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葬霊の鞘と銀の月 ―百年戦争の残滓― 〜神を喰らう魔剣と、奇跡を紡ぐ少女〜  作者: ウィースキィ


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第33話 なんだか怖いですね……


 帝都に停滞する湿った空気は、五日目を迎えてもなお晴れる兆しを見せない。リアム、ルナ、ジレッタの三人は、約束された定時報告のためにアーベルット家の壮麗な門をくぐった。


 重厚な書斎の扉が開くと、そこには当主代行としての重責に幾分かやつれた様子のテトラと、その背後に影のように控えるバビロの姿があった。


「皆様、お待ちしておりました。……調査の進展はいかがでしょうか」


 テトラの問いに、リアムは椅子に深く腰掛け、簡潔に事実を告げた。


「貧民街で顕現したあの魔神……。ハンター協会のトップが、あれを特級上位の悪魔、魔神『イフリート』であると断定しました。七つの大罪悪魔にも匹敵する、帝都全土を灰に変えかねない代物です」


「イフリート……」


 テトラがその名に戦慄し、白く細い指を胸元で組む。しかし、彼女が次に漏らした言葉は、意外なものだった。


「……あの、リアムさん。その情報を得たのは、もしかしてハンター協会一位の、オリビア・フローレンス様からでしょうか?」


「え? ああ、はい。……それが何か?」


「やはり。実は、今回ハンターの皆さまに依頼を出す際、リアムさんを指名するようにと助言をくださったのは、オリビア様だったのです。彼女はその時、『今、帝都で最も暇を持て余している男がいる。腕だけは確かだ』と仰っていまして……」


 リアムは思わず眉間に指を当てた。あの大層な椅子に踏ん反り返っていた赤髪の女の顔が浮かぶ。


(あいつ……。そんなこと、一言も言っていなかったぞ)


 内心で毒づくリアムを余所に、ジレッタが周囲を見渡して首を傾げた。


「そういえばテトラさん、他の二人は? 氷結とジャックの姿が見えないようですが」


 その問いには、傍らで静かに控えていたバビロが、一分の隙もない所作で応じた。


「氷結のバルド様からは、今朝方、正式に辞退の申し入れがございました。今回の件は自身の手に余る、と。……そしてジャック様につきましては、昨日から音信が途絶えております。彼の滞在先にも戻った形跡がないとのことで、私兵を動かして捜索させております」


「なんだか怖いですね……」


 ルナが不安げに告げると、ジレッタがそれに続く。


「音信不通ね……逃げたか、あるいは……」


 ジレッタが言葉を濁す。特級上位の魔神が関わっていると知れば、命を惜しむ者が現れるのは道理だ。だが、音信不通という言葉の響きには、形容しがたい不吉さが纏わりついていた。


「これ以上の無理強いはいたしません。……ですが、リアムさん。ジレッタさん。どうか、父を殺し、ミチルダさんを傷つけたこの闇の正体を……ともに暴いていただけますか」


 テトラの真摯な眼差しに、リアムは短く「もちろんです」とだけ答えた。




◆◇◆◇◆◇




 定時報告を終え、一行が屋敷を辞した後。 夕闇が帝都を包み始めた頃、バビロは主人の命を受け、夕食の食材を吟味するために中央広場へと足を運んでいた。


 完璧に整えられた執事服。市場の喧騒の中でも浮き立つほどの上品な立ち振る舞い。彼が籠に選りすぐりの野菜を収めた時、背後から凛とした、しかしどこか親愛の情を含んだ声がかけられた。


「相変わらず、野菜の目利きだけは一流だな。バビロ」


 バビロが静かに振り返ると、そこには軍服の外套を翻し、赤髪を揺らすオリビア・フローレンスが立っていた。


「これは、オリビア様。ハンター協会一位の激務の中、このような場所で何を。……ああ、そういえば、テトラ様から伺いましたよ。リアム様を推薦してくださったとか」


「ふん、あの男は働かせた方が世のためだからな」


 オリビアは歩み寄り、バビロの隣に並んだ。かつてハンターランク二位として名を馳せたバビロと、そんな現役の彼に十歳の頃から三年間、剣と魔力の扱いを叩き込まれたオリビア。二人の間には、師弟であり、疑似的な親子に近い空気が流れていた。


「……バビロ。単刀直入に言う。私はお前を疑っている」


 その言葉に、バビロは驚いたふうもなく、穏やかに微笑んだ。


「おやおや。かつて私の後ろをついて回っていた幼い少女が、随分と生意気なことを仰るようになりましたね。……具体的に、私にどのような嫌疑が?」


「証拠はない。……だが、私の勘が告げている。あのイフリートのロスト、そしてアーベルット家の周辺で起きている一連の『出来すぎた惨劇』。その中心で、最も汚れを知らない顔をしているのは、お前だ。バビロ」


 オリビアの紅蓮の瞳が、至近距離からバビロの銀縁眼鏡の奥を射抜く。一位としての圧倒的な殺圧。並の者なら失禁して逃げ出すような重圧を、バビロはそよ風でも受けるかのように平然と受け流した。


「オリビア様。私はアーベルット家の使用人でございます。主家の安寧こそが私の存在意義。……今のあのご一家の状況を見て、私が喜んでいるとでも?」


「……お前という男は、たとえ世界が滅ぶ瞬間でも、主に完璧な紅茶を淹れていそうな男だ。その『完璧さ』が、今の私には不気味で仕方ない」


 バビロは困ったように肩をすくめ、籠を持ち直した。


「高く評価していただき、光栄です。……ですが、勘だけで動くのは、ハンター協会第一位の職責としては些か軽率かと。……ああ、そうだ。今夜はテトラ様が好まれる子羊の香草焼きを作る予定でして。もしよろしければ、貴女の分も用意いたしましょうか? 貴女も昔、よく私の料理をねだって泣いていたでしょう」


 その言葉に、オリビアの頬が僅かに赤らむ。


「……っ、そんな昔の話をするな! 今の私はハンター協会の第一位だ、泣くわけがないだろう!」


「ふふ、失礼いたしました。……では、私はこれで。主人がお待ちですので」


 バビロは優雅に一礼し、黄昏の雑踏へと溶け込んでいく。その背中を見送りながら、オリビアは苦々しく吐き捨てた。


「……食えない男だ。だがバビロ。もしお前が本当に道を違えているのなら……私は、教えられたその剣で、お前を止めるぞ」


 その声はバビロに届いていたのか、いないのか。 家路を急ぐバビロの足取りは、どこまでも軽く、淀みがない。


(ああ、オリビア。貴女は本当に……。私が教えた通り、鋭く、正しく育ちましたね)


 バビロの唇が、慈愛に満ちた、しかしどこか冷ややかな弧を描いた。


 帝都の闇は、今夜も着実にその濃度を増していく。


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