第004話「困った時のあかりちゃん(前編)」
某県にあるベンチャー企業ディープワイズ株式会社の開発室。
十畳ぐらいの狭い部屋に所狭しと机が並ぶが、この部屋にいるのはシステムエンジニア(SE)の尾本コウと、プログラマ(PG)の広瀬あかりの2人だけ。
開発部は1年前まで6名のメンバーで構成されていたはずだが、そのうち1名が自己都合により退職。3名が他県の離島へと出向中である。
よって6名でやっていた本部業務を尾本と広瀬の2人で回しているという異常な状況が続いていた。
そのうえ、離島へ出向中の開発チームでもトラブルが発生しており、いよいよ現場の崩壊が近い……なんていう不吉な噂話も聞こえている。
「夢の中に異世界の女神様が現れて? ダイエットしなさいって言われた?
先輩、お歳はおいくちゅでちゅか?」
広瀬がニヤニヤと笑いながら、彼女の机の大きい引き出し――通称『広瀬ボックス』を開く。
中にはお菓子やらカップ麺などがぎっしりと詰まっており、さながら駄菓子屋のようだ。
「今年で37ちゃいだよ。……つか、オフィスで駄菓子屋を営んでるような、お子様広瀬にだけは子ども扱いされたくねえな」
広瀬は尾本の皮肉をまったく気にすることなく、広瀬ボックスの中から赤と緑のパッケージのカップ麺をふたつ取り出す。広瀬の机の横に常設されている電気ケトルがパチンと音を立てて、お湯が沸いたことを知らせた。
「赤いヤツと緑のヤツ、今日は、どっち食べるっスか?」
「んじゃ、赤いヤツで……しかし、やっぱ痩せた方がいいのかね?」
尾本は広瀬の机の上に置かれた豚の貯金箱に小銭を入れる。
「そりゃあ、そうでしょうよ。健康診断が終わったからって油断しすぎっスよ。また太りました?」
「そんなに太ってねえよ……多分」
尾本は語尾のボリュームを下げながら、開発室の隅に置かれた姿見に映った自分の姿を見て、思わず肩をすくめた。ちなみに、この姿見も「デスクワークが続くと姿勢が悪くなる」とか言って広瀬が持ち込んだものだ。そこに映る自分を見ていると、ますます嫌な現実を突きつけられて気が滅入る。
髪は無難に短く整えているつもりだが、最近は前髪が少し伸びてきている。猫背気味の姿勢も相まって、どう見ても精悍さの欠けらもない。
学生時代に散々サバイバルゲームで鍛えた体も、今ではすっかり「中年のぽっちゃり」に近づいてきている。鍛え上げられた筋肉はまだ皮下脂肪の向こうに隠れているのかもしれないが、それを証明しようという気力はない。
――どこにでもいるような、冴えない男。それでいいと思った。
「いや、やっぱり太ってきてるっスよ」
広瀬が容赦なく、尾本の脇腹をつついてくる。
「おっさん相手のセクハラはよせ」
「うす」
つつくのが脇腹からほっぺたに変わった。
「いや、つつく場所の話じゃねえ――
まあ、正直に言うとストレス太りしてるとは思うよ。黒森くんが抜けた穴はデカすぎたよな」
黒森真琴の顔がふと浮かぶ。半年前に同業他社に転職した後輩プログラマだ。
彼が退職直後に黒森家の愛犬が亡くなるなどしてタイミングが合わず、送別会が開けなかったのが今も心残りである。
せめてもの思いで、ネットの花配送サービスを使い、オレンジ色のバラの花束を贈ったのだが――後から考えると、若い男性としてはおっさんから花束をもらって困惑したかもしれない。
それじゃなくても彼はモデルばりにイケメンの部類だというのに。
「黒森さんが退職して半年経つのに、まだ補充のPGは来ないんスか?」
広瀬が2人分のカップ麺にお湯を注ぎながら尋ねてくる。
「総務の白岩さんに聞いたら、求人はずっと出してるってさ。
……何の進展もないけど」
開発職への待遇が悪いのは上層部も承知のはずだが、相変わらず何も手を打とうとしない以上、応募がくるとは思えない。おそらく上層部としては、広瀬のような優秀な若者が応募してきた奇跡が、再び起こることを期待しているのだろう。しかし、そうは言っても、この人手不足は致命的だ。
開発部メンバーの3人がクライアント先でのオンサイト開発(※)のために他県の離島へ出向したのは、もう2年も前の話だというのに……。
「総務の白岩さん? あの社長の愛人さんって、ちゃんと仕事してるんスかね? この前なんか――」
「こらこら。そういう話は会社ではやめなさい。後でゆっくり聞いてやるから」
※オンサイト開発=お客さんのところに開発スタッフが出向いて、その場で開発を行うこと。




