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葬霊の鞘と銀の月 ―百年戦争の残滓― 〜神を喰らう魔剣と、奇跡を紡ぐ少女〜  作者: ウィースキィ


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第34話 閲覧権限


 帝都の朝を切り裂くような鋭い冷気の中、ジレッタは吸い込む空気の痛さも忘れて路地裏を急いでいた。向かう先は、街の端にひっそりと佇む、偏屈で知られる老職人バラムの工房だ。


 彼女が背負う袋の中には、無残に折れた『半身』が眠っている。


  この世界における『魔剣』とは、悪魔の骨を素材とし、その悪魔が生前に心から魂を許した相手にしか扱えないとされる血の契約の証だ。


 しかし、ジレッタの剣はさらに業が深い。かつてハンターとして戦い、散っていった実の父親の遺骨。そして、父と魂を分かち合った契約悪魔である先代アヌビス、つまりはアヌビスの父親の骨。その二つを掛け合わせ、家族の愛と絆を無理やり形に留めた、執念の結晶だった。


 森での敗北以来、彼女の心は絶えず震えていた。剣を折られたことは、父を、そして先代アヌビスを、自分の未熟さゆえに再び死なせてしまったも同然だったからだ。


「……バラムさん。ジレッタです。入るわよ」


 煤けた重い扉を押し開けると、暴力的なまでの熱気と、焦げた油の匂いが鼻を突いた。奥の作業台には、一振りの剣が静かに鎮座していた。 かつての傷跡は消え、以前よりも深く、鈍い銀色の光沢を放っている。それはまるで、深い眠りから覚めた生き物が静かに鼓動を刻んでいるかのようだった。


「……無事に繋ぎ合わせた。一分の狂いもねえはずだ。文句はあるまい」


 バラムは顔も見せず、作業机に向かったまま顎で剣を示した。 ジレッタは祈るような心地で、震える指先をその柄に這わせる。


 触れた瞬間、爆発的な情報の濁流が彼女の脳内を駆け巡った。 幼い頃、自分を抱き上げた父の大きな手の温もり。そして、常に傍らで静かに牙を研いでいたアヌビスの、荒々しくも気高い魔力の脈動。それらが以前よりも鮮明に、より近くに感じられた。


「あ……ああ……っ」


 喉の奥から、熱い塊がせり上がってくる。ジレッタはその場に崩れ落ち、修復された魔剣を抱きしめるようにして泣き崩れた。涙が、熱を帯びた石畳にこぼれ落ち、小さな音を立てて蒸発していく。


「よかった……本当に、よかった……。ごめんなさい、父さん、アヌビス……。私、もう二度とあなたたちを離さない。もう決して、この剣も、私の心も……何があっても折れはしないから……っ!」


「……当たり前だ、馬鹿者が。湿っぽい面してんじゃねえ」


 バラムは鼻を鳴らし、火床を弄んでいた火箸を乱暴に置いた。振り返ったその顔は煤で汚れていたが、眼光だけはジレッタの覚悟を射抜くように鋭い。


「お前のその、折れた骨を拾い集めるような執念……預かった時から嫌ってほど伝わってきたよ。だからよ、ただ繋ぎ直すだけじゃ俺の気が済まなかった。最高品質の魔鋼を贅沢にぶち込み、芯から叩き直してやった。お前の親父とその悪魔の骨が、これまで以上に深く溶け合い、馴染むようにな」


 バラムはぶっきらぼうにタオルを投げつけ、再び背を向けた。


「強度も魔力浸透度も、以前の倍じゃきかねえ。……いいか、今度そいつを折るようなことがあったら、その時はお前の命が尽きる時だと思え。……せいぜい死ぬんじゃねえぞ。その剣は、お前が生きている限り、お前の家族そのものなんだからな」


 ぶっきらぼうな物言いの裏にある、職人としての、そして一人の人間としての不器用なエール。ジレッタはその温かさを胸に刻み、強く、強く剣を握りしめた。


 家族の魂を宿した魔剣が、彼女の決意に応えるように、朝の闇を切り裂く鮮烈な青い光を放った。




◆◇◆◇◆◇




 工房を後にしたジレッタは、修復されたばかりの魔剣の重みを背中に感じながら、ハンター協会本部へと向かった。


 協会からのハンターランク昇格に関する緊急呼び出し――本来なら昇格などは二の次のはずだったが、今の彼女にはどうしても手に入れたい『権限』があり、自然と歩む速度は速くなる。


