第082話「Upload Failed.」
「――それでは、ご質問がないようですので、これで技術サイドの質疑応答を終わります。
何かあれば、すぐにご連絡ください」
広瀬あかりはオンラインミーティングの画面へ向かって静かに頭を下げた。
カメラランプが消えたのを確認すると、すぐにインカメラの物理シャッターを閉じる。
その瞬間、肩の力が抜けた。
「やっと終わった……」
椅子へ深く腰を下ろし、小さく息を吐く。
まだ残務はある。
それでも、張り詰めていた緊張が解けたことで、ようやく一息つける気がした。
「お疲れさん。昼休み無視して納品させられるって、なかなかだね。さすがブラック案件というか……
弊社も大概だけど、向こうのシステム運用担当者には同情してしまうよ」
仁科翔子がコーヒーの入ったマグカップを机へ置き、そのまま隣へ腰掛ける。
時計を見ると十三時半。
納品作業が始まったのは十時半だった。
気がつけば三時間もモニターと向き合っていたことになる。
「でも、私はオンラインでの質疑応答に対応しただけっスからね。しかも、この格好で働けるとか気楽で仕方ないっス」
広瀬は自分の服装を見下ろした。
上は淡いグリーンのブラウス。
だが、カメラに映らない下半身はスキニーデニムにスニーカーという完全な私服だ。
開発部なのだからラフな服装で十分だと思うのだが、本部はなぜか男女問わずスーツを求めてくる。
その点、美波島の仮オフィスは自由だった。
責任者の仁科が服装にも働き方にも寛容で、残業も極力させない。
いっそ独立して会社を作ってくれたら最高なのに、と広瀬は密かに思っている。
「それよりも、朝からシステムの操作説明会をひとりでやってる尾本先輩の方が心配っス」
今回の案件はクラウドベースのシステムだ。
納品といっても実態は操作説明会に近い。
そのため尾本は現地で説明役を担当し、広瀬は技術的な質問への対応役として遠隔参加していた。
「そうだな。しかし、対面で操作説明してほしいっていうクライアント、まだまだ多いよね」
「本当っスよ。クラウドベースのシステムなのに、対面での操作説明を希望するとか……
業務をデジタル化したいって言ってるのに、アナログにこだわる矛盾にうんざりっス」
録画もできるオンライン説明会の方が合理的なはずだ。
それなのに現場では、尾本が質問攻めにあっていた。
中には関係のない他社製アプリの操作方法まで聞いてくる人もいたほどだ。
「先輩をひとりで本部に置いてきたのって、本当によかったのかな……」
先ほどモニター越しに見た尾本の姿を思い出す。
客先ではいつも営業スマイルを崩さず、冗談を交えながら場を和ませる人だ。
だが今日は口数が少なかった。
気のせいか、目の下には薄く隈まで見えた。
「可愛い後輩ちゃんに心配してもらって尾本は本当に幸せものだ。妬けるねぇ」
仁科が整った顔をわざとらしくニヤつかせる。
広瀬はその手には乗るものかと、そっぽを向いた。
「それより、もうお腹ペコペコっスよ。仁科さんも昼休みをズラしてくれたんスよね?
どっか食べに行きません?」
「そうだな。歩いて行ける距離に海鮮丼が美味しい定食屋があるんだけど、どう?」
「やった! 海鮮丼! ウニあるかな、ウニ!」
色気より食い気。
美波島へ来てから、まだ本格的な海鮮を食べていない。
透き通った海と新鮮な魚介を思い浮かべるだけで、空腹が加速する。
そんな反応が面白かったのか、仁科は笑いながら立ち上がった。
――だが、不意に動きを止める。
「あれ?」
仁科の視線はモニターへ向いていた。
彼女の眼鏡に、進捗バーの青い光が反射している。
「どうかしたっスか?」
「いや、さっき本部のサーバーにデカいファイルをアップロードしようとしたんだけど失敗してね。
何も考えずにリトライしたんだけど、今度はうまく行きそう。あと五%……」
「うまくいったなら良かったじゃないっスか?」
「でも残り五%が妙に長いというか……あ、四%になった」
仁科は首を傾げた。
「回線状況が良くないんスかね?」
「……まあ、小さな離島だからな。
おっと! 定食屋は十四時でオーダーストップだったわ」
時計を見る。
残り二十分もない。
「ちょっと、そういう事は先に言ってくださいよ! 私のウニが逃げる!」
広瀬は仁科の背中を軽く押しながらオフィスを出た。
「待て待て、日傘がないと死ぬ!」
ガチャリ、と扉が閉まる。
続いてセキュリティ起動音が鳴り、室内の照明が自動的に落ちた。
薄暗くなったオフィスの中で、モニターだけが青白く光っている。
画面には進捗バー。
残り四%。
そのまま、ぴたりと動きを止めた。
数秒後。
冷たい警告音と共にエラーメッセージが表示される。
――Upload Failed.《アップロードに失敗しました。》
――Please try again later.《再度実行してください。》
やがて省電力モードが起動し、モニターの光も消えた。
静まり返ったオフィスは、ゆっくりと闇に沈んでいった。




