307 ルノアのギルド登録
空間が歪み、マクアリール公爵家の執務室にクロリナラドが突如として姿を現した。
机で書類にペンを走らせていたラルフは、ぴくりと眉を動かしただけで、深い溜息と共にお決まりの呆れ顔を向けた。
「……クロー、何度言えばわかる。私の執務室に直接転移してくるのはやめなさい」
「申し訳ありません、お義父上。ですが、どうしても今すぐ許可をいただきたいことがありまして……」
急いた様子のクロリナラドを見つめ、ラルフはふっと表情を緩めた。
本当はルノアとの婚約をすぐにでも世界中に発表したかったはずだ。
しかし、状況を鑑みて、クロリナラドがどれほどその気持ちを我慢してきたか……。ラルフには、痛いほどの切実な想いが手に取るように分かっていた。
「ルノアと共に街を歩き、ギルドの登録を済ませたい、という話かな?」
「っ、なぜそれを……」
「お前の顔を見ればわかる。今まで外出を制限していたのは、ルノアとの噂にならない配慮の結果だ。……今週末のタスワンズ湖の「新年の祝い」のお祭りで領民へ挨拶を済ませた後であれば、もう良いだろう。挨拶前にギルドは行ってきなさい」
ラルフの温かい言葉にクロリナラドの目が輝く。
しかし、ラルフは人差し指を立てて条件を付け足した。
「ただし、クローとルノアの規格外の魔力をしっかり抑えて向かうこと。
領民に気を使わせないように平民と同じ身なりでな」
「はい! ありがとうございます!」
クロリナラドは満面の笑みを浮かべて頷いた。
週末になり、今日は歩きやすい質素な格好にクロリナラドとルノアは着替えていた。どこにでもいる仲睦まじい若い旅人のような姿で、ふたりはタスワンズ湖から少し離れた街の入口まで移転で移動した。
ふと、並んで歩くルノアを見たクロリナラドが、目を見張って立ち止まった。
「……あれ、ノア? 背が伸びたかい?」
少し前までクローのお腹あたりだったルノアの頭頂部は、いまや彼の胸のあたりまでしっかりと届いている。
「少し、意識して背筋を伸ばしていますから……。ラド様……いつも私を子供扱いなさいます」
不服そうにふっと頬を膨らませ、ルノアは少しだけすねてみせる。その仕草があまりにも愛らしくて、クローは嬉しさが隠しきれずに破顔した。
「いやぁ、だって可愛いだろう? こうして背も伸びて……あぁ、本当に大きくなったねぇ」
「もう……からかわないでください。」そう呟きながらも、ルノアの口元には隠しきれない笑みがこぼれている。
クローは自然と彼女の手を取り、歩幅を合わせてやりながら、タスワンズ湖の冒険者ギルドと商業ギルドの建物へと足を進めた。
ギルドの扉をくぐると、ふたりは物腰柔らかな一組の旅人として受付の前に立った。
「冒険者と商業の、新規の登録をお願いします」
「かしこまりました。ここは小さいギルドですので、必要な証欄に印を記入して下さい。冒険者と商業でまとめて出来ます。
ご職業と……念のため、簡易的な魔力適性をお測りしますので、こちらの水晶に手を……」
受付の職員が差し出した測定器に、ルノアは言いつけ通り魔力を極限までおさえて指先を触れさせた。
だが、どれほど抑えても、高すぎる魔力は水晶の内部に淡い濃紫色の光をふわりと宿してしまう。
「っと……!? 規格外の……ご職業は?」
「はい、平民で、錬金魔道士でお願いします。」ルノアが答えた。
「この場で階級の登録も可能ですが、よろしければ何かご自身が作ったものを、判定させていただけませんか?」
受付の登録担当者からそう提案され、手元で静かに魔力を練り上げた。
流動する魔力が一瞬で結晶化し、教本通りの質量と硬度、そして美しい濃紫色のクロリナラドの文字を刻んだ白銀の小さな魔力刀が、彼女の手の中にすっと実体化する。
「な……、なん……この純度と構造の安定性は!?」
鑑定の魔導具を覗き込んだ担当者は『SSS級』の判定に声を出さず、すぐにギルド長を呼んだ。
「国の要請は応じることはできません。登録は『A級止まり』で、備考欄に書き添えていただけますか?」
「は、はい……! 承知いたしました!その刀は……」
「はい。こちらは婚約者への贈り物とします。売ることは考えておりません」
ルノアの柔らかな要望に、担当者は震える手で備考欄に特記事項を書き込んでいった。
その直後、緊急連絡を受けたギルド長が、慌てた様子で奥から姿を現した。
周囲に余計な騒ぎを起こさぬよう、彼はクローとルノアの姿を確認すると、まずは静かに目礼だけを交わした。
そして周囲に声が漏れないよう、極めて小さな、しかし震える声で語りかけてきた。
「……ルノア様ですね。この度はおめでとうございます。すべて承知いたしました。そして……本当に、ありがとうございます。ご友人のルル様が今窓口となり、私の番も皆、健康を取り戻し健やかに過ごしています。ルノア様が色々と間に入っていただき、感謝しております」
ギルド長の目は、みるみるうちに熱い涙で潤んでいった。
思えば、日頃からルルからの手紙を通じて様々な細かい質問を受け、それに丁寧に応えてきたのがルノアだ。ラルフが公務で忙しい時には彼女が自ら調整役を買って出た。
サラたちと共に取り組んだ日々は、ルノアにとって実践的な領地経営と商会運営を学ぶ貴重な学びの場ともなっていたのである。
その細やかな気配りと彼女の実績があったからこそ、人知れず多くの者が救われていた。
「ラルフ様の柔軟なお考えで、平民である私が『王妃様と面談して陳情する』という無謀な要望も、すべて叶いました。この御恩は、生涯忘れません」
涙目で深く深く頭を下げるギルド長の姿を、ルノアはそっと微笑みながら見つめ、その隣でクローも誇らしげにうなずいていた。




