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葬霊の鞘と銀の月 ―百年戦争の残滓― 〜神を喰らう魔剣と、奇跡を紡ぐ少女〜  作者: ウィースキィ


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第56話 リアムさまと一緒なら、どんな暗いところへだって行けます!


 オリビアとの緊迫した会談を終え、事務所へと戻ったリアム、ジレッタ、ルナの三人は、沈黙という重石に押されるようにして、静かに、しかし迅速に出発の準備を整えていた。


 使い込まれた革袋に、非常食の干し肉や魔力回復薬の瓶を詰め込む。抜き放たれた剣身が冬の光を反射し、冷徹な輝きを放つ。窓から差し込む陽光は、雲一つない空を祝うかのように明るかったが、室内の空気は『嵐の前の静けさ』を孕み、皮膚をぴりぴりと刺すような緊張感に満ちていた。


 しばらくの後、その濃密な静寂を破ったのは、事務所の扉を叩く硬質で遠慮のない音だった。規則正しく鳴り響くその三打は、訪問者の揺るぎない意志を代弁しているようであった。


「――どうぞ」


 リアムの短く、落ち着いた返答に応じ、開かれた扉の先に立っていたのは、軍服の外套を冷たい風と共に翻したオリビア・フローレンスであった。


「進展があった。軍と協会の魔導班が総力を挙げて追跡していた、特級中位悪魔『ハルファス』の魔力残滓を捕捉したぞ」


 オリビアは部屋の中央、古びた木製の机まで大股に歩み寄ると、その上に一枚の地図を広げた。長年の歳月を物語るように黄ばんだ地図の上で、彼女の指先が、帝都から遥か北方に位置する白く塗りつぶされた空白地帯を鋭く指し示した。


「目的地は、帝都北方――『凍てついた古戦場』だ。百年戦争の折、数多の兵士と悪魔がその命を散らし、今や永久凍土と呪いだけが(おり)のように支配する不毛の地。……そこに、ハルファスは向かった。そして、かの悪魔が向かった先にこそ、バビロがいるはずだ」


 かつての殺戮場(さつりくじょう)。人の通わぬ、死せる神々の墓所。バビロが己の永すぎた因縁に終止符を打つ場所として、それ以上に相応しい舞台は他になかった。


「……軍はどう動くんだ? あそこまで大規模な脱獄を許したんだ、面子にかけても軍を総動員して包囲網を敷くつもりだろう」


 リアムの懸念に、オリビアは鼻を鳴らして冷笑を浮かべた。その瞳の奥には、官僚的な組織に対する隠しきれない嫌悪があった。


「軍の要請はすべて突っぱねてきた。あやつらが介入すれば、バビロの真意など問答無用で握り潰され、ただの極悪犯罪者として処刑されるのが関の山だ。……私は、あやつの真実を知らねばならん。あの不器用な男が、その命を賭して何を成そうとしているのか。それを見届けるまでは、例え神に背いてでも死なせはせん」


 吐き出される言葉の端々に、オリビアの内に秘めた葛藤が滲んでいた。表向きは鉄面皮のハンターランク第一位として振る舞いながらも、その心根ではかつての師を、共に正義を掲げたはずのバビロを信じ抜きたいと願っている。彼女にとってこの遠征は、協会の任務という枠を超えた、一人の『教え子』としての執念であり、我儘でもあった。


「では、どうやって軍の目を誤魔化したのですか? これほどの非常事態だというのに」


 ジレッタが不思議そうに首を傾げると、オリビアは不敵な笑みを深くした。


「『少数精鋭による隠密討伐』という大義名分を盾にした。無能な数千の雑兵を並べるより、確実に標的を仕留められる一握りの怪物を送り込む方が合理的だとな。……同行するメンバーは三人だ。ランク第一位の私。新進気鋭のランク五位昇格候補、ジレッタ・フェネビス。そして、軍の頂点であるルフェル大総統がその実力を認め、全幅の信頼を置く強者――リアム、貴様だ」


「俺の名前、出したのか?」


「表向きは、ジレッタの相棒を務めるランク三百五十二位の端くれ、として報告してある。だが、ルフェル大総統は貴様の真の実力を知る数少ない一人だ。私が直談判した際は、貴様と私が行くならば万に一つの失敗もないだろうと、快く許可をくださったぞ」


 リアムは呆れたように肩をすくめた。大総統にまで話が通っているとなれば、もはや逃げ道はない。


「……さて。準備は整っているようだが、最後にもう一度問わせてもらう」


 オリビアの視線が、極北の氷壁を思わせる鋭さを増し、三人を見据えた。


「向かう先は地獄の門前だ。特級悪魔ハルファス、そして全盛期の輝きを取り戻しつつあるバビロ。さらには実体化した魔神イフリートが牙を剥いている。現地がどのような地獄図か、敵と味方がどのような立ち位置にいるかも予測不能だ。生半可な覚悟では、魂まで焼き尽くされるぞ。……それでも行くか。己の命を投げ打つ覚悟はできているのか」


 その問いに対する答えは、言葉を交わすまでもなく、三人の瞳の中に既に灯っていた。


「愚問だな。とっくに腹は決まっている。バビロさんには、聞きたいことが山ほどあるんでね。それに、テトラさんが今も彼の帰りを待っている。……手ぶらで戻るわけにはいかないだろう?」


 リアムが不敵に口角を上げ、腰に帯びた鞘を軽く叩く。


「私も、協会のハンターとして……いえ、バビロさんの意志を最後まで見届ける者として、ここで引くつもりはありません。必ずや、彼を連れ戻しましょう」


 ジレッタが凛とした面持ちで頷き、その隣でルナもまた、リアムの外套の裾をぎゅっと握りしめて小さく、しかし力強く宣言した。


「……ルナも行きます! バビロさんは、ルナにも優しくしてくれました。本当は少し怖いけれど……リアムさまと一緒なら、どんな暗いところへだって行けます!」


 三人の揺るぎない眼差しを受け、オリビアは満足げに唇を綻ばせた。その峻厳(しゅんげん)双眸(そうぼう)から氷のような冷たさが消え、代わりに同じ地獄を往く同志を迎えるような、熱い輝きが宿る。


「……良かろう。ならば行くぞ。歴史の(ページ)には決して残らぬ、真の決戦の地へ」


 四人は弾かれたように事務所を飛び出した。


 凍てついた空気を切り裂き、昏い宿命が待つ北へと向かう彼らの背中を、長く伸びた影が音もなく追いかけていく。


 百年戦争の亡霊たちが微睡む『凍てついた古戦場』。そこは、忌まわしき過去の因縁を断ち切り、新たな未来をその手で勝ち取るための、最後の聖域となるはずだった。


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