「ジレッタ様、お待ちしておりました」


 受付嬢はジレッタの姿を認めると、恭しく一通の書状を差し出した。


「おめでとうございます。先の森での一件、および七つの大罪悪魔ベルフェオン二世とその眷属との交戦記録が精査されました。これを受け、本日付で貴女のハンターランクを『九』から『七』へと二段階昇格させることが決定いたしました」


「……七に?」


 ジレッタは驚きに目を見開いた。ランク七は、帝都においても一握りの実力者のみが冠する称号だ。しかし、彼女の関心は即座に別の方向へと向いた。


「ランク七になったのなら……過去の『特級機密』の一部を閲覧する権限も与えられるわね?」


「はい。三階の資料閲覧室にて、魔法封印された書物のうち、ランク七に開放されている区画までなら閲覧可能です」


 ジレッタは礼もそこそこに、大理石の階段を駆け上がった。


  自分が認められた喜びよりも、今、彼女を突き動かしているのは、リアムという男の正体に対する激しい渇望だ。オリビアやバビロ、あの一線級の者たちが見せている、リアムへの隠しきれない敬意と畏怖の正体。それを知らなければ、対等に隣を歩くことなどできない気がしていた。


 三階の資料閲覧室は、静謐と古い紙の匂いに包まれていた。ジレッタは巨大な書架の奥、青い魔力の光が揺らめく特定区画へと足を踏み入れる。


「……リアム、そしてアイテリエル」


 彼女がその名を口にしながら、ランク七の紋章が刻まれたリングを書物に触れさせると、絡み合っていた魔力の鎖がパチパチと音を立てて解けた。ジレッタは震える手で、色褪せた羊皮紙をめくる。


 そこに記されていたのは、およそ信じがたい、まるで『神話』の記録だった。


『……二十年前、百年戦争を集結へと導いた最大の功労者、リアム。当時十七歳。魔力を無効化する極めて稀な特異体質の保持者』


(二十年前……? じゃあ、あの姿で、今は三十七歳だっていうの……?)


 衝撃を受けるジレッタの瞳が、さらに凄惨な記述を追う。


『契約悪魔:アイテリエル。魔界の辺境、その最奥に数百年間厳重に封印されていた規格外の個体。その魔力は膨大かつ猛毒であり、悪魔皇帝ですら半径1キロ以内に近づけば即死するとされた「世界で最も孤独な悪魔」である』


 記述によれば、その孤独な深淵へ唯一近づくことができたのが、魔力を無効化できる少年リアムだった。アイテリエルにとって初めての『友達』となったリアムは、彼女と契約することでその破壊的な魔力を自身の体質で中和し、比類なき『浄化の力』へと変えた。


『……リアムはアイテリエルの魔力を借り、自身の類い稀なる剣の才能で以て、数多の高位悪魔、さらには魔界の最高戦力である七つの大罪悪魔をも屠る英雄となった。尚、アイテリエルとの契約の副作用により、彼の肉体は十七歳のまま成長を止めている――』


「……嘘でしょ。そんなこと、人間ができるわけが……」


 ジレッタの指先が冷たく凍りつく。ページをめくる音が、静まり返った室内で異様に大きく響いた。

 

  しかし、その先を読もうとしたとき、文字がどす黒い魔力に覆われ、判読不能となった。


『警告:これより先の「アイテリエルの死因」および「リアムの詳細な足取り」はランク二以上の特級秘匿事項。現在の権限では閲覧不可』


「なっ……! ここから一番肝心なところじゃない……!」


 ジレッタは何度も書物をめくったが、魔法の制限は非情だった。


 分かったのは、リアムがかつて『英雄』として、神に近い悪魔と共に地獄を駆け抜けたという事実だけ。そして、その唯一無二の相棒を失い、今はただの『死に損ない』を自称して、ルナという幼い悪魔を連れているという歪な現状。


「リアム……あんた、そんな地獄を終わらせて、まだ一人で戦おうとしているの……?」


 資料室の闇の中で、ジレッタは修復されたばかりの魔剣を抱きしめた。


 知れば知るほど、彼の背負う闇の深さが、今の自分にはあまりに遠く、そして絶望的に感じられた。


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