298 竜皇国からカーナリアン王国への親書2
全員が恐怖で顔色を悪くする中、円卓で唯一、冷徹な鋭い光を瞳に宿す男がいた。三男であり、外相を務めるナイドである。彼は若くしてその明晰な頭脳と判断力により、外交の頂点に就いていた。
「そこまで怯えていては、来月の『年始の祝賀』の夜会を持ちこたえられませんよ」
ナイドは淡々と現実を突きつけるように手元の書類をめくった。外交の最前線に立つ彼だけは、生き残るための道筋を必死に模索していた。
「外相としての報告です。我が国の貴族たちの魔力衰退は紛れもない事実。その脆弱な国へ、来月、竜皇国の第二王子クロリナラド殿下が『国王代行』として乗り込んでこられます。
目的は、マクアリール公爵家のルノア様が彼の『運命の番』であることを全貴族の前で公表するため。ここまでは筋書き通りです」
ナイドは言葉を区切り、居並ぶ重鎮たちを真っ直ぐに見据えた。
「問題は、殿下の放つ圧倒的な魔力です。魔力が衰退した我が国の貴族が、竜皇国の直系たる御方の魔力に耐えられるはずがありません。挨拶を交わす前に恐怖と実力差で倒れ伏す者が続出するでしょう。最悪の場合、夜会の会場そのものが、我が国の貴族の墓場になりかねない」
ナイドの冷徹な指摘に、誰もが身を縮こまらせるのだった。
「……ナイド、お前はなぜそこまで冷静でいられるのだ」
国王が掠れた声で問いかけると、ナイドは静かに首を振った。
「冷静でなければ、この国が消滅するからです。皆様、しっかりなさい。体調管理も重要な仕事です」
ナイドの冷徹な声が、静まり返った会議室に容赦なく響き渡る。彼は手元の書類から視線を上げると、青ざめる兄たちを真っ直ぐに見据えた。
「兄上方は、いっそ職務を退かれますか? それならば、私が代わりにすべてを引き受けます。己の体調すら管理できぬ弱い者たちに、この国の未来を任せることなどできません。
呆れて物も言えませんよ。あなた方は、国を代表する『顔』なのです。痩せ細り、弱々しく怯える王太子など、他国への恥さらしでしかありません。
最後に鍛錬をしたのはいつですか? 隠密に頼りきりで、本当に大丈夫だと思っているのですか?」
次々と突きつけられる峻烈な言葉に、ハルドとマラドは反論の言葉を失い、ただ息を呑むことしかできない。
「今回の条約は、衰退しつつある我が国の貴族たちに、魔力を増幅させる貴重な機会をいただけたのだと捉えるべきです。
王家がその先頭に立ち、皆を奮起させなければならないのですよ。
私は、マクアリール公爵家の訓練に、短期ではありますがいつも自ら参加しています。
己の義務と責任を、もう一度よく考え直してください」 ナイドは椅子から静かに立ち上がり、王太子であるハルドを見た。
その瞳には、侮蔑ではなく、国を憂う純粋な怒りが宿っている。
「王太子の地位に就いたからといって、あぐらをかいて安心していては駄目なのです。日々学び、鍛錬を重ね、新しい魔術も貪欲に取り入れ、市井の隅々にまで細やかに目を配らなければ……民を守ることなど到底できません。
たとえ相手が世界の支配者たる竜皇国であろうとも、いざとなれば民の盾にならなければならない。
それこそが、貴方の仕事です。そして、それが全くできていないのが現状だ」
一呼吸おき、ナイドは絶対の覚悟を込めて言い放った。
「いつでも私が、王太子の座を引き受けますよ」
部屋の空気が、一瞬で完全に凍りついた。
弟の峻烈な言葉に、ハルドはしばらくの間、拳を握りしめて床を見つめていた。やがて、深く息を吐き出すと、ゆっくりと顔を上げた。その瞳からは、先ほどまでの怯えが消え、王位を継ぐ者としての確かな光が宿っていた。
「……すまなかった、ナイド。お前にそこまで言わせてしまうほど、情けない姿を見せた。
たしかにその通りだ。私は一体、何をやっていたのだろうな。残された時間は少ないというのに。……父上、マラド、そして重鎮の皆も、ここから気持ちを切り替えよう。今の我々にできる最善を尽くすしかない」
ハルドは一度言葉を区切り、真っ直ぐに三男を見据えた。
「ナイド、目を覚まさせてくれてありがとう。だが、職務を退くつもりはない。私がこの国の王太子だ。その義務と責任を、必ずや果たしてみせる。これからの私の行動を見て判断してくれ。万が一、それでも私が役目を果たせなかった時には、いつでもお前にその座を譲ろう」
その言葉を聞いた瞬間、ナイドの冷徹だった表情が、ふっと温かみのある見事な笑顔へと変わった。
「当たり前です。初めからそのお覚悟を期待しておりましたよ、ハルド兄上。皆で協力しながら、じっくりと国を立て直していきましょう。あなたが、この国の王太子なのですから」
ナイドはそう言って、再び手元の書類へと視線を落とした。
「あと、絶望するばかりではありません。幸いにもルノア様より、『微力ながら、あちらの貴族たちが圧倒されて倒れぬよう、威圧の度合いを極限の均衡で維持させます』と、親書にて温かいお言葉をいただいております。私たちがすべきは、夜会の当日までに、国内の傲慢な貴族どもへ
『絶対に竜皇国に無礼を働くな。大人しく平伏して話を聞け』
と、徹底的に叩き込むことです」
ナイドの瞳に、外相としての冷徹な策士の光が戻る。
「そのためにも、夜会に出席する予定の全貴族と、事前に私たちが直接面会する日程を組むのが最善かと存じます。
実際に顔を合わせれば、奴らの態度で、誰が不穏な思想を持っているかは即座に見抜けますから。……マラド宰相。これは貴方の仕事です。超短期かつ速やかに、面会の日程を調整してください。
当日の場に、無理にでも潜り込もうとする不届き者は、毎年必ず現れます。私たち王家もまた、彼らに侮られてはならないのですよ」
さらに、ナイドは言葉を緩めることなく、部屋に控える重臣たちへと向き直った。
「近衛騎士団、魔術騎士団の内部も徹底的な統制を。彼らは長らく実家へ帰っておらず、世間の情勢に疎い者ばかりです。
私たちの最も身近な護衛の中に、時勢の読めぬ戯け者が紛れ込んでいては、それこそ一大事です。
全員の身元と動向を徹底して確認してください。
他国を測る竜皇国は、我々王族の行動をも見据えて判断しているのです。
いま一度、全員が身を引き締め、自らの行動を見直すべきです」
ナイドの言葉に、宰相マラドが深く頷いた。
「すまなかった。ナイドの言う通りだ。未だに竜皇国の恐ろしさを理解せず、マクアリール公爵家を侮っている愚か者が多すぎる。彼らが夜会で一言でも失言すれば、今度こそ我が国は終わる」
ロバート国王は、机の上に手を置き、一同を見回して告げた。
「ハルド、マラド、ナイド、そして重鎮たちよ。体調管理も国を支える仕事だ。しっかりしよう。来月の『年始の祝賀』は、単なる新年の始まりではない。己の無力さを思い知らされる『審判の夜』だ。生き残るために、準備を進めよ」
国王の厳命が会議室に響く。
迫り来る審判の夜に向け、カーナリアン王国の眠れぬ夜は続くのだった。




