第076話「お・も・と・く~ん♡ 来ちゃった♡」
開発室の電話が一度だけ鳴る。尾本は手を伸ばした電話のディスプレイに、一瞬だけ『内線:営業部』の文字が表示されたのを見た。
「何がしたかったんだか……」
尾本はふと、かつて流行した〝ワン切り〟を思い出した。着信履歴を残して相手に折り返しをさせるというヤツだ。
そんなことをぼんやり考えていると、開発室のドアがけたたましくノックされ、返事も待たずに米田原営業部長が満面の笑みを浮かべて入ってきた。
「お・も・と・く~ん♡ 来ちゃった♡」
米田原部長は50代後半、尾本以上にダイエットが急務と思われるふっくら体型と、福耳に丸みを帯びた顔立ちが特徴的だ。商売繁盛を司る恵比寿様そのもののように朗らかではあるが、彼が持ち込むのはいつも厄介な案件ばかり……。
開発室のメンバーはそんな米田原部長を「恵比寿顔の貧乏神」と陰でこっそり呼んでいた。
「〝来ちゃった〟じゃないですよ、米田原部長。今は昼休み中です」
「そうそう。内線電話をかけた後で、尾本くんに『昼休み中に内線をかけるな』って言われたのを思い出してね。あわてて電話を切って会いに来たってわけ」
――いや、そういう事じゃねえよ! 昼休みに仕事の話をするなって言ってんの!
と言ってやりたい気もしたが、ぐっと我慢した。相手は一応、役職持ちだ。
だが、どうにもソレも納得いかない。同じ会社組織なのに、営業部門は『営業部』で、一方の開発部門は『開発室』だ。そして、営業部には部長がいるのに、開発室にはその役職すら存在しない。
弊社の偉大なるシャッチョサーン曰く「時代の最先端を担う開発部門は組織構造も最先端にフラットであるべき。よって、開発メンバーには役職を付けないほうがイケてるIT系っぽくてイイ!」とのことらしい。
ただし、それだと責任者が不在になるので、システムエンジニア(SE)の尾本コウとプロジェクトマネージャ(PM)の仁科翔子が〝責任はあるけど、権限はない〟という謎のポジションである【リーダー】を任される羽目になっていた。
ちなみに、そんな状況にも関わらず「どうして弊社の開発部門は人が集まらない上に、定着率が低いんだろう?」と上層部が首を傾げているのだから笑えない。
「――それで時間がないからさっそく仕事の話をするけどね」
「いや、ですから……今は昼休み中でして」
「またまたご冗談を! 尾本くんは相変わらず面白い事を言うな~」
「どこが冗談で、なにが面白かったのか分かりかねますが……
とりあえずご要件を伺いましょうか」
「そうそう。実は新規案件の話があってね。大丈夫? メモを取らなくていい?」
尾本の皮肉を見事にスルーし、米田原部長が座る場所を探して辺りを見回す。なんとなく広瀬の席には座らせたくなくて、部屋の奥の小さな会議スペースへの移動を促した。
「新規案件ですね? まあ、開発室の現状は分かってらっしゃると思いますが……
現在はSEの自分ひとりしかいませんからね。どんな案件であれ、まずはプログラマー(PG)の広瀬さんが帰ってくる二週間後からの着手になります。先方はそれでも大丈夫でしょうか?」
「あ? あー はいはい。そっか、そうだよねー」
米田原部長が、恵比寿顔をわざとらしく曇らせる。
尾本はこれまでの経験から、米田原部長のその表情に『危険』を感じ取った。
「……まさかとは思いますが、受注済みって事はないですよね?」
「さすが、尾本くん! 正解! 受注済み! 凄いね、君は!」
悪意のない笑顔で米田原部長が答える。
「ちょっと待ってください。開発室の現状を知らなかったわけじゃないですよね? 自分以外の全開発メンバーが本社にいない事は周知の事実ですし」
「それは知ってるよ。もちろん知ってる。そして、例の案件の納品日が明日なのも知ってる」
「ならなんで――」
「つまり、明日からは尾本くんは暇になるって事でいいんだよね?」
「そうはならんでしょう。アフターサポート業務もありますし、現在動いている他業務もあります。それ以外にも社内システムの保守とか……そもそも自分はSEであってPGではありません」
「でも、あれでしょ? SEってPGの上位互換みたいなもんでしょ? 尾本くんは心配性というか真面目というかアレだよね。『能ある鷹は爪を隠す』ってタイプだよね。かっこいいとは思うけれど、やり過ぎは逆に嫌味ですぞ?」
再び贅肉を揺らして大笑いする米田原部長。その姿を見つめながら、尾本は大きく肩を落とした。
いつものこととはいえ「なんでこんなことも分かってもらえないんだ」という思いが湧き上がってくる。
以前に米田原部長にも分かりやすくと、彼の好きなプロ野球に例えて「SEが監督なら、PGは選手のようなもの。監督に選手を兼任させて、いい試合ができますか?」と説明した事があったのだが、返ってきた返事は「むしろできそうな気がする」だった。
(駄目だ。どう考えても、この人とわかりあえる気がしない。)
「それにしても、PGの広瀬さんが早くSEにレベルアップしたらいいのにね。そしたら尾本くんも少しは楽になるんじゃないかな」
米田原部長の無神経な言葉が続く。自分に対する事なら我慢できるが、後輩を侮辱するような発言には心底怒りが込み上げてくる。ここは早々に要件だけ聞いて、話を切り上げるべきだろう。
尾本は深呼吸し、限りなく怒りを抑えた声で話を促す。
「ところで、その案件の納期は?」
「二週間後」
「はあっ!?」
思わず上ずった声をあげた。だが逆に考えると『二週間で終わる規模の案件』という事か?
「驚いた? 本当は今週末だったんだけど伸ばしてもらったんだよ」
「では、そもそも一週間で終わる程度の小規模案件ということですか――」
だとするなら、内容にもよるが何とかなるかもしれない。
「あ? あーはいはい。なるほど、なるほど。そうか。そうきたか〜」
米田原部長が、恵比寿顔をわざとらしく曇らせた。
尾本の本能が迫りくる新たな危険を察知する。
「その反応は、小規模案件ではないという意味ですか?」
「いやいやいや! 小規模、小規模! ぜんぜん、小規模!
ただ、何と言うか……まあ、その……だよね」
言葉の後ろが小さくなり、ほぼ聞こえない。その様子に尾本の不安がますます募る。
「すみません。よく聞こえませんでした」
「受注したのが、二週間前だったんだよね」
尾本は一瞬、目の前が真っ白になるような感覚に襲われた。
「二週間前に受注した案件を、今、話したと?」
「その件に関しては、私も言い分はあるんだよ。言い訳になるから言わないけど」
「そして、今週末に納品だった物を、一週間伸ばしてもらった、と?」
「そうそう! そういう事! 今回は僕も尾本くんのためにがんばったんだよ、納期交渉!」
「つまり、クライアントが三週間かかると想定している規模の案件を、二週間で終わらせろ、と?
しかも、PG不在の状況で? SEがひとりしかいない状況で?」
「ほらほら! そんな怖い顔しないで! スマイル、スマイル! 笑う門には福来たるってね!」
恵比寿顔の貧乏神は、後光でも放つかのような満面の笑顔をしてみせる。
尾本は、その笑顔の眩しさに当てられ、再び意識が遠のくような感覚に襲われた。




