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第004話「困った時のあかりちゃん(後編)」

「あとで話を聞く? 帰りに居酒屋に行くってことっスか?」


 広瀬がキラキラと目を輝かせる。これはアレだ。「奢ってもらうっス!」という目だ。


「そういうつもりじゃないんだけど……

 まあ、いいか。広瀬が行きたいって言うんなら」


「だったらですね! この前の接待帰りに先輩と行った居酒屋がいいっス!」


「それって『安い!不味い!量が多い!』って自分で言ってたあの店か?

 俺の趣味じゃないから記憶から消してたわ。なんて名前の店だっけ?」


「人喰い居酒屋『桃色トカゲ』っスね!」


 広瀬はスマホに保存した写真を見せながら、無邪気に答える。


「名前まで最悪だな」


 言われて、店内のカウンター席の記憶が脳裏をよぎる。

 雑然とした店内、ベタついてギラつくテーブル、そして空腹時には許せた大味が思い出される。『桃色トカゲ』という店名が描かれた古びた看板の、やたら毒々しいピンク色が目に痛かった。


 幼い頃から絵画や音楽、文学に触れて育ってきたせいか、尾本はこうした無神経な色彩や雑然とした空間が苦手だった。接待で酔い潰れていなければ絶対に行かないタイプの店である。


「あの店の、ギトギトしたジャンキーな油そばが忘れられないっス!」


「そりゃいいけど、なんで俺と似たような食生活してるのに、広瀬は太らないんだよ?」


「体質っス!」


 広瀬が元気よく答える。


「げせねぇ……」


「まあ、あとはあれじゃないっスか? 先輩はお酒飲むけど、私は下戸っスから」


 広瀬の発言を聞いて、尾本はふと考える。言われてみれば広瀬は一滴もお酒を飲まない。ただし、その分やたら食べる。そこがまた子供っぽい。飲み会の席でウーロン茶を片手に、大皿の料理をひとりで黙々と片付ける姿は、まるで成長期の少年のようだった。

 食べ放題の焼き肉に連れて行った時なんかは、あまりの食べっぷりに「この子の前世は火力発電所なんじゃなかろうか?」と思ったほどだ。うおォーん。


「なるほど。飲まないのが影響していると?」


「わかんないっスけど。それ以外で決定的な違いって言えば性別か……若さ?」


「お前だって……お前だって! いつかはアラフォーになるんだからなっ!」


「それまでには結婚したいっスねー」


「その前に恋愛じゃね?」


「いやいや。さらにその前に出会いっスよ」


 突然、電話が鳴った。『内線:営業部』と表示されたディスプレイが目に留まる。

 そんな出会いは求めていない。


「今、お湯を注いだばっかりだってのに……」


 尾本が露骨に『出たくない!』という渋い顔をすると、広瀬が軽くため息をつきながら受話器を取った。そして短く要件を聞き、そっと電話を切る。


「営業の田所(たどころ)部長だったっス。なんかクライエントの社長さんが仕様変更したいって言い出したらしくて……3分以内に折り返しほしいとか何とか……」


 広瀬は冷静を装いながらも、口を一文字にして説明した。


「はあっ!? 納品直前の、このタイミングで!?」


「これまでのパターンだと、もう仕様変更は決定されてる感じっスよね。そして手柄は営業部っと――」


「うっ! がああああああああああ!」


 過去に幾度となく繰り返された仕様変更を思い出し、尾本はバリバリと頭を掻きむしる。


「どうするっスか? と言っても、選択肢は最初から無さそうっスけど」


「もういいよ。俺が残って何とかするから。広瀬は予定通りに定時で帰れよ。今日で10連勤目だったろ?」


「いやいや、そこは『困った時のあかりちゃん』でいいんじゃないっスか?」


 広瀬は引き出しから割り箸を取り出し、ニヤリと笑いながら尾本に差し出した。


「やだよ。そういうの、好きじゃないんだよ、俺……」


 無理がたたって倒れる仲間の姿は、前の職場で何度も見てきた。

 それこそ、尾本のトラウマになるぐらいに。

 だからこそ、この会社では後輩を守る。


 ――自分の寿命を削るくらい安いもんだ。


「まあまあ。そこはSEとPG、仲良く一蓮托生でいいじゃないっスか? 我ら生まれた日は違えども! 死す時は同じ日、同じ時にキーボードの前を願わん!――的な?」


「三国志か? それ、死亡フラグになってんぞ。『困った時のあかりちゃん』さんよ」


「つか、どうしますコレ?」


 広瀬が赤いヤツを指差す。お湯を注いでから、絶妙なタイミングで5分が経過していた。


「当然、食べるよ?」


 尾本は広瀬に渡された赤いヤツに手を合わせると蓋をめくる。

 湯気の中にふわりと広がるダシの香りが、否応なしに尾本の空腹を刺激した。


「そろそろ、田所部長から電話がかかってくる予感がするっスね」


 広瀬は電話機の大元のケーブルを抜きながら、悪戯っぽく笑ってみせる。


「よし! 40秒で食う!」


 尾本は味わう余裕などなく、次々と麺をすくっては胃袋へと流し込む。


「最後に定時に帰ったのいつでしたっけ?」


「ふぃらん(知らん)」


 赤いヤツの麺を口に含んだまま、尾本が乱暴にぼやく。


「なんというか、弊社って出会いからして絶望的っスよね~」


 広瀬は、呆れたように呟くと、割り箸を割った。

 片方が妙に短い形になっている。「絶望的」と言ったタイミングで割り箸を割るその仕草が、彼女の諦めや呆れを象徴しているように見えて、少し微笑ましくも可笑しかった。

 もっとも、広瀬は黙っている分には、かなりの美人である。さらに、彼女の明るい人柄が伝われば、放っておく男などまずいないだろう。


 この賢く可愛い後輩に見合う素敵な相手が早く見つかるようにと祈り、尾本は小さくうなずいた。


「ふぉんふぉになー(本当になー)」

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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