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葬霊の鞘と銀の月 ―百年戦争の残滓― 〜神を喰らう魔剣と、奇跡を紡ぐ少女〜  作者: ウィースキィ


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第58話 銀竜ハルファス


 吹き荒ぶ雪礫(ゆきつぶて)が視界を白一色に塗り潰し、天地の境界すらも曖昧になった極寒の地。帝都北方、かつて数多の兵士たちが(むくろ)を晒した『凍てついた古戦場』の只中に、一人の老人が孤絶して立っていた。


 バビロは微動だにせず、ただ虚空の一点を見据えている。その立ち姿は、吹き付ける猛吹雪を寄せ付けぬほどに研ぎ澄まされ、周囲の空気さえも薄氷のように張り詰めさせていた。


 突如、重く垂れ込めた鉛色の雲を裂き、天から一条の銀光が降り注ぐ。


 耳を劈くような激しい羽ばたきと共に、天を覆う巨大な影が舞い降りた。


 地上の万年雪を爆風のごとく巻き上げ、姿を現したのは、神々しいまでの威厳を纏った銀の魔竜――『特級中位』悪魔ハルファスであった。鏡面のごとく磨き上げられた銀の鱗が、雲間から漏れる僅かな光を反射し、虹色の火花を散らして煌めく。


 ハルファスは、長い首をもたげて眼下の老人を見下ろした。その黄金の瞳には、永い歳月を越えた懐旧(かいきゅう)の色が深く滲んでいる。


「……実を言えば、封印が解けるまで、お前がすでに朽ち果てているのではないかと案じていたぞ。実に二十年ぶりか。人間にとっては一生の四分の一にも及ぶ時間。あまりにも脆く、儚い命だ」


 大気を震わせる地鳴りのような重低音が響く。対するバビロは、荒れ狂う極風の中にありながら、執事としての矜持を保つかのように背筋を正し、静かに唇を綻ばせた。


「長い時間でしたな。ですが、一度たりともこの胸に宿る炎が潰えたことはありません。命の灯火にかげりが見え始めた今、ようやく、あの時の決意を果たす刻が来たのです」


「……ふ。懐かしいな。老いさらばえてもなお、お前は出会ったあの時と変わらぬ、凄絶(せいぜつ)な目をしている」


 ハルファスは長く、深く、熱を帯びた息を吐き出した。


「いいだろう。約束は果たされるべきだ。時が満ちたのだな……あの忌まわしき魔神、イフリートを討つ刻が」


 二人の間に流れる、共犯者にも似た強固な絆。その源流は、今から五十年前――若き日のバビロが、一人の狂える求道者として死地の深淵へと足を踏み入れたあの日へと遡る。




◆◇◆◇◆◇




 五十年前。


 若き日のバビロは、飢えた獣のような双眸(そうぼう)で、ただひたすらに『力』を求めていた。


 愛する婚約者、セレスティーナを無残に奪った呪い。その根源である魔神イフリートを滅ぼすには、人間の範疇に収まる力など、砂上の楼閣にも等しい。彼が欲したのは、神の領域に等しい破壊をもたらす、最強の契約悪魔であった。


 古びた禁書の(ページ)を捲り、彼が辿り着いたのがハルファスの存在だった。


 人間に興味を抱きながらも同族とは決して群れず、孤高の霊山に隠棲する美しき銀竜。その凛とした孤絶の在り方に、バビロは理屈を超えた共感を覚えた。


 バビロは単身、他の悪魔との契約さえ持たず、悪魔に蹂躙された元人間の土地――『魔界領』へと踏み入った。


 そこは常人ならば瞬時に精神を病み、あるいは跋扈(ばっこ)する下等悪魔たちによって肉を刻まれ消し去られる、瘴気渦巻く死の領域。だが、バビロは血反吐を吐きながらも、ただ一振りの剣を杖代わりにして進み続け、ついに峻険(しゅんけん)な山の頂で、眠れる銀竜と対峙したのである。


「……なぜ、ここに従順な家畜がいる。死を急いだか、人間よ」


 ハルファスは驚愕した。自らの縄張りをこれほど無機質に、それでいて熱狂的な意志を孕んで侵した人間など、かつて一人もいなかったからだ。


 だが、バビロは怯えることも、畏怖することもなく、その双眸(そうぼう)で真っ直ぐに竜の黄金眼を見据えた。


「私と契約しなさい、ハルファス。そして――私のこの心を、好きなだけ食い尽くしてみるがいい」


 それは、自らの魂を餌としたあまりにも傲慢な宣戦布告。ハルファスは喉の奥で、岩盤を削るような嘲笑を漏らした。


「愚かな。そのひ弱な肉体ごと、一息で灰にしてやっても良いのだぞ?」


 大悪魔としての圧倒的な威圧。魂を凍らせるような重い言葉を突きつけられても、バビロの瞳は微塵も揺らがなかった。その鋼のごとき輝きは、不思議と矮小な人間とは思えぬ重圧を放ち、ハルファスの好奇心を激しく揺さぶった。


(面白い。心まで食い尽くしてやれば、こいつも己の過信を後悔し、絶望の中で息絶えるだろう)


 ハルファスは冷徹な観察者として、契約の儀式に応じた。


 契約の開始と共に、ハルファスの意識がバビロの内側へと深く侵入する。それは契約者の精神を内側から食い破り、自我を崩壊させる『精神の凌辱』である。


 だが、そこでハルファスが見たものは、数多の人間を観察してきた彼ですら目にしたことのない、異様な光景であった。


 バビロの精神世界は、静謐(せいひつ)な白銀の荒野であった。しかし、その地下深くには、煮え繰りかえる溶岩のような『憎悪』と、天上の星のごとく清らかな『愛』が、決して混ざり合うことなく、しかし互いを燃料として激しく燃え盛る巨大なエネルギー体が鎮座していた。


 ハルファスが全霊を以てその心を砕こうとしても、バビロの自我は折れるどころか、侵入したハルファスの魔力すらも己の糧として貪欲に取り込んでいく。


 竜は、戦慄した。この男の心は、愛と憎しみの螺旋によって、もはや破壊不可能な『聖域』と化しているのだ。


「……問おう。これほどの地獄を抱え、何を願う。お前の真の望みは何だ」


 精神の深淵で、ハルファスの問いにバビロが答える。


「魔神イフリートの討伐。そして――私の愛を、最後の一滴まで貫き通すことです」


 その言葉には、一切の迷いも、妥協もなかった。


 ハルファスは、一人の人間を『個』として、初めて対等に認めた。


「よかろう。お前のその強き心に、私の銀翼を貸し与えてやろう。……バビロ、お前という男を、死出の旅路の果てまで見届けてやる」




◆◇◆◇◆◇




 回想から戻った雪原。かつて交わした契約の重みを確かめるように、バビロはゆっくりと腰の剣を抜き放った。


「ハルファス。私が望むのは、私のすべてを賭した一撃です。……あの日から続いた永い冬を、今こそ終わらせましょう」


「ああ。共に行こう、わが友よ」


 銀竜の咆哮が、古戦場の厚い雲を吹き飛ばした。


 かつての英雄と、孤高の魔竜。再会を果たした最強の主従が、今、魔神の待つ奈落へと歩み始める。


【登場人物】


■ハルファス

挿絵(By みてみん)


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