第075話「牧村知世です。6年生です」
夏休みの初日。まるで予想外のことが目の前で起こっていた。学習支援プログラムを受けるためにやってきた高校の食堂。
魔王軍幹部である踊り子シセこと牧村知世は、ひとりでベンチに腰掛けていた。手には買ったばかりの菓子パン。「さて、一口……」と食べようとしたその瞬間――
目の前の男子高校生、宿敵である『勇者アヤト』に視線が釘付けになってしまう。
思わず手にしていた菓子パンが握りつぶされる。中のチョコホイップクリームが吹き出した。
どんだけ、みっちりクリームを詰め込んでいるのだろうか、この菓子パンは。
――いや、それどころではない。問題は、この勇者だ。
(勇者アヤトって、本人とアバターの見た目、そのままなの?!)
目を白黒させ、菓子パンを握りしめる小学生……明らかに挙動不審かもしれないが、アヤトは友人と思われるふたりの生徒と話すのに夢中であり、こちらにまったく気づいていないのが幸いだった。
「――それで、成績上位者である君たちにも講師役をやってもらいたいんだけど」
アバター・シセによく似た女子生徒がアヤトに何かを頼み込んでいる。信じられない光景だ。ここまで偶然が重なると、どこから突っ込んでいいのか分からない。
自分が使っているアバター・シセは、知世が愛してやまない伝説的マイナー格闘ゲーム『フォークロア・シャドウ・アサルト』……略してFSAのキャラクター『幻惑の踊り子シェラザード』であり、現実に存在する人間をモデルにしているわけではない。
――しかし、目の前の女子生徒の姿はどうだ?
よくよく観察してみると、彼女があえてシェラザードに寄せていることに気づく。
その証拠に、彼女のポケットからはFSAの隠しキャラ『音速のパタスモンキーさん』のラバーキーホルダーが飛び出しているではないか。
それは初回限定版にだけ同梱されていたレアアイテムだ。隠しキャラなのにグッズが初回限定版に同梱されているという意味不明さが、逆に伝説を加速させている。正直に言うと、写真でしか見たことがないあのキーホルダーが、喉から手が出るほど欲しい。
(いや違う。そういう話じゃない。落ち着け、落ち着け! 落ち着け!)
たまたまアバター・アヤトとたまたまアバター・シセに似た人がいて、たまたま目の前にいるだけかもしれない。何もかもが偶然なのだ。
ホイップクリームまみれになった手を拭き、コーヒー牛乳のパックにストローを刺す。
落ち着こう。こういう時はコーヒー牛乳を飲めば、だいたい落ち着く。
「――とくに綾人くんには期待してるわよ」
「ブーーーーー!!」
思わずコーヒー牛乳を吹き出し、むせる。
――ちょっと、勇者アヤトよ! 名前までそのままなの?!
いや、こっちも『知世』という本名を『シセ』にしているだけだけど!!
「あらあら! 大丈夫?」
さすがに異変に気がついたようで、アバター・シセ……に似た女子生徒がハンカチを持って駆け寄る。
「す、すみません。ちょっと気道に入っちゃって……」
「あらあら。クリームパンまで握りつぶしちゃって」
女子生徒が心配そうに知世の背中をさする。
「だだだ、大丈夫です! 大丈夫! 大丈夫!」
頼むからほっといて欲しい。自分が一度に処理できる情報量を超えている。心の中の動揺を隠そうとするが、ますます焦りが増す。 そして、恐れていた事態が進行した。ハンカチで口元を拭って顔を上げると、そこには勇者アヤトの顔。同じ目線の高さまで腰を下ろし、知世の顔を真剣な表情で覗き込んでいるではないか。
(――しまった! バレたか!)
