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カモミールの花をあなたに  作者: 枕崎 純之助


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第11話 『外出』

 午前の日差しが敵国に占領された街を照らし出している。

 イグナートに連れられて家を出たターニャは、大きめの外套《がいとう》を羽織《はお》り、毛皮の縁取《ふちど》りがされた頭巾《ずきん》を目深《まぶか》に被っていた。

 口元から鼻にかけては防塵《ぼうじん》用の布を巻いて目元以外は顔を隠している。


「ここは兵士ばかりだ。あまり連中を刺激しないよう、女であることは極力隠せ。声もなるべく出さないように」


 イグナートはターニャの耳元に顔を寄せると小声でそう言った。

 家の中と違って盗聴の心配はないので筆談は必要ない。

 そしてターニャは女性としては背の高い方であり、顔を隠して外套《がいとう》に身を包んでいると、あまり女性には見られない。

 もちろん目元を覗《のぞ》き込まれれば女性として分かってしまうが、この人混みの中で彼女を目に留める者はいなかった。


「それから喋《しゃべ》る時はそのまま口元を隠していろ。兵士の中には唇《くちびる》の動きを読める者もいる」


 イグナートの言葉にターニャは黙《だま》って頷《うなづ》く。

 筆談をせずに済むのはありがたかった。

 言いたいことを字で伝え合うというのは時間も労力もかかり、精神的な疲労が増えるのだと初めて知った。


「ここは君の街だな。この辺りは知っているか?」

「いいえ。私の住んでいた街区とは違うので、この辺りのことはそれほど詳しくありません」


 ターニャの住むこの街は、50万人ほどの人が住む大きな地方都市だ。

 街区がいくつもある広い街であるため、住民とはいえターニャも詳しい地理は分からない。

 街には戦闘の傷跡が深く残り、多くの建物が崩《くず》れ落ちて代わりにテントの集まる野営地などが増えているため、街並みの姿は大きく変化していた。

 ターニャはそうした街の様子に心を痛めて小さく息をつく。

 そんな彼女にイグナートは声をひそめて言った。


「今のこの街の状態をよく覚えてくれ。そして今から行く道順も覚えるんだ。必ず」


 イグナートは理由は言わなかった。

 だがおそらく逃走に必要な情報なのだろうと思い、ターニャは黙《だま》って言う通りにする。

 少し歩くと広場に出た。

 そこは市場になっており、兵士たちでごった返している。


 品物を売っているのは兵士への低額販売を条件に商売を許されたウリエルの商人たちだ。

 だが誰も彼もその表情は冴《さ》えない。

 それはそうだろう。

 自分たちの祖国を踏みにじった敵兵らにほとんど赤字のような低価格で品物を売り渡さなければならないのだ。

 しかも街に駐留するノーザリオンの幹部たちに対しては、その少ない儲《もう》けの中から毎日上納金を渡すことが商売許可の条件とされていた。


 これでは彼らウリエルの商人の手元に残る金はほんのわずか。

 商売をする顔も冴《さ》えなくなるわけだった。

 イグナートはいくつかの店を回りながら買い物をして進む。

 彼が買うのは食料ではなく、鉛筆《えんぴつ》やノートなどの文房具、そして書籍などの学術用資料、それから調味料だった。


 どれも軍から支給される最低限の配給品では得られない物ばかりだった。

 そして彼は買い物の際は少しだけ多く商人に金を渡し、釣《つ》り銭は受け取らなかった。

 ターニャはそんな彼の様子を見守りながら道順を覚えていく。


 そうして市場の中心部から街の外れまで2人は歩く。

 川沿いの街の境界線となる川が数百メートル先に見えてきた。

 見張りの兵士らと武装車両が数珠《じゅず》つなぎのようになって見える。

 占領されたこの街から市民らを逃さぬよう、彼らは常に目を光らせていた。

 脱走しようとする者には容赦《ようしゃ》なく銃弾が浴びせられる。


 ターニャは敵兵たちが作る人の壁に息を飲んだ。

 一方でこの街外れまで来ると、物資を売り買いする人は少なく、寂《さび》れた印象を受ける。

 ターニャは知らなかったが、この辺りにいるのは市場の中心に入らせてもらえない小さな商店の商人たちだ。

 軍の将校たちへ上納金を支払う余裕がないため、こうして人の少ない街外れに追いやられていた。


 彼らは細々と露店販売を営んでいる。

 その中に薬などを売る年老いた女の商人がいた。

 イグナートは彼女から女性用の洗髪洗剤や生理用品を買った。

 それから一枚の紙をその老いた女商人に手渡して尋《たず》ねる。


「ダビアンへの輸出を頼めるか?」

「ダビアンならば交易船が運河を出入りしていますから可能ですね」


 ダビアン。

 ウリエルの南の国境と接する国家だ。

 ノーザリオンとウリエルの戦争に対しては中立の立場を貫いており、どちらの国とも国交を続けている。


「そうか。ダビアンとの交易便がこちらに到着するのは4日後だな。輸出品は3日後までにはここに届けさせる」


 そうとイグナートは代金の2割増しの金額を老女に手渡した。

 老女は思わず驚《おどろ》いて目を剝《む》く。


「こ、これでは多過ぎるのですが……」

「輸出の前払い金だ。残額は輸出時に支払う。私の名で紹介状を書こう」


 そう言うとイグナートは軍服の胸に縫《ぬ》い留められた少尉《しょうい》の徽章《きしょう》を指差した。

 それを見た老女は深々と頭を下げる。

 こうして駐留軍から商売の許可を得ている商人は、物資の輸出入に関しては駐留軍に輸出入明細を提出して許可を得なければならない。

 そうしなければ占領されているウリエル国民が秘密裏《ひみつり》に武器や毒物を入手しようとするかもしれないからだ。

 

 そしてそれも必ずしも許可されるとは限らない。

 許可に時間がかかる場合がある。

 その時にノーザリオン将校の署名があれば、許可が迅速《じんそく》に通りやすくなるのだ。

 それはこの老女にとっても日銭を稼《かせ》ぐことの出来るありがたい話だった。

 イグナートはターニャに目を向ける。


「終わった。帰るぞ。これを持て」


 そう言うとイグナートはこの店で買った商品を詰め込んだ袋《ふくろ》をターニャに手渡した。

 袋《ふくろ》は大きかったが、タオルや生理用品など軽い物ばかりだったので、それほど負担ではなかった。 

 ターニャは思わず訝《いぶか》しむ。


 あと4日で自分がいなくなるのであれば、これほど多くの生理用品は必要ないはずだ。

 ターニャはチラリとイグナートを見た。

 だが彼は平然としており何も言わない。

 ターニャは不安を覚えた。

 本当は自分を逃がすつもりなどないのではないかと。


 そんな彼女の視線を感じ取ったのだろう。

 イグナートは言った。


「監視の目はどこにでもあると思ってくれ。君はずっとここで捕虜《ほりょ》として生きるつもりで振る舞うんだ。誰にも不自然さを見抜かれぬように」


 彼の言葉が真実だとターニャはすぐ知ることになる。

 家に戻った2人の元にまたしても来訪者たちが現れるのだった。

今回もお読みいただきまして、ありがとうございます。

次回、第12話『憲兵』は

4月3日(金)21時10分に掲載予定です。

次回もよろしくお願いいたします。

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