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葬霊の鞘と銀の月 ―百年戦争の残滓― 〜神を喰らう魔剣と、奇跡を紡ぐ少女〜  作者: ウィースキィ


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第59話 魔神イフリート


 吹き荒ぶ雪礫(ゆきつぶて)が、唐突にその動きを止めた。


 それは天候の回復を意味する福音ではない。世界を支配していた極寒の静寂が、より根源的で凶悪な『熱』の暴力によって、一瞬にして蒸発させられたのだ。


 大気が激しく歪み、万年雪に閉ざされた大地が内側から赤黒く焼けていく。


 突如、古戦場の中心部が巨大な火口のごとく爆ぜ、そこから立ち昇ったのは、天を突くほどに巨大な紅蓮の火柱であった。


「――久しいな。この忌々しくも、心地よい下界の空気は」


 炎の奔流が螺旋を描いて形を成し、そこに顕現したのは、燃え盛る四本の腕と、禍々しい両翼、地獄の業火をそのまま双眸(そうぼう)に宿した魔神――『特級上位』悪魔、イフリートであった。


 彼が吐き出した呼気一つで、周囲の万年雪は刹那に気化し、視界は濃密な白煙に包まれる。だが、その殺人的な熱量は白煙さえも瞬時に焼き払い、瞬く間に世界を呪わしい赤へと染め上げていった。


 長き封印の微睡みから解き放たれた魔神は、首を乱暴に鳴らして関節の軋みを奏でると、眼下に立つ老人と銀竜を、心底退屈そうに見下ろした。


「……ハルファスか。まだ下等な猿などと戯れていたか。相変わらず、気位ばかり高くて融通の利かぬトカゲよ」


 イフリートの声音は、溶岩が岩盤を削るような不快な轟響(ごうきょう)となって周囲を震わせる。その視線には、森羅万象のすべてを自身の快楽のための餌としか見なさぬ、底知れぬ貪欲さと自己中心的な傲慢さが渦巻いていた。


 銀竜ハルファスは、その不躾な視線に対し、不快感を隠そうともせずに白銀の鱗を逆立てた。


「相変わらず品性の欠片もないな、火種。貴様の如き、欲望のままに世界を焼き散らすだけの獣が再び野に放たれたこと、魔界の汚点と知れ」


 古来より、この二柱は絶望的に馬が合わなかった。誇りと孤高を重んじるハルファスにとって、強大な力こそあれど信念も矜持もなく、ただ世界は己を中心に回っていると信じて疑わぬイフリートは、唾棄(だき)すべき嫌悪の対象でしかなかった。


 だが、ハルファスの黄金の瞳には、嫌悪と同時に、最大級の警戒が宿っている。


 イフリートという存在の脅威を、彼は誰よりも深く理解していた。


 全悪魔の頂点に君臨する悪魔皇帝と同格の力を持つとされる『大悪魔ルフェル』。彼が人類の守護者、ルフェル大総統として、悪魔との百年戦争を戦い抜いた時でさえ、この魔神を完全に滅ぼすことは叶わず、封印という暫定の手段を選ばざるを得なかったのだ。


 イフリートを冠する『特級上位』という階位――それは人の世における定義の限界点に過ぎない。その枠組みを遥かに超えた深淵には、魔界の『七つの大罪悪魔』が存在し、それらと同格の力を有するこの怪物は、まさに破壊の化身として鎮座しているのである。


「ハハハ! 相変わらず厳しいことだ。だが、今の俺は機嫌がいい。仮眠から覚めたばかりでな……少々、体が鈍っている。貴様らのような、小蝿(こばえ)の羽撃きにも満たぬ羽虫を握り潰すには、ちょうどいい眠気覚ましだ」


 イフリートが四つの拳を打ち鳴らすと、そこから放たれた衝撃波だけで大地が陥没し、溶岩の河が噴出した。白銀の世界は、瞬時に煮え繰り返る地獄の釜の底へと変貌していく。


 その絶望的なまでの魔圧を正面から浴びながら、バビロは一歩も引かなかった。


 彼の背筋は鋼の芯を通したように真っ直ぐに伸び、その手には、かつて心から愛した婚約者の形見であり、再び邂逅(かいこう)した戦友ハルファスの魔力が宿る銀の細剣が静かに握られている。


「……小蝿(こばえ)、ですか。左様ですな。貴方のような偉大な魔神から見れば、人の一生など瞬きにも満たぬ瞬間に過ぎないのでしょう。ましてや、年端もいかぬ少女の命であればなおさらに」


 柄を強く握りしめたバビロの声は、炎の轟音の中でも驚くほど明瞭に響いた。彼はゆっくりと剣を構え、その双眸(そうぼう)に五十年の歳月をかけて練り上げた、絶対零度の殺意を宿した。


「ですが、その羽虫が、短い寿命のほぼすべてである五十年の間、ただ貴方を殺すためだけに牙を研ぎ続けてきたと知れば……少しは興が乗るのではないでしょうか」


 その時、イフリートは初めてバビロという『個』を視界に捉えた。そして、喉を震わせて嘲笑う。


「老いさらばえた猿が、何を吠える。貴様の如き塵芥(ちりあくた)、我が指先一つで、その愛しき思い出ごと炭化させてやろう」


 その傲岸不遜(ごうがんふそん)な言葉を、ハルファスは高らかな笑声で切り捨てた。


「ハハハ! やってみるがいい、火種。この男の心は、貴様の如き安っぽい焔では、煤一つつかぬぞ」


 ハルファスが翼を広げ、周囲の熱気を銀の冷気で強引に押し戻す。彼もまた、人の世では『特級中位』の階位に甘んじているが、その本質は、あらゆる悪魔が彼の住む領域に対して不可侵とせざるを得ぬほどに強き、気高き大悪魔である。


 紅蓮と白銀。


 相反する二つの魔力が激突し、その接点から空間が悲鳴を上げて軋み始めた。


 バビロは、心の奥底で永劫の眠りにつくセレスティーナの面影に触れた。


(待たせたな、セレスティーナ。もうすぐ、この永い冬が終わる。貴女を縛った炎も、私を縛った義務も、すべてここで終わらせよう)


 バビロが踏み出した。その一歩は、もはや老人のそれではない。全盛期の、いや、全盛期をも凌駕した『執念』という名の魔力が、彼の肉体を細胞レベルで再構築していた。


 対するイフリートは、退屈そうに指先を向け、太陽の欠片にも等しい超高熱の火球を生成する。


「消え失せろ。ゴミ溜めの冬と共にな」


 刹那。


 音を置き去りにした銀光が、紅蓮の夜を切り裂いた。


 神話の再来。あるいは絶望の終焉。


 帝都の北、誰も知らぬ極地にて、世界を揺るがす戦いの火蓋が切って落とされた。


【登場人物】


■イフリート

挿絵(By みてみん)


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