「うん。ちょっと顔が硬直しているようにも見えるけど……顔色は良さそうだね」
勇者アヤトはそう言って、にっこりと微笑む。
どうやらバレてはいないらしい……まあ、冷静に考えてみれば自分の正体がバレる要素は皆無なのだが。
「念のために保健室に連れていきますか、鷹村先輩? 気道に入ったって言ってるし」
勇者アヤトが女子生徒に確認している。どうやら彼女の方が上級生らしい。
「あ、いや。本当に大丈夫です。ありがとうございます。もう大丈夫!」
心配をかけたことに頭を下げつつ『昨日はあんたにまっぷたつにぶった斬られたんだが?』とも思ってしまう。しかも、魔王様からいただいた星詠みの腕輪ごとだ。絶対に許さん。
「それじゃあ、具合が悪くなったら遠慮せずに言ってね。
私は生徒会長の鷹村美緒です。君は学習支援プログラムに参加する子かな? お名前を聞いていい?」
鷹村美緒と名乗った女子生徒が穏やかな声で聞いてくる。
「牧村知世です。6年生です。ちょっと勉強が遅れてて、この夏に少しでも取り戻したいなって……」
「うん! トモヨちゃんは立派だね! 任せて、任せて! そんなやる気のある君の担当には、我が校が誇るエリートくんを用意するから!」
(あー なんだろー 完全に嫌な予感しかしないんだけどー)
「その名も広瀬綾人くんです! 彼は勉強を教えるのが上手いよ」
予感が的中した。フルネームは広瀬綾人か……
「いや。僕は講師をやるなんて一言も言ってませんが」
勇者アヤト……広瀬綾人が困惑した表情を鷹村美緒に向ける。
「すみません。個別指導なら女の人にお願いしたいです……」
広瀬綾人に恨みはないが、勇者アヤトには恨みしかない。星詠みの腕輪を失ったせいで、こちらの勇者アバターは大幅にパワーダウンしてしまっている。
「おやおや、早くも意気投合ですなあ。でも、残念! もう私の中では決定事項だから!」
まるで話を聞いていないであろう鷹村美緒が心底愉快そうに高笑いする。
(なんて人だ!)
「すみません。俺、また存在を忘れられてるっぽいんですけど」
いつの間にかそこにいたメガネ男子が寂しそうにぼやく。
「茶山くんの存在を忘れてた」
「美緒ちゃん先輩、酷え……まあ、いいや。俺がトモヨちゃんの担当しましょうか?」
「ごめん。なんか茶山くんに女の子の担当はさせたくないっていうか」
「ますます、酷え!」
茶山と呼ばれたメガネの男子生徒が抗議の声を上げるが、綾人は真剣な表情で考え込む。
「……いや、待てよ。晴秋って『小さい女の子が好き』って言ってたよな。そうなると、僕が担当をしたほうが……安全?」
(なにそれ。本気で怖いんだけど)
「言ってねえよ、そんなの! 年下が好みとは言ったけど!」
「うわ……ごめん、茶山くん。今後は私の半径1km以内に近寄らないでくれる?」
綾人の後ろに隠れた鷹村が、怪訝な顔を茶山に向けた。
「まさかの登校禁止! 俺、生徒会役員なのに!」
「ついでにパンも没収ね」
そう言うと、鷹村が茶山の手から素早く紙袋を奪い取る。
そして、紙袋の中からチョコ生クリームパンを取り出して、知世に手渡した。
「はい。これ、あげる。私がもらう予定だったヤツだから気にしなくていいよ」
思わず受け取ってしまったが、どうしたものかと眺めてしまう。
「仕方ないね。責任をもって僕が担当させてもらうね。これはお近づきのしるし」
綾人は手にしていたコーヒー牛乳を差し出す。
「いや、えっと、あの……」
断り方が分からず、再び目を白黒させた。
(というか担当が決定してるし!)
「ところで茶山くんはいつまで私の半径1km以内にいるつもりなの?」
「ちょっと、それ本気だったんですか? 綾人、何とかしろよ。お前のせいだぞ」
茶山が、助けを求めるように綾人に目をやる。
それに気がついた綾人が『いいアイデアを思いついた!』と言わんばかりにポンと手を打った。
「安心しろ、晴秋。今ならリモート授業という手も、ある」
「いや、そういう事じゃないだよ」
綾人は相変わらず真顔である。
(私より歳上なのに素直すぎるっていうか……ああ、そういう奴だから、名前も勇者アバターもそのままなのか)
「綾人くん、意外と冗談が上手だったんだね」
鷹村が綾人の背中をばんばん叩きながら笑う。
「美緒ちゃん先輩……綾人は冗談じゃなくて、七割ぐらい本気で言ってるから怖いんですよ」
「そんなことはないぞ。僕はいつだって100%だ」
「なお、悪いじゃねえか」
一斉に三人が笑い、知世も釣られて笑ってしまう。
そして、はっと気づいて思わず菓子パンで口元を隠してしまった。笑い顔など隠すものではないのだろうが、久しぶりに子供らしい感情を表に出してしまったことが、少しだけ恥ずかしかった。
ましてや、自分に優しげな視線を向ける綾人にだけは、この顔を見られたくなかったのだ。




