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葬霊の鞘と銀の月 ―百年戦争の残滓― 〜神を喰らう魔剣と、奇跡を紡ぐ少女〜  作者: ウィースキィ


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第53話 リアムさま……


 ハンター協会の三階に位置する資料室は、地上の喧騒が嘘のように静まり返っていた。石造りの壁に囲まれた冷え切った空気の中には、古い羊皮紙が放つ微かな埃っぽさとインクの饐えた匂い、そして保存用の魔術触媒が混ざり合った独特の香りが、(おり)のように重く漂っている。


 リアム、ジレッタ、ルナの三人は、壁一面を埋め尽くす膨大な書架を背に、机の上に広げた古びた記録簿と沈黙の中で対峙していた。


 情報の断片を繋ぎ合わせるその作業は、暗闇の中で散らばった宝石を拾い集めるような、根気の要るものだった。


「……見つけたわ。イフリート復活の儀式における、公式な犠牲者数――ちょうど、四百名よ」


 ジレッタが分厚い報告書の(ページ)を指差し、声を潜めて告げた。その指先は、見出した真実の重みに耐えかねるように微かに震えている。


「やっぱり、四百名か」


 リアムは腕を組み、掠れた黒インクで記された不吉な数字を凝視した。


 現在、帝都の軍とハンター協会は、相次ぐ怪事件とネイスの逮捕、そして同時多発的に発生した『死刑囚四百名の脱獄』という未曾有の事態によって、組織としての機能を完全に麻痺させている。各部署が目の前の事後処理に忙殺される中、誰もが『儀式の犠牲者』と『脱獄犯』という、二つの巨大な数字が完璧に一致しているという事実にまで、思考を巡らせる余裕を持てずにいた。


「リアムさま、あの日、貧民街にいた女の子の死体は……みんな、果実が干からびたみたいに、お顔なんて全然分からなかったですよね?」


「うん。だからこそ、軍も協会もこの繋がりに気づけなかった。無理もないことだよ」


 ルナが不安げに記憶を辿った通り、記録によれば魔神復活の生贄となった者たちは、その生命力を根こそぎ吸い尽くされ、ミイラのような変わり果てた姿で発見されていた。それは儀式のトリガーとなった四人の少女たちも同様である。


 人相の照合が物理的に不可能であったことも、当局がこの二つの事件を『別個の災厄』として処理してしまった決定的な要因であった。


「……状況から見て、儀式の犠牲者と脱獄犯は同一であると断定していいだろうね」


 リアムの言葉を合図に、ジレッタが別の資料――『脱獄犯名簿』を猛然と捲り始めた。昇格を目前に控えた彼女に与えられた権限は、今まで固く閉ざされていた捜査記録の深部を暴き出していく。


「……待って。これ、異常よ」


 ジレッタの声が裏返る。彼女はリストに記された犯罪者たちの『逮捕経緯』を一つずつ指でなぞっていった。


「このS級首吊り犯も、この連続爆破魔も……逮捕に関わっているのは、すべてかつてのバビロさんよ。彼が現役のトップランカーだった頃や引退後に自ら捕縛し、檻へ放り込んだ連中ばかり。……それに、これだけじゃないわ」


 ジレッタの手が、ごく最近の記録で止まった。


「アーベルット家にちょっかいを出した盗賊団、屋敷に潜入を試みた暗殺者、利権を狙って襲撃してきた傭兵グループ……。そのほとんどを、バビロさんが私兵と共に『無力化』し、軍に引き渡している。……ここに載っている脱獄犯のほぼ全員が、何らかの形でバビロさんの手によって裁かれ、収監された者たちよ」


(……ここでも、バビロさんが関与しているのか)


 リアムの脳裏に、静謐な笑みを浮かべ、一点の無駄もない所作で紅茶を淹れる老執事の姿が鮮明に浮かび上がる。


 もはや、これは偶然という言葉で片付けられるものではなかった。バビロは、ネイスの背後で、あるいはネイスという都合の良い駒を踊らせることで、イフリート復活という大儀式の全貌を支配していたのだ。


