文学部はマンガ・映画・ゲームに対応できるか
文学部は、いま、分岐点に立っている。それは、小説の研究から、マンガ、映画、ゲームを研究するように変化しつつあるということだ。
文学部とは物語を扱うところであり、その対象は小説、詩、戯曲だけに限らない。
東京大学の文学部は、小説だけでなく、マンガ、映画、ゲームを積極的に研究しているので、そのうち、全国の文学部が小説、マンガ、映画、ゲームのすべての物語を研究するようになるのだろう。
物語研究の歴史というと、ハーバーマスによれば、十八世紀の読書をする市民が最初の公共的な市民だったことに始まる。十八世紀から良き市民を作るための小説の研究が進んだ。
小説の研究とは、「この小説を読むと、こういうことに気付き、こういう可能性を考える」というものであるらしい。
このような物語の研究が盛んに行われた。
小説の他に、演劇というものも大衆に人気があったが、演劇は文化を保存するのが難しく、研究は難しい。
そして、二十世紀は映画の世紀だった。映画やテレビ番組などの動画の物語が人々の教養を作った。
マンガも盛んに作られた。
二十一世紀はゲームの世紀になるといわれている。これからの最も洗練された物語媒体はゲームであり、ゲームの物語の研究が行われている。
このように、いま、小説だけの研究だった文学から、もっと多様な媒体における物語の研究に文学部の研究が移行しつつある。
何ごともほどほどが肝心で、小説の読みすぎは疲れるように、映画の見すぎも疲れるし、ゲームのやりすぎも疲れる。映画やゲームがより大衆的な娯楽だとしても、小説と同じで、本格的に物語を研究できる人材は限られている。
映画を二時間見るのも苦痛だという人は大勢いて、物語というのは、意思の強いものが好んで鑑賞する傾向がある。
マンガを研究する学科、映画を研究する学科、ゲームを研究する学科のある大学は我が国に少しずつ現れていて、やがて文学部の主流に変化すると思われる。
面白い物語を作るのは本当に難しいものであり、私は映画を400本くらい見たが、二時間ずっと楽しんで見れるという映画は50本くらいしか知らない。残りの350本には鑑賞にストレスがともなう。
しかし、私の厳選したおすすめ映画50作を一週間に一本ずつ見て、一年の五十二週間をすごせば、それは信じられないくらい幸せな一年間になるだろう。
同じように、私の厳選したおすすめ小説100作を数年かけて読めば、それは信じられないくらい幸せな数年間になるだろう。私のおすすめ小説はそこまで面白い。
それなのだが、文学部の変遷をさまたげる大きな要因がひとつある。物語研究は虚学であり、簡単な学問であり、面白い学問である。それに対して、現実生活の諸学、文学以外の人文社会学、理系科学、とりわけ、いま注目されているコンピュータ科学は、困難な学問であり、面白味の少ない学問である。人類が必要としているのは、物語より実学をがんばる人材である。実学をがんばる人材が、悔しい気持ちがしては、国家の経営としてうまくない。実学をがんばる学生、社会人を強く応援する国家が幸せな強い国家を作るのである。
物語を研究している文学部にばかり女が集まり、文学部に行った軟弱な男が女子大生にモテモテになるのは、本当に国家として面白くないのである。それはふせがなければならない。
そのため、文学部の小説中心の研究から、マンガ、映画、ゲームの研究への移行は、全体のバランスを見て、慎重に行われなければならない。
だが、いずれ、文学部は、小説中心の研究から、マンガ、映画、ゲームの研究も行うようになると思われる。その変化がうまくいけばいいと願っている。




