297 竜皇国からカーナリアン王国への親書1
竜皇国より正式にもたらされた条約の書状を前に、カーナリアン王国の秘密会議室には、これまでとは異なる、刃のような緊迫感が満ちていた。
卓上に広げられたのは、一方的な属国化を突きつける最後通牒ではなく、
『相互不可侵および防衛協力に関する条約』と題された、友好国としての体裁を保った盟約である。
「……なるほど。表向きは、我が国からの要請に基づき、両国が共同でマクアリール公爵領を『不可侵地域』として指定する、という形か」
外相である三男のナイドが、整えられた条文を淡々と読み上げ、顔色の悪い兄たちへ冷徹な視線を向けた。
「これならば、他国に対して『我が国は竜皇国に主権を奪われたわけではない』といえます。
マクアリール公爵領に駐留する竜皇国の軍勢も、我が国の主権を侵すものではなく、第三国の脅威から聖域を守る『共同の盾』という大義名分が立ちます。
あまりに不平等な内容とならぬよう、あちらの国王陛下が配慮してくださったのでしょう。
もっとも、こちらに拒絶の選択肢など最初からない、実質的な服従であることに変わりはありませんがね」
ナイドの明晰かつ冷酷な解説を聞き、王太子であり長男のハルドは、胸の支えが少しだけ取れたものの、未だ抜けない怯えを含んだ息を深く吐き出した。
円卓を囲むのは、国王ロバート、そして彼の三人の息子たち。さらに、辛うじて国の政を支えている重鎮たちである。
部屋を支配しているのは、重苦しい沈黙と、時折聞こえる小さいため息、そして誰かの衣服が擦れる微かな音だけだった。
「……ハルド、マラド。お前たちのその顔色は、一体どうにかならんのか」
国王ロバートが、机の向かいに座る二人の息子へ弱々しく視線を向けた。
王太子であり長男のハルド、そして、若くして宰相の重責を担う次男のマラド。二人の顔色は悪かった。
特にハルドの目の下には、何日もまともに眠っていないことを示す濃い隈が深く刻まれている。
「父上、そうおっしゃいましても……。竜皇国からのあの『親書』を読んで以来、水すらまともに喉を通りませぬ。私たちがどれほど胃を痛めようとも、あの国の絶対的な威圧は頭から消えてくれないのです」
ハルドはそう言って、卓上に置かれた薬湯の杯を震える手で持とうとしたが、結局は諦めて机へと戻した。彼の胃は、すでに限界を迎えている。
その隣で、宰相たるマラドも深く椅子にもたれかかり、青い顔のまま力なく言葉を絞り出した。
「王太子の言う通りです。マクアリール公爵領のタスワンズ湖へ侵入を手引きした我が国の闇ギルド、そして他国の冒険者どもの失態……。
他国の間者すら把握できておらず、国内をまったく管理できていなかった我が国の現状は、とにかく弁明の余地がありません。
その不始末の責めがすべて、我々の肩にのしかかっているのです。
今朝も、竜皇国軍がすでにマクアリール公爵領内への常駐を完了したという報を受け、私はあまりの恐怖に気絶しかけました」
実質的な軍事占領とも言える『不可侵地域』の条約。
拒めば即座に国の滅亡を意味するその絶対的な通牒に、王子たちは文字通り心身を削られていた。
そして、その様子をさらに青ざめた顔で見つめているのが、国の重鎮たちだった。
普段なら理然とまとめられているはずの報告書は、彼らの指の震えによって不自然に波打っている。
「痛いほど分かります。我が国と、精霊協会と、魔術協会が、あれほど『立入禁止』の布告を出していたというのに、一攫千金を狙う愚か者どものせいで、国ごと竜の逆鱗に触れることになるとは……。
国内外の貴族たちへの釈明、そして竜皇国への平伏の準備……。考えるだけで、私の胃も消えてなくなりそうです」 重鎮たちの言葉だった。




