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葬霊の鞘と銀の月 ―百年戦争の残滓― 〜神を喰らう魔剣と、奇跡を紡ぐ少女〜  作者: ウィースキィ


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第54話 とっても強い人なんですね


 雪が止んだ帝都は、刺すような冷気に包まれていた。吐き出す息は瞬時に白く凍り、石畳を叩く靴音だけが、伽藍(がらん)とした街並みに虚ろに響き渡る。


 数日後。リアム、ルナ、ジレッタの三人は、真相の断片を求めてテトラの屋敷を訪れていた。


「……やはり、何も残っていないわね」


 ジレッタが溜息混じりに呟いた。


 バビロが使用していた一室は、驚くほど整然としていた。棚には塵一つなく、私物や生活感を感じさせる細々とした品々は、あの日を境にすべて掻き消えていた。まるで最初から、この場所にバビロという人間など存在しなかったかのように。


「テトラさん。……本当に、バビロさんの過去について心当たりはないですか?」


 リアムの問いに、傍らにいたテトラは沈痛な面持ちで首を振った。


「はい。私が物心ついた時から、バビロは影のように当たり前な存在として私の隣にいました。完璧な執事であり、時には父よりも厳格な教師でもありました。けれど……彼自身のことを話してくれたことは、ほとんどありません」


 テトラの瞳には、実の父を失った後に育ての親とも言える存在を失った喪失感と、彼が自分に隠し続けていた秘密への困惑が、複雑な色彩となって入り混じっている。


「でも、もしかしたら……父の書斎に何か残っているかもしれません。バビロと父は、主従というよりも、もっと古く硬い絆で結ばれた友人のようでしたから」


 三人はテトラの導きで、今は亡きアドラス・アーベルット伯爵の書斎へと向かった。ネイスの放った死神の手によって命を奪われた主の聖域だ。


 重厚な扉を開くと、持ち主を失った部屋は静止した時間の中に沈んでいた。壁一面を埋め尽くす書物の背表紙が、窓から差し込む冬の淡い光に照らされ、埃の粒子が光の帯の中で静かに踊っている。


「……これ、かしら」


 書架の最奥、隠し棚のように厳重に保管されていた一冊の革装本を、テトラが引き出した。それは、今から三十年前まで遡るアドラスの古い日記であった。


 三人は息を呑み、黄ばんだ(ページ)を捲っていく。そこには、若き日のアドラスとバビロの、知られざる交友の軌跡が綴られていた。


 バビロがハンターを引退したのは、百年戦争が終結した頃と同じ、今から二十年前。公式記録では『不明』とされていたその理由が、日記の断片から生々しく浮かび上がる。


 当時、アドラスは妻との間に新しい命――テトラを授かった喜びを、親友であるバビロに語った。すると、当時トップランカーとして絶頂期にいたバビロが、地位も名声もすべて投げ打ち、『執事兼護衛として側に置いてほしい』と自ら膝を突いて願い出たのだという。


「……ずっと未婚だった理由も、ここに書いてあるわ」


 ジレッタが指し示した頁には、バビロがかつて愛した一人の女性の名があった。


 ――セレスティーナ。


 その名は、ジレッタがあの日、早朝の訓練の折にバビロの口から静かに語られた名であった。


 バビロの少年時代の婚約者であり、彼が唯一、生涯をかけて愛し抜いた女性。


『バビロは酒を飲むと、決まって彼女の話をする。セレスティーナは太陽のように明るく、闇の中にいた自分をいつでも照らしてくれた、と。最初は親が決めた義務的な婚約だったが、彼は彼女の性格、その眩しい笑顔のすべてに惚れ込み、心から愛していた。……だが、運命は残酷だった』


 日記の文字が、苦渋を物語るように歪んでいる。


『セレスティーナは、イフリートに憑依された者の末裔だった。彼女は呪われた血の宿命から逃れられず、十四歳の誕生日にバビロの腕の中で息を引き取った。バビロが彼女の形見である魔剣を手にし、過酷なハンターの道を選んだのは、悪魔の呪いに翻弄される愛しき者たちを、そして自分のような絶望を味わう者を二度と生まないためだった』


(……だから、アドラス伯爵は貧民街を領地として選んだのか)


 リアムは日記を読み進め、アドラス伯爵の真意を悟った。


 アドラスは、親友であるバビロの悲劇を繰り返させぬため、百年戦争中にイフリートが封じられた因縁の地である貧民街を、あえて領地として取得しようと動いていたのだ。そこで密かに、イフリートの呪いを受ける末裔の少女たちを保護し、宿命を断ち切る術を模索していた。


 ——その無私の正義感ゆえに、利権を狙うネイスに目をつけられ、彼は命を落とすことになったのだ。


「……バビロさん。とっても強い人なんですね」


 ルナが悲しげに呟く。


 愛する人を奪った魔神イフリートへの、永い歳月をかけた憎しみ。そして、それを共に守ろうとして死んだ主であり、最良の友であるアドラスへの忠義。


 リアムの中で、バラバラだったピースが急速に組み合わさり、一つの恐るべき輪郭を形作っていく。


 バビロはなぜ、ネイスの暴走を止めなかったのか。なぜ、あえてイフリートを復活させるという禁忌の舞台を整えたのか。


 その理由は、狂気的なまでの復讐心でも、主への裏切りでもなかった。


「……イフリートを討伐するためだ」


 リアムの声が、静まり返った書斎に鋭く響いた。


「イフリートは精神体として憑依を繰り返す『不滅の呪い』です。封印されている状態では、その核を完全に破壊することはできない。つまり、イフリートが封じられたままでは、呪いは永遠に末裔を蝕み続ける。だからバビロさんは、あえて儀式を完遂させ、魔神をこの現世に実体として引きずり出したんだ」


 ジレッタが息を呑む。


「……実体化させて、自らの手でイフリートの息の根を止めるために?」


「そうです。呪いの連鎖を永遠に終わらせるために、彼は二十年以上もの年月をかけて準備をしていた。あの四百人の犯罪者を生贄にし、四つ子の少女の寿命をトリガーにしたのは……それらすべての因果を『あの日、あの場所』に集約させ、確実にイフリートを殺し切るための、彼なりの儀式だったんです」


 バビロが姿を消したのは、目的を果たしたからではない。


 実体化したイフリートを完全に滅ぼすために、今もどこかで、たった一人で戦い続けているのではないか。あるいは、深手を負って逃げた魔神のトドメを刺すために、その行方を執拗に追っているのか。


「……彼はまだ、終わらせていないんだ」


 リアムは窓の外、どんよりと垂れ込めた帝都の空を見上げた。


 かつてバビロが愛した太陽のような少女、セレスティーナ。彼女の温もりを奪った劫火(ごうか)を、今度こそ完全に消し去るまで、老執事の冬は終わらない。


「調査を続けましょう。バビロさんが、そしてアドラス伯爵が命懸けで守ろうとしたものの先を。……俺たちが、その決着をこの目で見届けるために」


 テトラは涙を拭い、力強く頷いた。


 書斎に残された古い日記の(ページ)が、風もないのにパラリと捲れ、あたかも新たな物語の幕開けを告げているようだった。


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