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カモミールの花をあなたに  作者: 枕崎 純之助


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第12話 『憲兵』

「失礼いたします。クロチコフ少尉《しょうい》」


 買い物から家に戻ったイグナートとターニャの元を憲兵が訪れたのは、昼過ぎのことだった。

 彼らは少尉《しょうい》であるイグナートに敬意を払いつつも、上層部から命令された任務のため、家の中を確認して回ったのだ。

 カモミールの花が飾られた花瓶《かびん》すら流し台にひっくり返して中身を確かめる徹底ぶりだった。


 これは別にイグナート個人を疑ってのことではない。

 戦地での臨時の妻を得た全ての兵士の家を確認して回っているのだ。

 若い兵士の中にはウリエルの女に夢中になるあまりに重要な機密情報を漏《も》らしたりする者がいるのではないか、そう疑う上層部は内部調査を怠《おこた》らない。


 ターニャは必死に平静を装いながらも肝《きも》を冷やしていた。

 筆談に使っていたノートが見つかったらイグナートはもちろん、ターニャも銃殺刑に処されてしまうかもしれない。

 憲兵は先ほど買い物してきたばかりの袋《ふくろ》の中身も確認した。


 その中に多くの生理用品を見つけて憲兵は思わずわずかに口元を歪《ゆが》めて笑った。

 ターニャは嫌悪感を覚えて彼らから目を逸《そ》らす。

 それを見咎《みとが》めたイグナートは憲兵に穏やかながら冷たい視線を向けた。


「どうした? 何かおかしなものでも入っていたかな?」


 全ての兵士を監視する権限のある憲兵とはいえ、イグナートより年下であり軍での地位も下である彼らは、バツの悪そうな顔でピシッと背すじを伸ばした。


「い、いえ。失礼いたしました。少尉《しょうい》殿。特に異常は見られませんでしたので、これで失礼いたします」


 イグナートの冷たい視線を受けて、これは早々に退散した方がいいと思ったのだろう。

 彼らは玄関《げんかん》から足早に出て行った。

 ターニャはホッとして静かに息を吐く。

 イグナートは玄関《げんかん》の扉《とびら》を閉めるとターニャに声をかけた。


「さっさと部屋を片付けろ」


 そう言うとイグナートはターニャに椅子《いす》に座っているよう手振りで伝え、自分は家の中を見回りながら憲兵たちが乱した室内を手早く片付けていく。

 それを終えるとイグナートは居間に戻ってきて、おもむろにテーブルの天板を外した。

 するとテーブルの下には小さな空間が存在し、そこには例の筆談用のノートが隠されていたのだ。


 そんなところに隠していたのかとターニャは驚嘆《きょうたん》した。

 そのテーブルの周りはつい先ほど裏側も含めて憲兵たちが目で見て手で触れ検《あらた》めていたのだ。

 もし今イグナートがやったように天板を外されていたら……そう思うとターニャは恐ろしくなる。

 しかしイグナートは平然とノートを取り出すと天板を戻し、紙面にペンを走らせた。


【目に見えているところは意外と探されないものだ】


 それからイグナートは台所で湯を沸《わ》かして紅茶を淹《い》れると、夕食までの短い間、ターニャと筆談を続ける。


【今日歩いた道順を忘れるな。4日後、君は1人であの道順を辿《たど》って最終目的地であるあの場所まで行ってもらう】


 あの場所。

 イグナートはそう言いながら生理用品などの入っている袋《ふくろ》を指差したので、あの老女が営《いとな》む露店《ろてん》の薬売りだと理解する。

 しかし何よりも驚《おどろ》いたのは、自分1人であそこまで辿《たど》り着かねばならないという話だった。


【私1人でですか? そんなの無理です】

【無理ではない。それに俺と一緒だとスチェパンなど事情を知る者に見られた場合に君だと分かってしまう。君1人のほうが見つかりにくい】

【しかし誰かに絡《から》まれたりしたら、少尉《しょうい》がいて下さらないと私1人では対処できません】

【心配ない。君は誰にも絡《から》まれない。その日は皆それどころではないからな】


 そう書くイグナートにターニャは不思議《ふしぎ》そうな顔を見せる。


【4日後に何があるのですか?】

【軍の祭りがある。兵士たちの息抜きさ。賭《か》け事やら何やらに皆が夢中になる】


 祭り。

 その話にターニャは不快感を覚えた。

 こちらの街を破壊し占領しておいて、自分たちは息抜きのために祭りを開催《かいさい》する。

 その身勝手さにターニャはどうしても憤《いきどお》りを覚えずにはいられなかった。


 だが同時にこれが戦争なのだと痛感していた。

 逆にウリエルの兵士がノーザリオンの都市を占領しても同じことが起きるのだろう。

 自国の兵士ならばそんなことはしないとは思えなかった。

 イグナートが言っていた通り、戦争は人を極限まで暴力的にさせるのだ。

 イグナートはそんなターニャの表情を見て痛ましげに目を伏《ふ》せた。

 

【思うところは多々あるだろうが、俺は君の国を侵略する兵士として謝罪することは出来ても、この戦争を止めることは出来ない。だが君にはまず自分が助かることだけを考えてほしい。俺が今救えるのは目の前にいる君だけだ】


 その字を見てターニャはどうしてだか胸が苦しくなる。

 イグナートには良からぬ思惑があり、自分に優しくするフリをして従順な駒《こま》にしようとしているのかもしれない。

 そんなことを疑う自分が苦しいのだ。

 見かけ上かもしれないが、イグナートはターニャに対して紳士的に接してくれている。

 そんな相手に対して疑いを持つことが苦しかった。


(きっとこうして罪悪感を植え付けさせることが手なんだ。そうに決まっている)


 ターニャは自分にそう言い聞かせた。

 そして出来る限り気持ちを冷静に保とうと心がけ、ペンを手に取る。


【分かりました。4日後の祭りの日に私は1人で先ほどの道順を辿《たど》り、あの女性の営《いとな》む薬屋に向かいます。到着した後はどうするのですか?】


 今のターニャに出来ることは少ない。

 その先に何があるのか分からずとも、イグナートの示す道を進むしかない。

 ただし心まで支配されてはいけない。

 ターニャは努《つと》めて冷静にイグナートの説明に耳を傾けるのだった。

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