270 サンセールの記憶2
訓練を終えたサンセールは、急いで身支度を整え、礼儀作法を確かめるための夕食の席へと向かった。
その日の献立は、東大陸のリオンブラン王国の料理であった。思い返せば、これまでに提供された食事は、東大陸の料理が最も多かった。給仕を行う従者も必ず東大陸の出身者がつき、東大陸の言葉を用いて、ゆっくりと丁寧に教えてくれたものだ。
数多くの獣人の種族に関する説明や、口にしてはならない食材、忌避すべき話題など、教えは極めて多岐にわたり、細やかであった。
当時、兄たちも共にその説明に耳を傾け、何度も質問を重ねていた。
「サンセール、分かったか。有耶無耶にするなよ」
そう言って、いつも確認の言葉をかけてくれたのを思い出す。
夕食の後は、学びの時間となる。マクアリール公爵家に来てからは、世界史や他国の成り立ちを真面目に学んできた。
図書室に置かれている膨大な書物の中でも、とりわけ真新しいリオンブラン王国の書籍が一番多かった。
それらの知識を頭に巡らせれば巡らせるほど、かつての自分自身がルル姫の伴侶として選ばれる可能性など皆無だったのだと痛感する。だからこそ、あの忘却の魔法は、王妃様による慈悲の配慮であったのだと今なら理解できた。
リオンブラン王国における王族の婚姻は、一筋縄ではいかない。たとえこちらが運命の伴侶であったとしても、獣人はその繋がりを自覚できない者が殆どである。
しかも、ルル姫が他国に嫁ぐことは決してなく、婿入りが絶対の条件となる。いまだに獣人に対する厳しい差別が残る世界だからこそ、王族の血筋を守る壁は厚い。
そして何より、その婿入りの資格を得るためには、挑戦してくる並み居る強豪たちと戦い続け、勝ち続けなければならないのだ。
リオンブラン王国の王女、ルル姫の伴侶候補だからこそ、自分には同国の隠密がつき、守っていたのである。
あの見事な黄金の尻尾の主は、ルル姫の双子の兄たち……すなわち、大陸最強といわれているシルバーライオンが率いる獅子族の王子たちその人であった。
兄王子たちは、妹の伴侶となるべき男がそれに相応しい器かどうかを見極め、鍛え上げるために、自ら影の者となってサンセールを肉体の限界まで追い詰めていたのだ。
記憶を取り戻した今、なぜリオンブラン王国の最高戦力たる王子たちが、わざわざ隠密に身をやつして自分を鍛え上げているのか、その真意を完全に理解した。
彼らは、妹を侮った愚か者を叩き直すと同時に、サンセールが「戦い続け、勝ち続けなければ、決してその隣には立てない」という残酷な現実を、その身体に刻み込もうとしていたのだ。
自らの罪の重さと、これから歩むべき道の果てしなさに、サンセールは血の気が引くのを覚えた。
しかし、その瞳には、かつての愚かな面影は微塵もなかった。
忘却の彼方から取り戻した、唯一無二の運命の番であるルル姫の面影を胸に。サンセールは真の竜人として、そして一人の男として、この試練を、強くなることを、心の底から誓うのだった。