 リアムは資料室の冷たい壁に背を預け、点と線を繋ぎ合わせるように静かに目を閉じた。


(……見えてきたぞ。バビロさんが盤上に描いた『真の意図』が)


 リアムは静かに、自らの推論を紡ぎ始めた。


「状況を整理しましょう。まず、儀式発動の絶対的な引き金となった四人の少女。イフリートに憑依された者の末裔……彼女たちはネイスの組織によって拉致された。だが、不可解なのは彼女たちが『四つ子』であり、かつ『誕生日が儀式の日と同じ』だったこと。こんな都合の良すぎる話は他にないです。まるで、少女たちの命が尽きる日に合わせて儀式を設えたようにも見える」


「ええ、そうね。ネイスは商会の情報網を使い、末裔を炙り出す能力には長けていた。バビロさんはそれさえも利用したのかもしれないわ」


「はい。しかもイフリート復活の儀式を準備できるのは、百年戦争の惨禍(さんか)を知る者――今の帝都ならばオリビアのような上位ランカーか、あるいは元トップランカーであるバビロさんなどの限られた人だけです。……そして、その一人であるバビロさんが、わざわざ自分の手で捕らえて一箇所に集めておいた四百人の凶悪犯たちが、あまりに手際よく脱獄し、あの聖域へ導かれ、儀式の犠牲となった」


 ルナが息を呑む。リアムの推理は、一つの戦慄すべき結論へと収束していく。


「さらに貧民街では、『フードを被った者』が金をばら撒き、罪のない住民たちを事前に避難させていた。……もし、これらすべてがバビロさんの仕業だとしたら、どうなると思いますか?」


「それって、つまり……」


「言い方は酷だけど、……最小限の犠牲で、最大の効果を生んでいるんです。四つ子の少女たちは、誕生日が来れば呪いによってどのみち命を落とす運命にあった。その死を無駄にせず、魔神を呼び出すための『装置』として組み込んだ」


 そこでリアムは一拍置き、言葉を選びながら続けた。


「それに本来、イフリート復活の儀式を強行すれば、生贄として無実の住人数百人が無差別に殺されていたはずです。だがバビロさんは、それを防ぐために住民を遠ざけ、代わりに『極刑を待つだけの犯罪者』を身代わりとして儀式の祭壇へ放り込んだ。そして、魔神復活という世界規模の災厄を、自分たちの手の届く範囲――つまり『あの日、あの場所』へと、強制的に収束させたんです」


 それは、正義とも悪とも断じがたい、神のごとき冷徹な采配だった。


 犠牲になったのは、呪われた宿命によって寿命を迎えた四人の少女たちと、法の外側にいた死刑囚たち。それによって、イフリート復活という事象はある程度『管理された形』で成し遂げられた。


「バビロさんは……最初から、私たちをあの日、大聖堂へ導くためにあらゆる手を打っていた。利用できるものはすべて、自らの過去さえも使い潰して……すべては、イフリートを復活させるために……」


 ジレッタの呟きに、リアムは重く頷いた。


 だが、依然として最大の謎が、黒い霧のように彼らの前に立ちはだかっている。


「……だが、それほどまでの犠牲を払い、禁忌を犯してまで、一体なぜバビロさんはイフリートを『復活』させる必要があったんでしょうか?」


 リアムの手が、腰にある重厚な鎖に縛られた鞘に触れる。


 バビロが本当に求めていたのは、魔神イフリートの復活そのものなのか。それとも、その先にある『何か』――世界を根底から覆すような目的が隠されているのか。


「リアムさま……」


 不安げに見つめるルナの小さな頭を、リアムは安心させるように優しく撫でた。


「行こう。資料室にこれ以上の答えはない。……バビロさんが遺した足跡を、この足で直接追いかけるしかないみたいだ」


 三人は、三階の資料室を後にした。


 背後の闇の中で、膨大な紙の束が隙間風に揺れ、まるであの日犠牲になった者たちの呪詛と溜息が混ざり合ったかのように、カサリと不気味な音を立てた。


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