第19話 『運河へ』
「マイヤの夫のコーネルだ。君はイグナートの知り合いなのかい?」
イグナートの姉であるマイヤに導かれるままターニャが乗り込んだトラックが走り出すと、すぐに運転席でハンドルを握るコーネルは前を向いたままそう言った。
左右を夫妻に挟まれる格好で座席に座るターニャは少し考えてから静かに答える。
「……ターニャです。乗せていただきありがとうございます。クロチコフ少尉から言われてここに来ました」
イグナートの姉夫婦とはいえ、どこまで正直に話して良いものか分からず、ターニャは困惑の表情でそのまま黙り込んだ。
それを見たマイヤは夫と顔を見合わせる。
それからターニャに視線を移した。
「ターニャ。イグナートからはね、特別な贈り物をするから誰にも見せないで私自身に確認してほしいという手紙を2日前に受け取っているの。まさかあなたがそうだとは思わなかったわ。あ、ごめんなさいね。物だなんて失礼よね」
「いえ……」
ターニャは初めて知った。
イグナートが自身の姉にそんな手紙を送っていたことを。
「手紙を受け取った時、何のことか分からなかったわ。でも、あなたを見つけてようやく合点がいった。イグナートは私たち夫婦に迷惑をかけたくなくて、あんな手紙の書き方をしたんだって。ターニャ……あなたはウリエルの人ね?」
その言葉にターニャはわずかに目を見開く。
その反応を見てマイヤはすぐに理解したらしく、優しい声で言った。
「大丈夫。あなたをウリエルに送り返したり、ましてやノーザリオンへ引き渡すことなんてしないから。せっかく弟が自らの危険を承知で助け出してくれた子にそんなことをしたら、姉として弟に会わせる顔がないわ。そうよね? コーネル」
「ああ。君の安全を脅かすようなことはしないと約束しよう」
夫婦の言葉にもターニャは緊張を解くことが出来なかった。
まだここはノーザリオン兵の多くいるウリエルの地なのだ。
いかにイグナートの姉夫婦とはいえ、初めて会ったばかりの人間を信用するにはターニャの心は戦争で傷つき過ぎていた。
そこから黙り込むターニャを気遣い、夫妻は他愛もない会話をポツリポツリとするに留めた。
そうする内に前方に運河が見え始める。
ウリエル国内を流れるこの運河は、北はノーザリオン、南はダビアンを経て海へと流れ込む。
この3国を結ぶ重要な交通網だった。
当然、運河の港にもノーザリオン兵らが駐留しており、目を光らせている。
まさに水際の監視だ。
「最後の関門だな」
コーネルがハンドルを握りながらそう言った。
先ほど街を出発する際にもノーザリオン兵らによる積み荷の検査を受けたが、この港でも同様の検査を受けることになる。
移動の途中で不正に物資が追加されたり、横流しされたりするのを防ぐため、申告した積み荷に過不足がないかを最終確認されるのだ。
「ここを抜けて船にさえ乗ればもう安心よ。ダビアン船籍の船内は治外法権だから、ノーザリオンも手出しは出来ないわ。そうなればもうダビアンまでは安全な旅が続くから」
マイヤはそう言ってターニャを勇気付ける。
ターニャは先ほどからマイヤがじっと自分の顔を見ていることに気付いていた。
その理由はターニャにも分かっている。
「……リーリヤさんに似ていますか?」
唐突なターニャの言葉にマイヤは少しばかり驚いて目を見開く。
だがすぐその目が細められ、その顔が優しい笑みに彩られた。
「ええ。イグナートもあなたを見て同じことを思ったのでしょうね。本当によく似ているわ。違う国の人なのに不思議ね」
そう言うマイヤの顔を見てターニャは感じたのだ。
今は亡き妹を思う姉としての親愛の情を。
どこの国の人間でも家族を失えば辛いのだ。
ターニャは自然とマイヤの顔を見て口を開いていた。
「クロチコフ少尉は……とてもお優しい方でした。無事に船に乗ることが出来たら……少尉と出会ってから私の身に起きたことを全てお話しします」
ターニャの言葉にマイヤは満面の笑みで頷く。
ちょうどその時、トラックが船着き場の手前の駐車場に到着した。
運河の港には30名ほどの武装したノーザリオン兵が駐留し、人や物資の出入りを厳しくチェックしている。
目の前の船着き場にはダビアンの国旗を掲げた貨物船が停泊していた。
ターニャは港の駐車場に停車したトラックの助手席から、その船の姿を見て息を飲む。
(あれに乗り込みさえすれば……)
しかしターニャには不安があった。
マイヤたちがこのウリエルに入国してきた際、必ず人数や名前を入国届けとして提出したはずだ。
それが帰りはターニャ1人が増えているとなれば誤魔化せるはずはない。
「あの……私、皆さんにとてもご迷惑をおかけしてしまうのではないでしょうか……」
消え入りそうな声でそう言うターニャだが、マイヤはその肩に手を置く。
「心配しなさんなって。私らはこの不安定な世の中でも逞しく商売やってるからね。このくらいのことで成す術なく立ち尽くしたりはしないんだよ。そうよね? コーネル」
妻の言葉にコーネルは頷いた。
「せっかくあんたを救おうとしたイグナートのためにも、義兄らしいことをしてやらないとな。心配しなくていい。あんたをコッソリ船に乗せる方法はある」
そう言う夫妻はそこから手短にここを乗り切る算段を相談した。
トラックの外ではすでに乗用車から降りた4人の部下の女性たちが、社長らが降りて来るのを待っていた。
彼女たちもある程度の事情は理解しているようで、あれこれと何やら話し合いながら待ち続けている。
やがて夫妻の話し合いは1分ほどで結論が出た。
「よし。それでいこう。ターニャさん。あんたは俺と一緒に来てくれ」
そう言うコーネルに頷き、ターニャは緊張の面持ちで車外に出るのだった。




