれば、竜皇国は欲しがるだろうな……」
ヴァリアードは小さく呟いた。当然だ。魔空間を開くことのできる竜人が増えれば、国の魔術体系そのものが変わる。魔力を蓄えられる者が増えれば、魔力供給の仕組みも変わる。
魔力タンクに頼っていた今、大きな変化が起こる。そして何より……。
戦闘においても、これまでとは比較にならないほど長時間、魔術を使える者が現れる可能性がある。
世界中にいる魔術師も然りだ。魔空間に蓄えることを知ったとしても、その魔力を魔空間へ蓄える術を使えないだろう。
つまり、この論文は三国すべてにとって価値がある。
いや。世界中の魔術師が欲しがる。
「これは……私一人で判断してはいけないな。正確にいえばできない。」
ヴァリアードは論文を閉じた。
クロリナラドが言った。
「とにかく判断を任せたい。ノアと私では判断はできないと答えはでている。」
ルノアとクロリナラドは、はじめから決めていた。
「すまないが……カーナリアン王国魔術学園長シェットに相談してもよいか?」
「ああ……シェット様……賢者様か……。安全だな。ルノアも大丈夫かい?」
「はい。お願いします」
そして、ヴァリアードは白ちゃんを呼び出した。
白ちゃんは久しぶりのルノアに大喜びで、たくさん撫でてもらいシェットへと魔鳥便の役目を果たしにいった。すぐにシェットから返信の魔鳥便がきた。
ヴァリアードが一人向かった先はカーナリアン王国魔術学園長室だった。扉を二度叩く。
「どうぞ」
中から落ち着いた声が返ってきた。
「失礼する」
扉を開けると、机の前で書類に目を通していた男が顔を上げた。
カーナリアン王国魔術学園の現学園長シェット。
白梟の獣人と古竜種の竜、その二つの祖を持つ一族の血を引く彼は、魔術に関する知識だけでなく、古代史、種族史、魔法陣学、薬学、現在の魔導の幅広い知識を持っている。
『博覧強記。』
その言葉が、これほど似合う人物も少ない。ヴァリアードが魔力が多かったためシェットから譲られた魔塔の長の立場だった。
「珍しいな」
シェットは眼鏡を外しながら言った。
「前魔塔主殿が、わざわざ私のところへ来るとは……」
「私一人では判断できないものを持ってきた」
「ほう」
シェットの表情が変わった。
「それは珍しい。君がそう言うということは、相当に厄介なものだな」
シェットは、しばし黙ってこちらを見つめた。
さっきまで浮かべていた余裕のある笑みが、ほんのわずかに消える。代わりに、相手の言葉の裏側まで探るような鋭い眼差しが宿った。
「……相当に、か」
低く呟きながら、シェットは椅子の背にもたれていた身体をゆっくりと起こした。指先を組み、視線を逸らさない。
「なら、まず聞こう。ヴァリアードが判断できないと思った理由を」
その声には、先ほどまでの軽さがなかった。
興味を引かれたというより、警戒している。けれど同時に、滅多に見られないものを前にした好奇心も隠しきれていない瞳だった。




